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三、白昼夢ゆめ

「おはよー…」
 教室に入って、いつも探してしまう一人の男の子。
 席は…まぁ、半分くらいうまってるかな。
(あ、いた)
 黒髪を一つにまとめてある後ろ姿。
 …思わず、確認してしまう。
 あべっちは中学の時もそうだったけど、相変わらず学校に来るのが早いみたいだ。
 あたしが教室に入る時、あべっちが教室にいなかったことは数えるくらいしかない。
 大抵、席について外を見ている。
 あたしの席は前から2番目で窓側から1番目。
 あべっちの席はあたしの前。
 2年生になってからずっと…いまだに名簿番号順の席順なんだよねぇ…まぁ、いいけど。
 ――あ! そうそう。
 中学の時はよっちゃんと同じクラスだったんだけど、今はあべっちとユウ…それから真純ちゃんと同じ2組!!
 …残念ながらよっちゃんとは違うクラスになっちゃったんだよなぁ。
 あと、トシとも同じクラスになれなかった…。残念。
 よっちゃんとトシは同じクラスになってたんだけど。
 ――それはさておき。

「あべっち、おはよう!」
 声をかけると、あべっちは視線を窓の外からこちらに変えた。
「おはよう、李花」
 ふわりと僅かに浮かべる笑顔。
 …今日もキレイだなぁ…、って改めて思う。
 いつ見ても、何度見ても、見惚れちゃうよ。
 あたしは席についた。
(…えぇと…今日は…)
 時間割をチェックする。
 ――うん、忘れ物はないみたいだ。
「…あ…ふぅ…」
 確認が終わると、あたしは大きなあくびをした。
 ――眠い…なぁ…。
(でも…)
 あたしは夢のことを思って息を吐く。振り払うように、頭を振った。

「…李花」

 あたしは手で口を覆いつつ、あべっちに「何?」と応じた。
 また出たあくびのせいで、「ふぁに?」みたいな感じになっちゃったけど。
「…この間も言ったが…やはり、顔色がよくないんじゃないか?」
 あたしはあべっちの言葉に、目を擦りつつ考える。
(…この間…あ、遊園地に行ったときか)
「大丈夫、大丈夫!」
 目を擦ってた右手の親指をビシッと立てた。「本当か?」みたいな視線のあべっちに、あたしは続ける。
「この頃…ね。ちょっと、寝不足なんだ」
 ――心配かけちゃ、駄目だ。
(あんな夢…見てるなんて言っちゃ、駄目だ)

 …あたしは…

「寝不足? …テスト勉強でもしてるのか?」
 期末テストが、6月の末にある。残り1ヶ月は切った。
 そんな切り返しに「あべっち…それは言っちゃ、駄目」と手をひらひらと振る。

 …あんな願望をもってるのだろうか?

 血の色で…赤く染まる人。
 大切な人達。
 ――あたしが、夢の中でみんなを傷つける。

 あたしは『夢』を思い出して、視線を落とした。
 笑って…笑うんだ、自分。
 ――あべっちに心配をかけちゃいけない。

「眠い〜…」
 あたしは机にうつぶせる。
 …あべっちの手のひらが、あたしの頭をそっと撫でた。
 ――優しい手…。
 瞳を閉じる。

 ――あたしは、恐れてるんだ。
 みんなに嫌われることを。
 あんな夢を見る…あたしからみんなが、離れていくことを。

 あんなことを…あたしは、望んでいるのかな。
 ――違う。絶対に、違う。絶対に…!
 そう、思うのに。
 …どうして、夢が変わらないんだろう。
 どうして…あんな夢を見続けるんだろう…。

