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第3章

「嘘つき」
 美海は樹の姿が見えた瞬間に、そう言った。
 美海が書記となり1ヶ月ほど経った、年明け1月の中旬のことである。
 目が合った瞬間に『嘘つき』呼ばわりされた樹はやや呆然とした。
「…オハヨウ、マッキー」
 樹は気を取り直しつつ、何かを誓うかのようにピシリと手を顔の高さまで上げながら言うと美海は「油性ペンまっきー…?」と切り返す。

「…ところで――何で『嘘つき』なのさ?」
 書類を構っている美海の横の椅子に座ると樹は言葉を紡いだ。
「あたし、こんなに仕事があるとは思ってなかったよ」
 そんな樹の言葉に美海はそう、返事をする。
「いや、それはマッキーの勘違い」
「そうとも言うけど」
「だったら嘘つきなんて言わないでよ。傷ついちゃうよ、オレ」
 おどけて言う樹に美海は小さく笑いながら「ごめん」と言った。
「連絡網、作れとは言われたけど使うときなんてあるの?」
 書記として美海が今、任されている仕事は本部会&委員長会を合わせた連絡網作りだ。
 本部会用のパソコンに打ち込んでいく。
 ちなみに作成を命じたのは誰でもない本部長…つまりは樹である。
「うーん、まぁ、なくても困らないでしょ?」
 「頑張って作ってる本人あたしの前でそういう投げやりな言い方をするのか?」と美海は思いつつ、疑問の言葉を発した。
「一応、こんなもんでどう? 携帯電話と家の電話と書いてある人は両方打ち込んでみたけど…」
 美海の背後からパソコンの画面を覗き込みながら樹は震えた。
「さむっ」
「寒いねぇ」
 美海は樹の言葉に、うんうんと頷く。
 指先に息を吹きかけつつ、樹は小さく言った。
「朝から生徒会室が開いてるとか思ったら、牧村さんがいるんだもん。驚いたよ、オレ」
「え、だって早めの方がいいかな、と思って」
 美海は家に帰ってまで本部会の仕事をする気はない。…そのため、作りたかったら学校で作るしかないのだ。
「それよりも、どう? 携帯電話の番号は書かない方がいいかな?」
「んー…」
 樹は自分自身を支えるように、美海が操作するパソコンが置いてある机に左手をついた。美海の右側からパソコン画面を見ながら、問いかける。
「牧村さんは、ケータイ持ってないの?」
 樹の問いかけに美海は「ないよ」と応じた。
 クラスの8割…もしかしたら9割がケータイを持っているようだが、美海は残り少ない2割か1割だった。ちなみに、美波も持ってなかったりする。
 美海の答えに樹は小さく「そっか」と言ってから、次の言葉を発した。
「どうしよう…。やめておこうか」
「ま、知られたくない人もいるだろうからね」
 樹の言葉に頷くと、美海はさっさと携帯電話のほうの番号を消していく。
「…しかし…本当に寒いな…」
 確かに、本部室は寒かった。
 ストーブはあるのだが…経費削減のためなのか、現在灯油切れな生徒会室のストーブは、暖房機器としての役割を果たさず、単なる『物』だ。
 上着を着たまま作業している美海は『樹までこんな寒い場所に付き合うことはない』と思い、パソコン画面を睨んだまま告げる。
「そんなに『寒い、寒い』って言ってるなら、教室に行けばいいじゃない? もしかしたら、ストーブがついてるかもよ」
 美海の発言の後、沈黙が訪れた。
 間がないくらい樹は喋っていたというのに、どうしたことだろう?
 美海はそんなことをチラリと考えたが、とりあえず連絡網作りに集中することにする。
「…じゃあ、言わない」
 そんな…樹の言った言葉はあまりに小さくて、美海には何を言ったからわからなかった。
 聞き返そうかとも思ったが、独り言かもしれない。美海はそんなことを考え、聞き返すことをやめた。

 ――沈黙、である。
 携帯電話の番号のみを消すのに5分ほどかかったか、その間中、本部会室は沈黙に浸されていた。
 ちょっと気まずい、とか美海は思っているが、樹は美海の横に座ったまま動かない。
「…ねぇ」
 勇気を振り絞り、美海は樹に声をかけた。
「何?」
 視線を落としていた樹と、美海の視線がぶつかる。
 …美海はその視線のまっすぐさにドキリとした。
 心まで見透かされてしまいそうな、視線それ
 男の子とまともに視線をぶつけるなんて、美海の記憶上そんなにたくさんある経験ではない。
「こ、んな感じでいいかな」
 言葉がどもりそうになる。
「どれどれ?」
 樹は先程と同じように――左手を机について、美海の右側からパソコン画面を覗き込んだ。
 美海を樹の腕の中に収めるようにして、パソコンを覗き込む。
 …美海を、包み込むようにして。
 ――さっきは特別意識しなかったというのに、今度はなぜか妙に意識してしまう。
(お、落ち着け、あたし! 高階くんは別に何とも思ってないんだから…っ)
「ああ、いいんじゃない?」
 樹が、すっと離れた。
 ――美海は樹に気付かれないように、小さく深呼吸した。

※ ※ ※

(今朝は無駄にドキドキした…)
 美海はそんなことを思いつつ、黒板に書かれたことをノートに取る。
 現在1時間目、数学の授業である。
 美海はどうも数学が苦手だ。どこがよく分からないかも自分自身わからないので、余計に質が悪い。
 ――美波は数学が得意だと言っていて『双子でもやっぱり違う』とか思う。
「つまりー、ここでは『サイン』を使うわけ」
 どこがどう「つまり」なのか、美海は理解できない。
 …だから、美海の場合、数学の時間はほぼ瞑想の時間となってしまっている。
 授業が終わるまであと30分。
 チラリと時計を見た美海は小さくため息をついた。
 ため息をついたら…なんとなく今朝のことが思い出した。
 ――なぜか?
 そんなこと、美海自身が知りたいくらいだ。
 視界のどこかに入るはずの相手を、美海はフと捜した。
 …いた。
 当然だ。クラスメイトなのだし、美海の席は真ん中の一番後ろなのだから。…つまりは、この時期少し寒い席とも言える。日光が差せば少し温かいが。
 ――それはさておき。
 樹は1時間目だというのに既に舟をこいでいる。…早速、居眠りを始めているのだ。
(おいおい…)
 美海はそう思ってから、小さく笑った。
 眠くなるのも、当然かもしれない。ストーブのあるところから間に1人、席を挟んだ位置に樹はいる。
 ストーブのすぐ傍はずっといると暑過ぎてしまう。間に1人いるため、程良く温かそうな席だ。
「じゃあ、問題を解いてみよう。今日の考え方を上手く利用しろよー。当てるからなー。やってみろよー」
 語尾をのばすというこの教師独特の大声が教室に響いた。
 …どうやらその声に驚いたらしい。樹はばっと体を起こした。少しばかりきょろきょろと辺りを見渡している。
 美海はそんな樹の後ろ姿を見て、更に笑ってしまった。

 
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