「失礼しますっ」
勢いよくドアを開ける。
ストーブにノコノコとあたっている先生…金児希代子は、ふわふわとした天然パーマの髪がショートカットで、ぽっちゃりとした顔つきをさらに優しく見せる、保健室の先生らしい女性だ。
金児は勢いよく開いたドアのほうを驚いた顔つきで見つめた。
「あ、あら、牧村さんじゃない」
美海は1年生、2年生と保健委員をやっていたので、金児とはわりと仲がいい。
驚きの表情をしていた金児は、涙を浮かべている美海を見て更に驚きの表情を見せる。
「ど、どどどどうしたのっ?!」
金児、どもりまくりである。
「ちょっと、ベッド借りてもいいですか?」
「え、いいけど…」
その時――タイミングを図ったかのように授業開始のチャイムが鳴った。
「次の授業は、なに?」
「科学で、自習です」
目元をゴシゴシと乱暴に拭い、美海は言った。
「自習…。なら、いいかしらね。両方とも空いてるから、好きなほうを使いなさい」
ちなみに保健室にはベッドが2つあり、それぞれ個室のようになっている。
美海は窓のある個室のほう、南側のベッドを借りることにした。
「はい。すみません」
美海が本日初のベッド利用者らしい。
モソモソと潜り込み、美海は頭からすっぽりと布団を被った。
(うう、なに泣いてるんだろう、あたし…)
美海はそんなことばかり考える。
布団からはお日さまの香りがして、温かい。
ゆっくりと深呼吸すると、少し落ち着いてきた。
(よし、落ち着いてきたな…)
美海はまだまだ深呼吸を続ける。
完璧に落ち着くまで、とりあえず続けることにした。
涙も止まり、自分が落ち着いたようだと確認した美海は、ベッドの側に置いてある時計を見つめた。
…10時40分。授業終了まであと20分だ。
授業終了まであと20分というときに参加しても意味がないと美海は考え、このまま時間が経つのを待つことにした。
…と、決めたのはいいが…。
(…暇)
なにもやらずに過ごす20分間というのはなかなか長く、いまだに1分…程しか経っていない。
「きよチャン先生、急患ッ」
…聞き覚えのある声が、聞こえた。
「あら、牧村さん…って、どうしたの?」
「突き指しちゃって痛いノー」
声が、ふざけた様子で言う。声の正体は美海の双子の妹、美波だ。
「あらあら。引っぱったりしてないわよね?」
「してないヨ」
ベッドから体を起こすと、美海はそっと保健室の様子をうかがった。
…と。
「美海チャン!」
目敏く、美波は一方のベッド…個室から保健室を眺めた美海を発見する。
「どしたの? 美海チャン、ケガでもした?」
「いや、してないけど…」
ジャージ姿の美波は美海の言葉を聞くと「いでッ」と顔をしかめた。
金児が突き指をしたところに湿布を巻いたのだ。
「ゴメンゴメン、大丈夫?」
「きよチャン先生、もっといたわってよ…」
あうーと言いながら、美波は突き指をしていない右手をプラプラと揺らした。
「…あ。なに、利き手のほう突き指しちゃったの?」
そんな様子を見て、美海は言った。美海は右利きなのだが、美波は左利きだ。
「そーなのだヨー」
美波はやっぱり右手をプラプラさせながら美海に言う。
「バスケに張り切ってたらコレだモン。やっぱりあたしはバトミントン以外はやっちゃいけないのかな?」
…とか何とか言いつつ。
美波は体育大好き少女で、バトミントン以外でも体育ならば大喜びして参加する。
体育のある曜日は美海より早く起きているくらいなのだから、体育好きは重症と言えるだろう。
「しばらく痛むだろうけど我慢してね」
「ハーイ。ありがとう、きよチャン先生」
「はいはい」
美波の言葉遣いにクスクス笑いながら、金児はまた、ストーブにあたり始める。
「あ、牧村さん…えっと、美海さんのほうね」
同時に金児を見つめた二人に、金児は多少動揺しながら言った。
「はい」
「大丈夫? 落ち着いた?」
「あ、はい。それは、もう」
「そう、ならよかったわ」
金児のそんな様子に『ああ、優しい先生だなぁ』と美海は1人感激した。
突然ベッドを貸せ、と言った自分に、『どうしたの?』とか聞いてこない。
そんな優しさが、美海にはありがたかった。
「あ、ところで。美海チャンはどうし…」
美波の視線が、美海の目元で止まった。
…伊達に姉妹を17年間やっていない。
突然ガシッと美海の手首をつかむと、美波は美海が先程までいた個室に引っ張り込んだ。
バタン、とドアまで閉める。
「どうした、美海チャン」
「へ?」
「その目はナニ?! 泣いたデショ? 泣いたデショ?!」
…ドアを閉めた意味が、あまりない。美波はそれだけ大声を出していた。
「み、美波…。もう少し、声の大きさを抑えめに…」
美海がおろおろしながら美波に言う。…だが。
「さあ、言うんだ、美海チャン」
