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なぜ、こんなにも強欲なのだろう、自分は。
そう、思う。
思うのに…。
なのに。

“私を、思い出して欲しいのです”
そう、願ってしまうのだ。

* * *

「……ちなみに、ヒントは?」
 井沢に『思い出して欲しい』と言ったボヤボヤに空は問いかける。
「あ、そうそう。ヒント」
 井沢も空の言葉に頷きつつ、ボヤボヤに言った。
“ひんと……?”
 疑問符の付きそうなボヤボヤの口調に「あ゛」と、井沢は小さく叫んだ。
「ヒントって言葉がわからない、か…。うぅーん…」
 しばらく考えていた井沢だが、顔を上げて有子と目が合うと人差し指を天上に向けて口を開く。
「ヒントって、日本語にするとどういう言い回しだと思う? 小椋さん」
「あたしに振るなっ」
 有子は即、切り返した。未だに空の背後にいるのは変わっていない。「国語教師希望のくせにっ」と、有子はやや咬みつきそうな口調で返す。
「ヒント…うーん、ヒントねぇ…」
 空もまた、唸った。ボヤボヤは相変わらず『ひんと……』と、疑問符付きの呟きを漏らしている。
「…もお、いい。やめよう。ボクが頑張って思い出すから…」
 それぞれの様子に井沢は項垂れた。
 有子が思わず「国語教師希望のくせに、言い回しも思いつかないのか…」などと呟けば、井沢は「小椋さんひどい…」と返す。
「んー…」
 井沢は、じっとボヤボヤを見つめた。
「君みたいな美人、ボクと関わりがあったら忘れないと思うんだけど…」
 井沢の言葉に、ボヤボヤは俯く。
「…井沢センセって、女ったらし…?」
 空がもらした言葉に有子は「そうかもな。ってかそれっぽい」と言うと、小さくため息をついた。時計を見る。
「4時半…」
 我知らず呟いて、有子は思った。
(ああ、普通に帰れてたらとっくに家に着いてテレビを見るか読書でもしてる…)
「…教室を出てから、たかが30分しか経ってないのか…」
 なんか、いろいろありすぎて(とはいっても、ただボヤボヤが現れて『自分の手助けをして欲しい』と言っただけ…なのだが)もっと時間が経っているように感じる。有子の心情的には既に6時をまわっているのだが、無情には空は明るく、現在が6時でないことを示している。
「うーん…」
 空もボヤボヤを見つめた。
 井沢の幼馴染みである空。もしかしたら自分も知っている人物かもしれない、と思ったのだが。
「見えない…」
 ポツリと呟いて、『近付いて見よう』と空は立ち上がった。
 立ち上がった空に有子は「い゛?!」と声を上げる。
 …空が立ち去ってしまえば、有子はただ一人座り込んでいることになる。
「ちょっ、え? 空っ?!」
 誰かが傍にいないと恐い。――だが…今、人の傍に行こうと思えばボヤボヤが近くにいることになる。
「そ、そんな…」
 有子は一人、究極の選択を選ぶ時が来ていた。
 ボヤボヤから距離を置いて一人でいるか、ボヤボヤの傍にいて、数人でいるか。
 ――そんな有子をヨソに、空は「よいしょっと」とボヤボヤの前…つまりは井沢の前に座り込む。
「「あ…」」
 井沢と有子が声を上げた。
 ボヤボヤの姿が先程よりも鮮明に、はっきりと見えるようになる。
 ――先程も、空がボヤボヤの傍にいた時の方がはっきりと見えた。
 それは有子も井沢も、である。
「んー…」
 ボヤボヤをじっと見つめ、空は唸った。
 …やっぱり空は、井沢と有子ほどにはボヤボヤが見えていないようである。

「…なんか、見覚えあるような気がするなぁ」
 空は言った。
「うん、ボクも見覚えがある…ような気がしてきたんだけど…」
 空に同意するように頷く井沢に「曖昧だな、オイ」と有子が近付いて、言った。
 …一人でいる恐怖よりも、数人でまとまっている恐怖の方がマシだ、と感じたようだ。
「あれ…?」
 空の隣に座り込んだ有子と、井沢の傍…正面のボヤボヤを交互に見て、空は言った。
「なんかあんことボヤボヤちゃんて、似てない?」
「はあっ?!」
 有子は思いっきり顔をしかめてそう言う。
「え…? そう、かな?」
 井沢も有子とボヤボヤを交互に見つめながら言った。
「あ、でもぼやけて見えるから髪が長い、くらいの共通点しかわからないんだけどね」
 あっけらかんと言う空に「髪が長いくらいで『似てる』にしないでくれ…っ」と有子は制服のスカートをぎゅっと掴んだ。
 相手によっては脳天チョップでもお見舞いするところなのだが…相手が空である故に、殴ったり出来ない。

“思い出しては、いただけませんか…?”
 ボヤボヤは悲しげに問いかけた。
 有子の目に映ったボヤボヤは…微かに、涙が浮かんでいるような気がする。
「いや、あの…」
 井沢は狼狽えた。――井沢の目には、有子よりはっきりと…涙を浮かべる少女の姿が見えていたから。
 ボヤボヤは頭を振った。自分の手を見下ろし、呟く。
“…この姿が、いけないのでしょうか?”
 続いた言葉に井沢は「へ?」と声を上げた。
 ボヤボヤの何か決心したような声音に井沢の狼狽がなりを潜め、思わず首を傾げる。
「それ、どういうこと?」
 空の問いかけにボヤボヤは項垂れながら応じた。

“この姿は、私本来の姿ではないのです…”
 そう言って、じっと井沢を見つめた。
“私に名を下さったのは、貴方なんですよ、井沢様”
「え? ……ボクッ?!」
 ボヤボヤは微笑んだ。
“私は、確かに私の存在を思いだして欲しい…ですが”
 ボヤボヤはそこで一旦言葉を区切った。
 何か、優しい記憶を辿るように瞬く。
“…井沢様が付けて下さった私の名を、井沢様に呼んで欲しいだけなのかもしれません”
 そう言ったボヤボヤの微笑みがひどく切なげに見えて――有子は少し、ボヤボヤが恐くなくなった。

 
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