告げたい想いがあったのです。
ある人に。
彼の人に。
“ありがとうございます”
お慕いしていたのです。
“井沢様…”
* * *
「ねぇねぇ」
『井沢様っ!!』と『何か』が抱きついてから、しばしの間があった。
――ちなみに有子は、今度は井沢の後ろではなく空の後ろに控えている。
「ところで、あんこと井沢先生はボヤボヤちゃんのことどうやって見えてるの?」
…そんな空の疑問の言葉に、話題がそれに戻った。
そういえば空は、『何か』を思わず『ボヤボヤちゃん』と呼んでしまうくらいおぼろげにしか見えていないらしい。
有子は…本当は見たくないのだが…勇気を振り絞って、井沢はチラッと、『何か』…空曰く『ボヤボヤちゃん』…を見つめた。
まずは有子がゆっくりと言う。
「さっきよりは見えづらくなったけど…」
空から離れ、井沢に抱きついたボヤボヤは、空の傍にいた時よりおぼろげな存在として有子の目に映った。「いや、その方があたし的にはありがたいんだけどね」と有子は前置きをしてから続ける。
「長い髪に…セーラー服を着ている感じ…?」
『セーラー服』と言ったところでなぜかゾクゾクとした。有子は慌てて何か…ボヤボヤから目をそらす。ちなみに有子と空の制服はブレザーだ。
「真っ黒い髪で…瞳も同じ色? 年は…空達と…同じくらい…かな? あと、結構、整った顔をしてる」
「あれ? 篤にぃのほうがボヤボヤちゃんのことよく見えるんだ」
呟いて、空は一人納得している。
先程から、幼馴染みとして『空』と呼ぶ井沢に、空も思わず『篤にぃ』と幼馴染みを呼ぶ愛称になってしまっていた。
「そうなのか…?」
空の言葉に井沢はちょっとばかり「ショック」というような雰囲気でボソリと言う。
ちなみに、いまだにボヤボヤは井沢にくっついている。
「……なぁ」
有子は言った。
「お前、なんでまだいるんだ…?」
“え?”
有子が言う『お前』はボヤボヤだった。
「なんでって?」
ボヤボヤを代弁するように、空は問いかける。
「…だって、こいつ…」
「ボヤボヤちゃん!」
どうも、空の中で『何か』の名前…呼び名?…は『ボヤボヤ』に決定したようである。
鋭く突っ込まれた有子は細く息を吐き出して続けた。
「…ボヤボヤの『手伝って欲しいこと』って、『ありがとう』を言う相手を探せってところだろう? なんでいまだにいるんだよ?」
――確かに。
空にくっつきながらボヤボヤが言ったのは『手伝ってほしいことがある』だった。
人探しをしてほしい、と。
やや問答無用な、強制参加をさせられそうな状況に有子は「なんでこんなことに…っ!」なんて思っていたのだが…。
ボヤボヤは井沢を目に映すと、突然『井沢様!』と言って抱きついた。
ありがとうございます、お慕いしていたのです…それらを告げても尚、ボヤボヤはそこにいる。
――ボヤボヤが手伝って欲しかったのはボヤボヤの求める『井沢篤盛』を見つけだすこと。
だが、その井沢篤盛はボヤボヤの前に存在し、既に目標としている言葉も言えている。
――なのに。なぜいまだに存在している…成仏しないのであろうか?
有子の呟きに空は「ありゃ?」と声を上げて、首を傾げた。
そう言われれば、確かに。
空は一度声を上げてから、ボヤボヤを見た。
…ボヤボヤはいまだに井沢の腕に絡みついている。
「ボヤボヤちゃん、まだ、手伝って欲しいことあるの?」
なかなかストレートに問いかける空。
“え、あ…その……”
もじもじ、という表現が一番合いそうにボヤボヤは俯いた。
「言いたいことがあるならチャッチャとはっきりと言いやがれっ!!!」
有子はその様子に早くもプッツンしたようである。
わけがわからない恐怖に巻き込まれて、有子の精神状態が通常とは違う。
「ま、まぁまぁ小椋さんっ!」
落ち着いて、と井沢はなだめる。
ちなみに、ボヤボヤは井沢の腕から離れていない。
「…あんたも、もう、ソレに慣れたのかよ?」
「ボヤボヤちゃん!」
有子の『ソレ』扱いに空はいちいちチェックを入れてくる。
「え? あ。…まぁ、ねぇ?」
「アハ」とか付きそうな井沢の発言を聞いた時に、有子の脳裏には『類は友を呼ぶ』という言葉を浮かんだ。さすが…というか。空の幼馴染みなだけはある。
有子は痛切に願った。『帰りたい』と。
有子は本気で思った。『手伝いなんかせずに帰ればよかった』と。
「で、ボヤボヤちゃんは何を手伝って欲しいの?」
“手伝い……”
「うん」
ボヤボヤに問いかけた空は、笑う。
“……ありがとうございます。ですが……”
「だけど?」
優しく続きを促す空に、ボヤボヤは小さな声で「手伝っていただけないと思います…」と言った。
「ええっ?!」
その発言に空は声をあげる。
「だったらさっさと逝ってしまえ!」
…有子はキレたままそう言った。
“あ、あの……”
有子の気迫におどおどしながらボヤボヤは小さく…でもしっかりと、言った。
“井沢様に、私のことを思いだしていただきたいのです”
「「「…へ?」」」
三人の声は重なった。
(お、思い出す?)
井沢は思う。
声にこそ出してないが、空も有子もそう思っていた。
“……はい”