おれの名を呼ぶ声に、振り返った。…ちなみに、松井と俊一も、である。
同じクラスの女子4人だった。
…確か…金重、原屋、平松、山本――だったと思ったが。
「さっきさ、和泉サンがどうのこうのって話してたよねぇ?」
最初に声をかけてきた山本はそう言った。
「…あぁ」
実際そうだ。否定する理由もない。
「昨日といえば和泉サン、突然大声出してすっごいビックリした!」
金重はそう言い、「あ〜、あたしも〜」と、原屋が頷く。
「アレ、なんだったの?」
平松が誰にでもなく、問いかけた。
「…夢を見たらしい」
おれはぼそりと呟く。
聞き逃さなかったらしい平松が「あー、寝惚けてたんだ」と、他の3人は「チョーはずかしーねー」などと頷きあう。
…こんなにも親しげに話すほど付き合いがあったか?
――まぁ、別にいいが。
そもそもおれが話す相手が少ない。
今のクラスだと李花、藤崎、…一応如月…くらいじゃないだろうか。
俊一と松井は話す割合が多いかもしれないが、他のクラスだからな。
「寝惚けてたって言えばさぁ、この間宮本くんも寝惚けてたよねぇ。っていうか、寝言言ってた」
「うっそ。マジ?」
「マジマジ」
…なんなんだ…。わざわざここに来てまで話すような内容か?
「――で? 李花がどうしたって?」
如月がそう、山本に問いかけた。
――そう言えば、『さっきさ、和泉サンがどうのこうのって話してたよねぇ?』と、寄ってきた。
…李花のことで、何か気になること…なり、なんなりあるのだろうか。
おれは山本へと視線を移す。
…と、まるで計ったかのように始業のチャイムが鳴った。
「あ、鳴った。じゃな、阿部。如月も」
そう言って、俊一が手を上げる。おれが「あぁ」と頷くと、松井と去った。
「ねぇねぇ、古谷君と松井君、違うクラスだよね?」
「そうそう。確か、3組」
「阿部君たち、仲いいよねぇ」
…チャイムは鳴ったのに、金重、原屋、平松、山本…女子4人は戻らない。
「あ、今日は自習だっ。黒板に書かなきゃ」
そう、原屋は言った。
次の授業は数学だ。――自習だったのか…知らなかった…。
「なんで原屋は、んなコト知ってんだ?」
おれも感じた疑問を如月は問いかける。
「ひっどーい。だってアタシ、数学係だよ」
…あ、そうだったか。忘れていた…。
まぁ、ともかく。自習なら自習でプリントか何かが出るかもしれない。
おれは、席に着いた。
「あ、そうそう。阿部君」
山本は言った。
視線を向けると「ま、授業中でもいっか」人差し指を唇にあて、山本は呟く。
「後でね」
ようやく数学係以外の女子が席に戻るのを眺めた。
「…自習中は、自習をすべきだろう…」
如月は、ボソリと呟いた。
「――とか、思っただろう?」
言いながらニヤリと如月は笑う。
そう思ったのは確かだが、それを肯定するのも癪だ。如月の問いかけにおれは応じない。
とりあえず、席に着いた。
原屋は黒板に『自習。プリント』と書いて、「プリントやってくだーい!」と一番前の席…当然、おれもだ…に列の人数分のプリントを配った。
おれのすぐ後ろの席である李花はいないため、その後ろの江藤にプリントを手渡す。
さっさとやるか、と早速課題プリントを広げた。
「阿・部・君っ」
「……」
(本当に、全く、なんなんだ…)
おれはそう思ったが、どうにかため息を漏らさないようにする。
――如月は何やら此方を見て笑っている。
おれはプリントに視線を向ける。
「ところでさ、和泉さんのこと」
「李花が、どうかしたか?」
李花の名に、思わず顔を上げた。
如月が相変わらずにやにやと、笑いながら此方を見ている。
その視線が煩わしく、視線を再びプリントへと落とした。
「コワイ夢、見てるらしいね。最近、ずっと」
「…ああ」
おれは山本の言葉に頷きながら、問題文を眺めた。
(――…タンジェント…?)