ズイッと美海に顔を近づけ、美波は言った。…あまり声の大きさは変化していない。
「誰に泣かされた?」
美海はふっと視線を泳がせた。
「…言えないの? 言えないほどヒドイコトをされたのーっ?!」
「だから声が大きいってば!」
美波の口を押さえ、美海は言った。フガフガと美波はまだ、何かを言っている。
「…別に、誰にも泣かされてないよ」
「じゃあ、」
「これは。あたしが1人で勝手に泣いただけ」
美波が言葉を続けようとする前に、美海が言葉を紡ぐ。そんな美海を、美波はじっと見つめた。
「ホント?」
「本当。美波に嘘ついたってしょうがないでしょ」
美波は野生の勘が鋭く、美海が嘘をついてもすぐにばれる。…別の言い方をすれば。美海は嘘をつくのが下手なのだ。
「じゃあ、どうして泣いたのか言ってみ?」
「さぁさぁ」と美波は美海にズズイと近付く。
「……」
美海はまたもや、視線を泳がせた。
「ヒドイ、美海チャン…ッ!! あたしと美海チャンの仲なのに…ッ!!!」
『どんな仲だよ』とどこかで思い『双子の姉妹で家族だよ』と美海は1人、心の中で話の区切りをつけた。
「言わなきゃ、ダメ?」
「泣いたこと母チャンに報告してもいいなら…」
「言います」
美波の言葉に美海は即行切り返した。啓子にマザコンと言われた美海は、自分でも多少そうだと思う、というほど母が大事なのだ。
心配性の、母。
自分が泣いたなどと聞いては心配するであろうことは目に見えている。
母に、心配をかけたくはない。
…しかし。
「…ええと…」
『言います』とは言ったものの…一体どこから言えばいいのやら。
美海は1人困惑していた。
「どーしたの?」
美波は困惑の表情をしている美海に言った。
だが、ここで泣いた理由を尋ねることなど止めたりしない。答えは、貰う気満々だ。
「…んー」
(泣いた直接の原因だけを言えばいいかな? …って、あたし、何が原因で泣いたんだろう…?)
美海はそんなことを考えてから、とりあえず、文が『ジュースをおごって』と言ったところから話し始めた。
授業が終わるまであと10分。
「…で、なんだか知らないけど涙がでてきた…」
美海は、全てを言った。
ちらり、と美波の様子を見る。
『困惑』
…そう、顔に書いてあるような表情を、美波はしていた。
「…だから、ね? 別に、誰かに泣かされたわけではないんだよ…?」
聞いてる? と美海は続けたが、聞こえているだろうか?
「ヌー…」
聞いてなさそうである。
妙な声を発しつつ、ベッドの上にあぐらをかいた美波。ちなみに、腕まで組んでいる。
「ええと、つまりは…」
左手の人差し指で頭を掻いてから、美波はゆっくりと言った。ちなみに突き指をしたのは左手の薬指である。
「間接チューがイヤすぎて、涙がでてきたってコト…? じゃあ、美海チャンを泣かしたのは…」
樹じゃないかっ!
美波は左手で拳をつくろうとして、いつもの調子で曲げようとした薬指に激痛が走ったらしく、「う゛ッ」とうめき声をあげた。
「美波、ちょっと、大丈夫?」
うめき声に思わず問いかけた美海に「いたひ」と目元に涙を浮かべ、美波は言った。
「ま、まあ…なんにしても、高階くんがあたしを泣かせたわけじゃないから…。誤解しないように」
美海はゆっくりと、美波に言い聞かせるように告げる。
美波は過去に――美海にちょっかいをだした男に平手をくらわすという、なかなか(美海関連で)暴力的なことを起こしたことがあるのだ。
何も悪くない樹が美波に叩かれたりしたら、なんだか可哀相だ。
美海は1人、そんなことを思っていた。
「…なんで樹をかばうの?」
ちょっと拗ねるような口調で美波は言う。
「え、いや、かばってなんか…」
…いないと思うが。美海はその言葉を最後まで言いきることが出来なかった。
「ワカッタ」
美波は小さな声で、そう言った。
「え?」
「美海チャン、樹に惚れてるんだ! だから、かばったりなんかするンだッ!!!」
声高々に、美波は言い切る。美海は美波の口を自らの手で覆うことが出来なかった。
「……え?」
樹に惚れている、という美波の言葉が美海の中で連呼していた。
かーっと、頭に血が上る。
『樹に、惚れている』
それは、つまり――…。
『美海が、樹を好きだ』
――と、いうことか?
(ぅええっ?!)
頬が熱い。…思わず頬を押さえた手に、火照りを感じるくらいに。
「…やっぱり。――美海チャン、間接チューが恥ずかしすぎて涙がでてきたんでしょ」
そう告げる美波の言葉は疑問ではなく…確信だった。
「美海チャンの裏切りものっ」
…ナニが?
いつもの美海だったらそう聞き返すところだろうが、今は、『樹に惚れている』という言葉のみが頭を占領していて、美波の言葉に切り返すことが出来なかった。