チャイムが、鳴った。
「…?」
おれは、振り返る。
未だに名簿番号順のままの席順で、『阿部』のおれが一番、二番は『和泉』……李花、なのだが。
一時間目が始まるというのに、李花が来ない。
(…休み、か?)
昨日のことを思い出し、なんだか嫌な予感がする。
(――いや…とうとう体力がもたなくなった…のか?)
そう考えようとするが、なかなかそう、思い込むことができない。
(…くそっ)
ぐっと髪をかきむしる。
昨日、理科が悪夢を見るかもしれない原因…その元となりそうな依代を探すことを手伝えればよかったんだが…。用事があって、手伝いには行けなかった。
「李花のことが心配なの?」
――その時。
右隣から、からかうような…というかむしろ、からかっているんだろう。
如月の声が、おれの耳に届いた。
「んもう、あべっちったら!」
「…如月…」
担任は、まだ来てない。
「喧嘩を売っているのか…?」
立ち上がり、如月に近づく。顔だけこちらを向けている如月の胸元をつかもうとしたが、逃げられる。
「あべっちコワーイ」
――コイツとは馬が合わない。
「ホレ、担任きたぞ」
担任を指さしながら、如月は言った。…如月とはとことん、馬が合わない。
「…いまだに麻利亜につきまとってるんだってな?」
ボソリと呟きをもらす。
如月はぎくりとした様子もなく…むしろ、飄々と答えた。
「だって俺、麻利亜ちゃんのこと愛しちゃってるし」
「そんなことが理由になるか…」
――ったく…。
あぁ…ちなみに麻利亜とは、おれの一つ年下の従妹だ。
李花曰く、おれに似ているらしいが…。
それはさておき。
(俊一か松井なら、李花が休んだ理由がわかるか? …あぁ、藤崎でもいいか…)
おれの中で思考が巡る。
ホームルームが終わり、おれは立ち上がった。
藤崎なら李花が休んでいる理由がわかるかと思ったからだ。
「李花? なんでかは知らないけど…休みみたいね」
藤崎の答えに「理由はわからないか」と重ねて尋ねる。
「うん、わたしは連絡もらったわけじゃないし…」
「そうか…」
ずっとよく眠れない、と言っていたし…体力がもたなくなっただけだろうか?
(しかし、昨日の今日だしな…)
思考に耽るおれに、「李花のこと、心配?」という藤崎の問いかけが届いた。
思考が漏れていたのか、と思えるその問いかけに多少驚きつつも、嘘を吐くような理由もない。
「…まぁ、な」
肯定したおれに藤崎は「正直だね」と、そう言って笑った。
藤崎の方が腹が立たないが…藤崎と如月は同類だと考える。
・ ・ ・
昼休み。
「李花が休み?」
昼食を終え、こちらの教室に遊びに来た…というか、本来なら李花の顔を見に来たであろう…俊一は言った。
「明日はヤリか?」と続ける。
「…道理で朝から顔を見ないはずだな」
そう、松井は呟いた。
「しかしヤリが降ったら死ぬだろう」と続ける。
「三人して落ち込んでんなよ」
…と、如月が入り込んできた。
「おはよっす、ユウ」
…今は、『おはよう』の時間か? と、思うが…とりあえず、何も言わない。
「ハヨ」
如月は俊一と松井、それぞれと挨拶を交わした。
「そういえばユウは、帰るの早いんだってな? なんでだ?」
昨日、李花から聞いた言葉でも思い返したのか、俊一は如月に問いかけた。
「それはだ。毎日愛しの麻利亜ちゃんをお送りするためだ」
如月は右手を胸の上にのせ、答えた。
…麻利亜は箕浦学園ではなく、同じ町内の、別の浦野学園に通っている。
如月はそんな麻利亜の送り迎えをしているらしいが…。
麻利亜に「どうにかしてくれ」と言われているんだが、おれは未だに何もできていない。
「…愛しの、か」
松井はつぶやく。…おれの、如月の胸元をねらう手を制して。
「愛、だねぇ…」
俊一は両手を組んで言った。…おれの中で多少の殺意が芽生える。
「いいじゃないか。お前達は『李花と愉快な仲間』なんだから」
わけのわからん如月の言葉を聞きつつ一つ息を吐き出した。
どうにか、自分の中の微かな殺意を振り払う。
「ワケがわからないぞ、それは」
おれが落ち着いたことがわかったのか、松井はおれの手を制する手を緩めながら言った。
「しかもその『愉快な仲間』には当然のように入ってるぞ、如月」
笑いつつ言った俊一に「…そうだったのか」と、「それは衝撃だ」と全く衝撃のない面をして両手をうつ如月。
…ニ、三発、心置きなく殴ってみたいものだ。
一応、やらないが。
(――今は、まだ)
ふと、如月が俺に視線を向ける。
言葉にしないまま、視線だけで「なんだ」と問いかけた。
「阿部。何か、物騒な事を考えていないか?」
おれの剣呑な思考に気付いたのか、如月はそんなことを言ってきた。
…如月はなかなか鋭い。
「――さぁな」
おれは応じた。
「しかし…李花が休みとはな。初めてじゃないか?」
松井はそう、呟く。
「そういえば…そうかもな。中学のときは休まなかったし」
俊一は松井の言葉に頷いた。
そういえばそうだったか、とおれはどこかぼんやりと思う。
「…とうとう体力が切れた、かな?」
俊一はそう言ってため息をついた。「さっさと解放されるといいな」という俊一の意見には、おれも同感だ。
…李花は、どうすれば悪夢から解放されるだろう。
我知らずこぼれる、ため息。…その時。
「ねぇねぇ、阿部君」
…そう、声をかけてくる人間がいた。