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九、告白−ⅰ

「『…――から…っ』」
 ――呟くような声が、聞こえる。
 …それは小さな、よっちゃんの声。
 あべっちはよっちゃんのすぐ近くに膝をつけて、呟く言葉を聞いている。
 シャラシャラと鳴る小さなモノ…独鈷どっこを、よっちゃんの心臓の真上くらいに置きながら…。

 あたしとトシは、そんな様子をただ、見ていた。
 近付いてもいいのか、あたしには…あたし達には、わからなかったから。
「『…かった…』」
 所々聞こえる、よっちゃんの…あくりょうの、声。
 ふと、思った。
(…もしかして…)
 よっちゃんの声がよく聞こえないのは、呟く声が小さいから…だけじゃなくて。
(泣いてる…?)
 あたしは思わずトシのほうを見つめる。
 トシも、あたしを見つめる。
 どちらからともなく頷きあって、足を踏み出した。

「…ああ。…それで?」
 あたしは黙ったままあべっちの隣に立った。お尻を地面につけないようにしながら、しゃがみこむ。
 あべっちは一瞬こっちを見て、すぐによっちゃんのほうに向き直った。
「『憎らしかったんだ…』」
 トシも、あべっちの隣に立つ。
 水に濡れたよっちゃんはその場に仰向けになって、目元を手で覆っている。
 あたしはよっちゃんの手の隙間から光るものを見た。
 水に濡れて光っているわけじゃなくて…よっちゃんは、涙を流していた。
「『告げることを、許されているのに…』」
 よっちゃんは、まだ言葉を続けていた。
 あたしは心の中で繰り返す。
(…告げることを、許されている?)
「『おれは…言いたくとも、言えなかった…。想いも…否定することしかできなかった…。こいつは…両方とも、許されているのに…』」
 言ってる内容は、最初から聞いてなかったから正直、よくわからない。
 ――内容よりも…あたしは、よっちゃんの流す涙に思考が奪われる。
 …よっちゃんの涙は初めて見た気がした。
 友達が泣いてるのを見て、あたしも、切なくなる。

「『……言いたかった……』」
 よっちゃんがそう言うと、あべっちは小さく問いかけた。
「どうすれば、癒される?」
「『……わからない』」
 よっちゃんはそう言う。あべっちは無理矢理言葉を続けさせるようなことはなく、しばらくの沈黙があって…よっちゃんが一つ息を吐き出した。
「『…ああ、もしも…』」
 ――おれの口から…あの人に、この想いを伝えることができたなら。
 よっちゃんがそう、小さく続けた。
「『逝けるかも…しれない』」
 あべっちとよっちゃんの会話に割り込んでいいのかわからなくて、ただ二人の会話を聞く。『いける』っていうのが『逝ける』だと…此処からいなくなることだと、なんとなくわかった。
「――――」
 あべっちが独鈷を握っていない手を伸ばすと、よっちゃんの目元を覆いながら何かを言う。
「…言っていいぞ」
 吐息と一緒に、思わず零れたような小さな声。
「『…え…?』」
 よっちゃんの声が掠れ気味のまま、聞き返す。

「言ってもいい。――その想いから解放されていい」
 ――お前を縛るモノは、何もないのだから。

 あべっちの言葉によっちゃんは口を開けて…言おうとして、次に口を閉じて…言うのをためらった。
 …何を言おうとして、言えないのかな?
 あべっちは再び口を開いた。優しく、後押しをするように。
「…言って、いいぞ。…芳次よしつぐ
 あべっちが『よしつぐ』と言ったとき。
 よっちゃんは深い呼吸をした、と思った。
 小さな声で…でも、なんて言うのかな。全ての、気持ちを込めたような声で、言った。
「『……りつどのが…好きでした』」
「…本当に?」
 あべっちがそう問いかけると、よっちゃんは頷く。
「『……今でも……好きです』」

