息を吸って、吐き出した。
…泣くまい、と思った。泣くことではない、と自分に言い聞かせた。
美海はそう思ってから、小さく呟く。
「…泣いてるし…」
言って、手の甲でぐいぐいと目もとを拭う。
…拭っても、拭っても、涙は留まることを知らない。
「美波、か」
呼び捨てで、その名を呼んでいたことを思い出す。
「…美波と付き合ってたのか」
自分に言い聞かせるように、白い息と共に吐き出した言葉。
涙が、熱い。頬が、冷たい。
「…知らなかったなぁ」
すれ違う人が、時折振り返る。
美海のもらす独り言のせいか、涙のせいか。
…そんなこと、美海はどうでも良かったけれど。
バス停に着くと、美海はただ1人で立っていた。…なぜならば。
「バス、行っちゃったし…」
小さく、遠ざかっていくバスを見ながら、美海は1人呟く。
バスは、約1時間に1本しかない。なかなか田舎なのだ。ここら辺は。
この寒さは、頭を冷やすのにちょうどいいと美海は思った。
待合所として設置されたベンチに座り、ぼーっと夕方めいた空を見つめた。夕日帯びた太陽が少し眩しい。
――泣くことなどないと。
そう思うのに。
「ああ…もう…っ」
鼻をすすった。
涙はいまだ、止まらなくて。
美海は大きく息を吸い込み、吐き出す。
美海は、瞳を閉じて今日のことを思い出す。
科学室に向かう途中…美海が飲んだ後、まるで気にすることもなくストローに口をつけた樹。
…間接キスだ、なんて焦って…意識したのは美海ばかりだったようで。
――そういえば…今日、美波に『裏切り者』と言われた。
ソレは――美波が樹と付き合っていて、そんな樹を美海が好きな素振りを見せたから…だったのだろうか。
「あたし…」
言葉を区切りぐしゃりと前髪を掴む。
「――好きになってたのかな?」
相手の名は、言わなかった。
小さく呟いた言葉は、白い息となって消える。
涙に濡れた頬が、手も濡らす。
「…っ、誰――を?」
その時――声がした。
どくんと、胸が高鳴る。
それは…その、声は。
美海はゆっくりと目を開いた。
まさか、と思いながら――振り返る。
…自分が涙を流していたことを、美海は忘れてしまっていた。
「…誰っ――…をっ?」
肩で息をしつつ、彼は続けた。
…瞳を閉じて思いだしていた相手が、そこにいた。
樹が、そこにいた。
「…え?」
樹の言う疑問の意味がわからず、美海は問い返す。
ふと、風が吹いた。
――頬に、痛みとも言える冷たさを感じた。
(そうだ…あたし…っ)
美海は自分が涙を流していたことを今更思いだし、慌てて顔を伏せる。
「…牧村っ…さんっ」
樹の息は、いまだあがっているらしい。声が途切れ途切れだ。
美海の肩に、樹の手が触れる。
――ただ、それだけ。それだけなのに。
「…っ!!」
頭に血が上っていくのを感じる。
触れられた肩に、血が集まるような。…なんとも、言い難いもの。
「…っ、…!」
言葉にならないまま、美海は慌てた。――今も、顔を上げることはできないまま。
「どしたの、牧村さん」
美海の反応に少しだけ笑いながら、樹は言った。樹の呼吸は、先程に比べれば大分落ち着いた様子だ。
美海は「…えぇっと…」と、言葉を探した。――何を言えばいいのか。
…そうだ。
「本部会…は、いいの?」
人のこと言えないけど、と美海は小さく付け加えた。
「…んー、まぁ、ねぇ?」
樹は美海の隣に腰を下ろした。
美海はハンカチをとりだし、涙を拭く。
大きく息を吸って、吐いて――。
「ところでさ」
…全然、深呼吸の効果がない。美海の鼓動は早いままだ。
ハンカチで頬の涙を拭くと…まだ目が潤んでいるような気はしたが、ひとまず溢れないようになった。
「…牧村さん?」
「はいっ?!」
樹の呼びかけに顔を上げて応じたが、その声の裏返る。美海は自分の妙な声に余計に赤面してしまう。
「…あ、あの、さぁ」
樹は何故か、ややどもった。
…なぜ、樹の声がどもるのだろう?
美海はそんなことをふと思った。
別に、樹がどもる…焦るような理由が思いつかない。
「…さっき、1回…本部会室に、来たよ、ね?」
途切れ途切れの言葉。
気のせいでなければ、樹の目は泳いでいる。
…目を泳がすべきなのは…妙な声やら赤面やら、で視線を定められないのは、美海のほうだ。
「……うん、顔を出したよ」
嘘を言っても仕方がない。美海は素直に頷いた。
頷いて、そのまま樹から視線を逸らした。
――泣いていたことが、バッチリ見られてしまった。
「……その時に、さ」
美海は樹の言葉を聞きながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
――ああ、と思った。
やっぱり自分は、と。
そう思いながら…美波の姿が脳裏に横ぎり――胸が、ずきりと痛んだ。