「お」
美海は目的の人物を発見し、思わず声を漏らした。
今度樹に勧誘されているのは3組の男子で、快く引き受けたようだ。
(まだ話してるな…)
わざわざ妨害することもないだろう、と美海は遠巻きに樹の様子を見ていた。
…と。
「牧村さん」
樹は、美海に向かってヒラヒラと手を振ってみせる。
美海はそんな樹のもとへ歩み寄り、断る旨を伝えた。
「えー、なんで? バイトのことばれたら困るっしょー?」
「…家、経済的に豊かじゃないの。母さんにもちょっとは楽になってほしいし」
「でもさ、美波ちゃんはバイトやってないじゃん」
「…なんで知ってるのよ」
美波とは、美海の双子の妹のことである。ちなみに、同じ学校…3組にいたりする。
樹と(そしてもちろん美海と)は違うクラスだというのに、美海よりも樹と仲がいい。
「美波ちゃんと仲良しこよしだし」
「…あ、っそ」
「牧村さん、冷たい…」
そんな樹の反応にハハハ、と笑ってから、美海は閃いた。
――そうだ、美波ならいいじゃないか。アルバイトをやってないし。
「美波と仲がいいなら、美波に本部会の書記やらせれば?」
美海は、自分としては随分名案を思いついたと思った。
「エー、美波ちゃんー?」
…しかし、樹はなんともビミョーな声を上げる。
「…『美波チャン』なんて言わないでヨ。背筋が寒くなる」
その言葉…美海とよく似た声に、美海は振り返った。
「あ、美波」
や、と美海は右手を挙げた。美波は美海に「ハウ」と返す。
美海も美波も髪を一つにまとめたポニーテールで、後ろから見るとどちらがどちらなのか判断がつかない。
一卵性の双子であるため、前から見ても…初対面の人は特に…見分けるのが難しかった。
口を開けば淡々と話す美海とひょうひょうと話す美波…という具合にわかりやすいのだが、見た目だけの判断はなかなか難しい。
「美波、本部会の書記やりたいよね?」
美海は唐突に美波に言った。
だがその返事は端的かつ、明確だった。
「イヤ」
「…ちょっとくらい間をおいてくれても…」
美海はがっくりと肩を落とし、言う。
「アタシはねェ、部活が忙しいの」
「部活じゃなくて、愛好会でしょ」
「似たようなモンデショ?」
美波の言葉に美海はそうかな? と首を傾げる。
ちなみに美波が所属している愛好会は『バトミントンを楽しもうの会』みたいなもので、人数が揃い、体育館のコートが開いていたらやるという…なかなか不定期的活動をしている愛好会である。現在所属人数は5名らしい。
「…でも、毎日はやってないでしょ?」
「イヤったらイヤ。イイじゃん、美海チャンやれば」
「やりたくないから押しつけようとしてるんじゃない」
キッパリと言い切る美海の言葉に樹は「そこまではっきり言い切らなくても…」と呟いた。
「バイトだって急に人が減ったら困るだろうし。…ほら、本部会をやらないよりやったほうがデメリットが多い」
美海は樹に言い切った。
「と、いうわけで他の人にあたって下さい」
「だってオレ、牧村さん以外に書記の候補考えてないんだもん。いいよ、バイトはいつでも出来る」
「高階くんもねぇ…。いいじゃん、あたし以外の人にしなって」
「やだー。牧村さんがいいー」
樹はにこにことそう言った。
…微笑んでいるというのに『これは譲らないぞ』という気迫を感じるのはなぜなのだろうか?
「…美波も何か言ってよ。本当に…」
人差し指でこめかみを押さえつつ、美海は呟いた。
その呟きに美波は(少なくとも美海にとって)意外なことを言いだした。
「美海チャン、イイじゃん。書記やれば」
「は?!」
…啓子と似たようなことを言いだした美波に、美海は両肩を掴んで言った。
「美波、それ、本気で言ってるの? ねぇ、本当に? 本当に? なんでそんなこと言いだすの?!」
ゆさゆさと美波を揺さぶりつつ、美海は問いかける。
「ほら、美波ちゃんも賛成だってー」
美波の言葉に、樹は「アハハハー」と楽しげである。
「バイトより学校生活を選ぼう、美海チャン」
揺さぶれつつも言った美波に樹は「そうそう」と大きく頷く。
美海は二人の言葉を聞き、顔を見ると、美波の肩を掴んでいた手を放した。
二人から視線を外すと「うう、誰もあたしの味方になってくれない…」と、小さく嘆く。
「バイト先にはアタシから言っとくからサ。美海ちゃんは安心して書記をやりなよ」
言いながら、美波はボソッと美海の耳元で囁いた。
「それでサ、堂々とバイトが出来るように本部会のほうから揺さぶりかけてみれば? 先生達に」
――美波のその言葉に、美海は『え?』と思った。
『堂々とバイトが出来る』
…もしそうなれば…見つかったら面倒かもしれない、とか――学校側に呼びだしとかされて母親に迷惑をかける、とか気にすることなく――周りの目を気にせず、バイトが出来る。
(そう、なれば――)
美海は瞬いた。
美波の言葉を自分の中で繰り返し…自分自身の思考を巡らせ、一つ息を吐き出す。
『堂々とバイトが出来る』
――そうなればいい。そう…出来るなら。
美波の『堂々とバイトが出来るように』という言葉は、美海の中にほんの少しだけ存在していた『書記をやってみようかな』という気持ちに活力を与えた。
「……わかった」
美海の言葉に「え?」と、疑問の声をあげたのは本部会長である…美海を書記に、と望んだ…樹だ。
「わかったわ。あたし、書記やるわ」
ゆっくりと、美海は言う。
「え、本当?」
少し驚いたように…ちょっとばかり呆然としているように見える樹を美海は見た。
「別に『ウソ』って言ってもあたしは構わないけど?」
少しニヤリと笑いつつ美海が意地悪そうに言うと樹は慌てて「そんなコト言うなよーっ」と首を横に振る。
慌てた樹に少しばかり笑っていると、樹は美海の笑顔に瞬いた。
樹もまた笑顔になって「おっしゃ」と、単純に喜びの声をあげる。
「――だけど」
美海は口を開いた。
その声に樹は「何?」と視線を向ける。
「休みの日にはあたし、バイトのほう優先させるからそのつもりで」
「…美海チャン、バイトをやめる気は、ナイの?」
美波の言葉に美海は返事をした。
「当然でしょ。お金はあって困るものじゃないし」
それは…確かにそうだが。
美波はあからさまにそんなような表情を見せ「アタシはてっきりやめると思ってたヨ…」と呟く。
だから自分からバイト先に連絡をして…美海が嫌な思いをしないようにしようと思ったのに、と。
美波の言葉に「シフトを土日中心にしてもらえば問題ナシ」と美海は応じる。
双子の様子を瞬いて眺めていた樹だったが、頭を振って真っ直ぐに美海を見た。
「ま、なんにせよ…やってくれるならいいや! よろしく、牧村さん」
微笑む樹に、美海は小さな言葉を返した。
「…よろしく、本部会長さん」
と。