 明日から、6月。
 でも、梅雨入りはまだで。
 開いた窓から時折入り込む風が気持ちよくて。
 …お日様も、それなりで。

 この頃は…眠るのが怖くて。夢を見るのが、怖くて。
 …だけど、今は。
 あべっちの優しい手のおかげか…あたしはとろりと眠り誘われた。

・ ・ ・

 ――タ……ン
 …ポ…タ――

(…?)
 何の…音?
 水――水かな? 何か、滴り落ちるみたいな音…。

 ――タ……ン …ポ…タ――

 辺りは、闇だ。
 …ここは、どこだろう?
 暗くて、何も見えないよ…。
(…本当の、闇…)
 今は夜だって、外灯とかあるしこんなに暗くない…。

『――闇…?』

(え?)
 今、声がした…?
 どこから、だろう? こう暗いと…。

『――どこが、暗い…?』

(…え…?)
 あたしの声に…ううん、心に答えるように、声が聞こえる。
 そして。
『――闇じゃ、ないだろう…?』
 立っているのか、座っているのか。
『――暗くは、ないだろう…?』
 目を閉じているのか…開いているのか。
『――よく、見るんだ…』
 ――自分が今、どういう状態かわからない…。

『――目を開け。…和泉李花…』

(闇…――闇…?)
 あたしは、ふと辺りを見渡した。
(――闇…?)
 …あたしが、闇だと思ったのは…。

・ ・ ・

「…ぁあっ!!」
 ガバッ…と、起き上がる。
「…? ……」
 心臓がドキドキする…。
 息…あがってる…。
「――李花ぁ? おい、大丈夫か?」

 目前に現れたのはトシ…で…。
「ぅああああああああああっ!!!」
 あたしは、叫んでしまった。
「…っだぁっ!!」
 ――だって!

 ――だって!!

 トシが…赤く染まってた!
 ――夢の中…闇だと思ったのは――幾重にもなった『赤』で…。
 血の色に、血塗れになったトシが…赤く…赤く…染まって…!

「…か…おい、李花!」
「ぃやあああああああああっっっ!!!」
 なんで、どうして?!
 あたしは、目が覚めたはずだ。
 …今は夢ではないはずだ!
 現実で起きちゃいけないことだ!!
 なのに…なんで、どうして!!
 トシが血に染まってるの?!

「…か…おい、李花!」
 トシの呼ぶ声は、あたしの耳を素通りして届かなかった。
 ただ、混乱する。
 ドウシテ
 ナンデ
「あああああああああっっっ!!!」

 ――パンッ!!

「……」
 ――突然…頭が、真っ白になった…。
「如月!」
 それから、頬が痛くなって…。

 あたしは瞬く。
「――ト…シ?」
 ほっとしたような顔のトシが映った。
 …それから…他にも、ユウ…真純ちゃん…あべっち…。
「――赤く…ない…」
 あたしは思わず呟いた。
 あたしの目に映ったのは、トシで…赤くなんか、染まってなくて…。
「…如月」
 血の色なんかじゃなくて…。
「何で殴った…」
 夢の通りじゃ、なくて…。
「正気に戻ったじゃないか」
 あべっちがユウに低く問いかける声が聞こえた。
「――…李花?!」
 真純ちゃんが、あたしの名を呼ぶと一斉に視線が集まる。
「――え?」
 みんなの視線があたしの顔で止まった。
「…痛かったか?」
 ユウが、あたしにそう問う。
 あたしは、首を横に振った。
 ――いや、まぁ…全然痛くなかった、と言えばウソになるかもしれないけど。
 頬の痛みは、ユウがあたしを叩いたからだと今更気付く。
 …痛みの衝撃で、あたしは『現実いま』に戻ってこれた。
「り…李花が…」
 トシの言葉に、あたしは視線をトシに向ける。瞬時に、トシの表情が強張った。
「泣いてるーっ!」
(…へ?)
 トシの言葉を、あたしは自分の中で繰り返した。
 李花が――あたしが、ないてる…?
 そっと、頬に触れた。
 …あたしの頬は、液体何かで濡れていた。