・ ・ ・

「……霊って、いるんだね」
 今更かもしれないけど、あたしは呟いた。
「ってか、阿部はいつヨシに悪霊がくっついてるって思ったんだ?」
「…くっついてる…」
 あべっちはトシの言い方にちょっとの間を置いてから、答える。
「彼の前に――李花に、よくないモノが憑いていたのが見えた」
「え゛ぇえっ?!」
 ――あたし?!
 思わず勝手に声が出た。あべっちはこっくり頷く。フツーに。
「先月…中間テストの頃から時折、見えた」
「ぎぃやぁー!!」
 騒ぐあたしにトシが「落ち着け」と脳天チョップを落とす。軽いヤツだからそんなに痛くはないけど、パニックは治まらない。
「ああああああべっち、今は? 今は???」
「いない」
 すぱっと言いきってくれたあべっちにあたしは大きく息を吐き出す。
「李花に憑いていたのは霊というか…思念、だな。そういうものは普段の生活の中でも憑く場合があるから…」
 意味もなく気分が落ち込むこととかあるだろう? とあべっちは一例を示した。
「…ただ、李花に憑いていたのがちょくちょく見えたから…李花の家族…あるいは身近な友人によくないモノが憑いていたのか、とは思っていた」
 あべっちのことばにあたしは「ひぇー…」と妙な声が出る。
 …そうか、あべっちが何度か『大丈夫か?』って訊いてくれたのって、もしかしたらそう思って、気にしてくれてたのかな。

 「あ」とトシが声を上げる。「そういえば」とあべっちに続けた。
「阿部、李花に『ゴミがついてる』とか言って払ってたけど…」
 トシはそこで一旦言葉を区切る。
 …そういえばあべっち、遊びに行って話してる時パタパタあたしの肩とか払ってくれてたな…って…。
(……もしかし、て…)
 イヤな予感がする。あたしはなんとなくあべっちに顔を向けると、トシが言葉を続けた。
「アレって、もしかしてその『よくないモノ』を払ってた、のか?」
 あべっちはあっさり「そうだな」と頷く。
「のおおおおぉぉぉぉっ!!!」
 あたしはほっぺを挟んで両肩を見た。…当然ながら何も見えない。
 叫ぶ(騒ぐ?)あたしにトシは「今はいないって言ってただろうが」と、脳天チョップ再び。
「ト、トシはあべっちに「なんか憑いてる」とか言われてないから!!」
 あたしはトシに言い返す。
「憑いてたって、ヨシはともかく李花は変わんなかっただろーが」
 あべっちが口を挟むことはしない。
「……あれ、そういえばそうだね」
 トシの言葉に「あれ?」って思った。
「――李花に憑いていたのは『思念』のような『気配』みたいなモノだからな。悪霊自体ではなかったから」
 落ち着いてるあべっちの口調のおかげか、あたしもなんとなく落ち着いて「…あ、そうなんだ…」と言える。
「そんなに恐れる必要はない。…まぁ…彼のように行動まで奪われるようになれば危険だが…心を正常に保てば、簡単に悪霊に憑かれるようなことはない」
 あべっちが小さく「場合にもよるが」と言っていたのはあたしには聞こえなかった。

 トシが思いついたように「ところでさ」と口を開いた。
「ヨシについてたヤツはどういうわけでヨシにくっついたんだ?」
「…くっついた…」
 あべっちはトシの『くっついた』発言にまたひっかかりながらも、説明してくれた。
 ちなみによっちゃんは(あべっちいわく)『悪霊を体内におさめていて疲労しているため、眠っている』とのこと(なんにせよ、寝てるんだ)。
「…戦国時代に、1人の男がいた。その男が、とり憑いていた」
 あべっちがそこで言葉を止める。
「…それ、俺の求める答えじゃない…」
 トシは、そう言った。
「…ええと、だな」

 …あべっちが言うには。
 戦国時代に1人の男の人(その人の名前が『よしつぐ』なんだって)が敵方のお姫様が好きだったんだけど、何しろ敵同士で、味方を裏切ることはできなくて、ついでに裏切った思われるのがイヤで、『好き』って言うことができなかった。
(…なんか『ロミオとジュリエット』みたいな話だよね)
 あべっちの話を聞きながら、そんなことを思う。

『おれは…言いたくとも、言えなかった…。想いも…否定することしかできなかった…。こいつは…両方とも、許されているのに…』
 ――よっちゃんに憑いていたっていうあくりょう…よしつぐって人が、そう言っていたことを思い出す。
 言いたくても言えなかった。…自分の気持ちを、否定することしかできなかった。
 苦しくて、辛くて…でも、誰かのせいにも出来なくて。
 そんな思いのまま――お姫様が亡くなって、よしつぐって人もここら辺で亡くなって…想いが留まったまま、逝くことができなかった。
(…って聞くと、裏山ここに1人じゃ来れないなぁ…っ)
 で、よっちゃんが来た時にとり憑いた…って感じらしい。

 
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