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第6章

 キーン コーン カーン コーン…
 チャイムが鳴った。
「…美海チャン?」
 いまだに頬を抑え固まっている自分の姉に、美波は心配そうに声をかけた。
 が。
「ま、いっか」
 …と、なかなか薄情な言葉を残し、美波は更衣室に去っていく。
 10分間の休憩のあと、3時間目が始まる。
(ほ、惚れてる?)
 あたしが、高階くんに?
 美海はそう考えると、またもや頭に血が上るような気がした。
(ひーっ)
 ぴちぴちぴち、と頬を打つ。
「…牧村さん、大丈夫?」
 金児が心配そうに個室を覗き込んだ。
「へ? は、だ、大丈夫です、ええ!」
 しかし顔は真っ赤である。
「次の授業はどうする?」
「出ます」
 勢いで美海はそう言い、次の瞬間に『しまった!』と、後悔した。
 …休ませてもらえばよかった。
 こんな顔で、教室になど行けない。
 第一、文になんと説明すればいいのだ。涙はもちろんのこと、この赤い顔を!
「…そう?」
 ああ、もう一度聞き返してくれれば「やっぱり休みます」と言うのに…っ!!!
 美海は心の中でそう叫んでいた。
(落ち着け、落ち着くんだ、あたし…っ!!)
 とりあえず、深呼吸だ。心を落ち着かせるには新鮮な空気…深呼吸が一番だ。
 美海は何度も大きく深呼吸を繰り返す。
「牧村さん、あと1分で3時間目だけれど…」
「えっ?!」
 既にあと1分っ?!
 美海は自分の腕時計を見た。
 …確かに。あと1分で3時間目…時間に厳しい世界史の授業である。
「それじゃ、どうも、ありがとうございましたっ」
 美海はもうダッシュで教室に向かって走っていった。
 …またもや勢いで行動してしまった美海である。

 キーン コーン カーン コーン

「起立!」
 美海は日直の言葉に立ちあがりつつ、浅い呼吸をした。
 …猛ダッシュした甲斐があり、授業に間に合った。
 肩で息をしつつ、美海はほっとする。
 既に世界史の教師、勝本かつもと幸平こうへいは授業を開始しようとしていた。
「礼!」
 ガタガタと椅子を引く音が響く。美海はふと、樹の席に視線がいった…。
(何を探しているの?!)
 自分自身にツッコミを入れるが…『あれ?』と思う。
 もう一度、樹の席を見つめる。
 ぽつりと空いた、樹の席。――いない。
 どう見ても、樹の席は空席だった。
(どうしたんだろう…?)
 そう思った瞬間。
 「教科書159ページを開け」という勝本の声と、「遅刻しました!」という樹の声…正確にはドアを勢いよく開ける音かもしれない…が同時に教室に響いた。
「…高階。お前、本部会長だろう? もっと落ち着きをもちなさい」
 勢いよく教室に飛び込んできた樹を見ると、勝本は渋面しつつそう言った。
「はーい、すみませーん」
「本当にそう思っているのか…」
 そんな勝本の声に小さなざわめきが室内を巡った。ちなみに、笑っている者が多数である。
「あと1回で欠席になるからな」
 来山高校では3回遅刻をすると1回の欠席になる。樹は今回で二度、世界史に遅刻していた。
 「はーい」と間延びした樹の返答に、ため息交じりに「じゃあ、座れ」と勝本は樹の席を示す。
 「はい」と言いながら席に着く前に――樹はチラリと後ろを見た。
(え?)
 気のせいでなければ…ふと、美海と目が合ったような気がする。――そして、少し笑ったような気がした。
 どくん、と美海の胸が高鳴る。
 モシカシテ
 …まさか。――樹が世界史に遅れてきた理由は…。
(あたしの様子を、保健室まで見に行ってくれた?)
 まさか。…でも。
 色々な思いが美海の中で巡る。
「え…と…」
 美海は思わず小さな声をだしていた。
 またもや頭に血が上るのを感じながら。

※ ※ ※

 世界史の次には昼休み。放送が流れた。
『本日4時より、本部役員会を開きます。役員は4時に、本部会室に集まって下さい』
 美海はそんな放送を聞きつつ、箸でご飯をつつく。
「美海ちゃん、次ってなんの授業だったっけ?」
「え? あ、次?」
 ――文は、何も聞いてこなかった。
 美海が突然涙をこぼした理由を、聞いてはこなかった。
 美海はそんな友人の存在をありがたいと感じていた。
「ええと…」
 ちらりと時間割を見た。次は国語である。
「国語だよ」
「あ、そっか。漢字テストでもあるかな…」
「うわ、いただけないな…」
 文の言葉に美海はそんな言葉を返した。
 それでも頭の中では、樹のことを考えている美海自分がいるのだった。

 国語、体育、英語が終わり…清掃も、午後のショートホームルームも終了した。
 …3時50分。
 もうすぐ、本部会が始まる。
 樹の姿は教室になかった。
 もしかしたら、既に本部会室のほうにいるのかもしれない。
 ドクン
 ――そう考えた途端、胸が高鳴ったような気がした。
 これまでに、本部役員会は何度かやったことがあるのに。
 ちなみに本部役員というのは本部会長、副本部会長(男女1名ずつ)、議長、副議長(学年で1名ずつ)、書記(2名)、会計(2名)、の計10名である。
 そして…いつも、本部会が開かれる時間より前に美海は本部会室に行っていたのだ。
 …今日だけぎりぎりに本部会室に向かうというのも、変に思われるかもしれない。
 美海はそう思うと立ち上がった。
 ――そうだ。案外樹はいないかもしれない。
 美海は、小さく呟いた。
 立ち上がった美海は…微かに、膝が揺れるのを感じた。

 本部役員会が終わったらすぐに帰れるように美海はカバンなども用意して、まだ少し寒いため、制服の上に着てきた上着も羽織る。
 美海はいつもよりのろのろと…重い足取りで本部役員会をする、生徒会室へと向かった。
 ピタリ、とドアの前で止まる。
(なぜ、立ち止まるの)
 美海は自分にそう問いかけた。
 …だが、生徒会室の前に立ちつつも――手を、戸にかけることが出来ない。
(早く。…何をぐずぐずしているの)
 美海はそう思うが、なかなか腕が上がらない。
「あっれー、マキ」
 声に振り返ると、そこには本部会役員…書記の相方でもある、谷口やぐちさとるがそこに立っていた。
「あ、谷口くん」
「グッチかサトルでいいよー。谷口なんて、堅苦しいじゃん」
 そう言うと谷口はへラッと笑った。本部会の人々はこんな具合に、フレンドリーな人が多い。
「ところでマキ、入らないの?」
「え…あ、入るよ」
「そう? なんかさっきから、ずっとそこ立ってるように見えたからさ」
「アハハ」
 美海は笑ってごまかした。グッと、戸に手を掛ける。

「スキよ?」
 ……そこでは。
 机の上に座る――甘く…柔らかく微笑んだ美波と、椅子に座っている…僅かに苦笑を浮かべた樹が。
「…美波…お前…なぁ…」

 ――ラブラブシーンを繰り広げていた。

「…谷口くん、ごめん」
「へ?」
 谷口は美海の言葉を聞き返した。
「あたし、用事を思いだしたわ。…帰る」
「え? あ…そう?」
 美海は本部室を出た途端、走り出す。
 ――昇降口までのほんの少しの距離が、美海にはひどく遠く感じられた。

 
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