「あるらしいよ」
(――グラフがここの時…って…)
「――…え?」
聞こえた内容に思わず、おれは顔を上げ、山本のほうに体を向ける。
「何が、だ?」
…後ろに立つ3人はなんなんだ。またさっきの面子…金重、原屋、平松が、ただ立っている。
(数学係が、課題をやらなくていいのか?)
「だ〜か〜ら〜」
もう、と山本は口を尖らせた。
「誰かに頼むとね、コワイ夢を見せてくれるんだって」
「誰かに頼むと…?」
繰り返したおれに、「そう」と山本は笑った。
「紙に名前を書いて、置いておくとコワイ夢を見させることができるんだって」
「…それは、本当か?」
サイン、コサイン、タンジェント――数学のプリントなんかよりも重要なことを山本は言った。
「それが、何処かわかるか?」
「あ、ごめーん。それはわからないんだけど…あたし、噂しか聞いたことないしぃ」
「…そうか…」
もしかしたら、李花に逆恨みしている人間が、それを利用して李花に悪夢を見せているのかもしれない…と。そう、おれは考えた。
「もしもまた、そのことについての情報が入ったら教えてくれるか?」
おれの言葉に彼女は笑った。
「もっちろん!」
大きく頷いた山本から、おれはプリントに視線を移す。
…しかし、山本の言葉にばかり思考が偏り、まともに問題を解くことができなかった。
(俊一と…それから、松井に言っておこうか)
あぁ、藤崎にも言うべきか? と考える。
李花を思った。
今日は学校に来ていない李花を。
(さっさと解決すればいいが…)
そう考えて、思い直す。
(さっさと、解決させるぞ)
誰かが李花に対して呪詛をしているというのなら……それを、止めさせる。
他の誰でもない…あの素直で、優しい――友人思いの李花のために。
李花がこれ以上、夢に苦しむことなどないように。
・ ・ ・
「へぇ…そんな話があるんだ」
放課後。
おれは数学の時間に聞いた話を藤崎に告げる。
――李花がいないからか、俊一と松井は教室に来ない。
「藤崎は、そんな噂を聞いたことがあるか?」
おれの問いかけに藤崎は少し考えるような表情をする。
「わたしは、ないわね」
藤崎は一度髪をかきあげるような仕草をして、呟いた。
「誰よ、そんなコトやってるヤツは…」
眉間にしわを寄せ、半ば吐き捨てるように言った藤崎には、噂の元凶に対する苛立ちが見てとれる。「同感だ」とおれは頷いた。
…と、如月がおれの視界に入る。
その襟を、つかんだ。
「――何?」
如月は、そう言って振り返る。…その表情は笑顔だ。
目が笑ってないように見えるが。
「帰るのか?」
「モチロン」
「…麻利亜に言われた。「どうにかしろ」と」
如月は毎日、麻利亜の帰り道の送迎をしているらしい。
朝は、おれが麻利亜と途中まで行くから見たことはないのだが…帰りには、毎日学校に顔を出すのだそうだ。
『どうにかして、まぁちゃん!』
滅多に頼みごとをしてこない従妹…同居しているから『妹』という感覚が強い…の願いに、少しくらい協力してやりたいとは思う。
「帰るなら回り道などするな」
浦野学園の麻利亜の送迎をするとなると、如月は回り道をしていることになる。
…はずだ。如月の家の場所を知らないから、実際のところはどうだかわからないが。
如月は一度、ふと、視線を逸らした。そして次の瞬間…
「阿部、止めてくれるな…! 俺は麻利亜ちゃんとの愛に生きるんだ…!!」
その言葉に、おれの時間が止まった…感覚がした…。
「じゃね、真純ちゃん」
呆然としてしまったのがいけなかったんだろう。
如月はスイ、と通過する。
「阿部もそろそろシスコンを卒業しろよ」
――そう、捨て台詞を残して…。
(…すまない、麻利亜。おれはヤツを止めることができなかった)
しかし、とおれは我知らず、口元に手を引き寄せた。
「阿部ってシスコンなの?」
藤崎は笑いながら、おれに問いかけた。
「……」
シスコンとはなんだ? と、考えていたおれは…藤崎の問いかけに応じることができなかった。