「り…李花…」
 あたしは涙をぬぐった。
 ――なのに、ぬぐっても、ぬぐっても、涙が止まらない。
「李花…」
「り、李花…」
「李花ぁ」
 あべっち、真純ちゃん、トシ…が、オロオロしてるのがわかる。
 …と。

「お! ち! つけ」

 ――ユウの行動に、涙がひっこんだ。
「…いて…」
 『お!』で、トシがユウにチョップをくらって…。
「――如月…」
 『ち!』で、あべっちもユウからチョップをくらって…。
「う、うん…」
 『つけ』で、ユウは真純ちゃんの両肩にポンと手を置いた。

「…如月、殴ることないじゃん」
 トシはそう言ってペシッとチョップをやり返した。
「いや、まぁ、落ち着けるのが先決かな、と」
「…如月、おれに喧嘩を売ってるのか?」
 あべっちの言葉にユウは「まさか」と笑顔で応じる。
「なんにせよ、李花の涙も引っ込んだし? ヨシとしとこーぜ」
 ユウに視線を向けていた真純ちゃんは視線をこちらに戻した。
「…李花は…もう、落ち着いたみたいね」
 思わず口が緩んで笑っていたあたしに、真純ちゃんは言いながら軽く頬をつねる。
「心配したんだからね」
「ん…ごめん。みんな」
 …いまだに真純ちゃんに頬をつねられてるからモゴモゴって感じだけど。
「っつーかビビったぜ? どうしたんだよ、李花」
 頬が真純ちゃんから解放されて。
 次はトシにそう言われながら鼻をつねられた。
 …まぁ、すぐにその手から解放されたけどさ。

 きちんと、笑おうと思った。
 あたしの好きな人たちに、心配をかけたくない。
 …あたしの見る夢を、知られたくない…。
「李花」
 あべっちはあたしの名を呼んだ。
 あたしは視線をあべっちに向ける。
「…どうした?」
「――え?」
 黒く澄んだ、あべっちの瞳。
 今朝も思ったけど…あべっちはキレイだな、なんてことを思ったりする。
「この頃、様子がおかしいことは知っている」
 あべっちはそう言い、
「…この頃、目の下にクマがいることもあるしな、お前」
 トシはそう続けた。
「気のせいか、なんとなくやつれてるっぽいしね」
 真純ちゃんは腕を組んで、こっちを見る。
「…松井も、心配してたぞ」
 ユウはそう言って、首を傾げた。
「そういう如月は?」
 という真純ちゃんの言葉にユウは「まぁ、それなりに」と言った。
「言う気にはなれないか、李花」
 みんな、あたしを心配してくれてることがわかって。
 嬉しかった。すごく。
「…ありがとう…みんな」
 言えば、あの夢は去るだろうか。
 ――言って、みんなはあたしの元から去ってしまわないだろうか。
 そんなことをグルグルと思う。
 …突然、真純ちゃんは、あたしの頬をつねった。
「言うだけ、言いなよ」
 あたしは瞬きをした。
「――そんな表情かおして、一人悩んでるくらいなら」
 栗色のストレートの髪が、一束サラリと零れた。
 真っ直ぐな視線と、声と。
(…真純ちゃん…カッコイイ…)
 そんなことを思う。
 美人さんなのに…って関係ない?
 そんなことを考えていたあたしに――
「…李花」
 あべっちが後押しするように名を呼ぶ。
 その時、チャイムが鳴った。
「……」
 ――あたしは、言えなかった。
 でも…だけど…。

・ ・ ・

 放課後になった。
 ユウは帰って、トシは部活で…よっちゃんが来た。
 よっちゃんと真純ちゃんとあべっちが話をしてる。
(緊張する…なぁ…)
 ゆっくりと、瞬きをした。
 ゆっくりと、呼吸をした。
「…あの、ね…」

 三人は振り返る。
 ――あたしは、夢のことを、告げた。

 
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