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第7章

 息を吸って、吐き出した。
 …泣くまい、と思った。泣くことではない、と自分に言い聞かせた。
 美海はそう思ってから、小さく呟く。
「…泣いてるし…」
 言って、手の甲でぐいぐいと目もとを拭う。
 …拭っても、拭っても、涙は留まることを知らない。

「美波、か」
 呼び捨てで、その名を呼んでいたことを思い出す。
「…美波と付き合ってたのか」
 自分に言い聞かせるように、白い息と共に吐き出した言葉。
 涙が、熱い。頬が、冷たい。
「…知らなかったなぁ」
 すれ違う人が、時折振り返る。
 美海のもらす独り言のせいか、涙のせいか。
 …そんなこと、美海はどうでも良かったけれど。
 バス停に着くと、美海はただ1人で立っていた。…なぜならば。
「バス、行っちゃったし…」
 小さく、遠ざかっていくバスを見ながら、美海は1人呟く。
 バスは、約1時間に1本しかない。なかなか田舎なのだ。ここら辺は。
 この寒さは、頭を冷やすのにちょうどいいと美海は思った。
 待合所として設置されたベンチに座り、ぼーっと夕方めいた空を見つめた。夕日帯びた太陽が少し眩しい。
 ――泣くことなどないと。
 そう思うのに。
「ああ…もう…っ」
 鼻をすすった。
 涙はいまだ、止まらなくて。
 美海は大きく息を吸い込み、吐き出す。
 美海は、瞳を閉じて今日のことを思い出す。
 科学室に向かう途中…美海が飲んだ後、まるで気にすることもなくストローに口をつけた樹。
 …間接キスだ、なんて焦って…意識したのは美海自分ばかりだったようで。
 ――そういえば…今日、美波に『裏切り者』と言われた。
 ソレは――美波が樹と付き合っていて、そんな樹を美海が好きな素振りを見せたから…だったのだろうか。

「あたし…」
 言葉を区切りぐしゃりと前髪を掴む。
「――好きになってたのかな?」
 相手の名は、言わなかった。
 小さく呟いた言葉は、白い息となって消える。
 涙に濡れた頬が、手も濡らす。

「…っ、誰――を?」
 その時――声がした。
 どくんと、胸が高鳴る。
 それは…その、声は。

 美海はゆっくりと目を開いた。
 まさか、と思いながら――振り返る。
 …自分が涙を流していたことを、美海は忘れてしまっていた。
「…誰っ――…をっ?」
 肩で息をしつつ、彼は続けた。
 …瞳を閉じて思いだしていた相手が、そこにいた。
 樹が、そこにいた。

「…え?」
 樹の言う疑問の意味がわからず、美海は問い返す。
 ふと、風が吹いた。
 ――頬に、痛みとも言える冷たさを感じた。
(そうだ…あたし…っ)
 美海は自分が涙を流していたことを今更思いだし、慌てて顔を伏せる。
「…牧村っ…さんっ」
 樹の息は、いまだあがっているらしい。声が途切れ途切れだ。
 美海の肩に、樹の手が触れる。
 ――ただ、それだけ。それだけなのに。
「…っ!!」
 頭に血が上っていくのを感じる。
 触れられた肩に、血が集まるような。…なんとも、言い難いもの。
「…っ、…!」
 言葉にならないまま、美海は慌てた。――今も、顔を上げることはできないまま。
「どしたの、牧村さん」
 美海の反応に少しだけ笑いながら、樹は言った。樹の呼吸は、先程に比べれば大分落ち着いた様子だ。
 美海は「…えぇっと…」と、言葉を探した。――何を言えばいいのか。
 …そうだ。
「本部会…は、いいの?」
 人のこと言えないけど、と美海は小さく付け加えた。
「…んー、まぁ、ねぇ?」
 樹は美海の隣に腰を下ろした。
 美海はハンカチをとりだし、涙を拭く。
 大きく息を吸って、吐いて――。
「ところでさ」
 …全然、深呼吸の効果がない。美海の鼓動は早いままだ。
 ハンカチで頬の涙を拭くと…まだ目が潤んでいるような気はしたが、ひとまず溢れないようになった。
「…牧村さん?」
「はいっ?!」
 樹の呼びかけに顔を上げて応じたが、その声の裏返る。美海は自分の妙な声に余計に赤面してしまう。
「…あ、あの、さぁ」
 樹は何故か、ややどもった。
 …なぜ、樹の声がどもるのだろう?
 美海はそんなことをふと思った。
 別に、樹がどもる…焦るような理由が思いつかない。
「…さっき、1回…本部会室に、来たよ、ね?」
 途切れ途切れの言葉。
 気のせいでなければ、樹の目は泳いでいる。
 …目を泳がすべきなのは…妙な声やら赤面やら、で視線を定められないのは、美海のほうだ。
「……うん、顔を出したよ」
 嘘を言っても仕方がない。美海は素直に頷いた。
 頷いて、そのまま樹から視線を逸らした。
 ――泣いていたことが、バッチリ見られてしまった。

「……その時に、さ」
 美海は樹の言葉を聞きながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
 ――ああ、と思った。
 やっぱり自分は、と。
 そう思いながら…美波の姿が脳裏に横ぎり――胸が、ずきりと痛んだ。

 
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