TOP
 

二、ひとつの情報

 おれの名を呼ぶ声に、振り返った。…ちなみに、松井と俊一も、である。
 同じクラスの女子4人だった。
 …確か…金重、原屋、平松、山本――だったと思ったが。
「さっきさ、和泉サンがどうのこうのって話してたよねぇ?」
 最初に声をかけてきた山本はそう言った。
「…あぁ」
 実際そうだ。否定する理由もない。
「昨日といえば和泉サン、突然大声出してすっごいビックリした!」
 金重はそう言い、「あ〜、あたしも〜」と、原屋が頷く。
「アレ、なんだったの?」
 平松が誰にでもなく、問いかけた。
「…夢を見たらしい」
 おれはぼそりと呟く。
 聞き逃さなかったらしい平松が「あー、寝惚けてたんだ」と、他の3人は「チョーはずかしーねー」などと頷きあう。
 …こんなにも親しげに話すほど付き合いがあったか?
 ――まぁ、別にいいが。
 そもそもおれが話す相手が少ない。
 今のクラスだと李花、藤崎、…一応如月…くらいじゃないだろうか。
 俊一と松井は話す割合が多いかもしれないが、他のクラスだからな。
「寝惚けてたって言えばさぁ、この間宮本くんも寝惚けてたよねぇ。っていうか、寝言言ってた」
「うっそ。マジ?」
「マジマジ」
 …なんなんだ…。わざわざここに来てまで話すような内容か?

「――で? 李花がどうしたって?」
 如月がそう、山本に問いかけた。
 ――そう言えば、『さっきさ、和泉サンがどうのこうのって話してたよねぇ?』と、寄ってきた。
 …李花のことで、何か気になること…なり、なんなりあるのだろうか。
 おれは山本へと視線を移す。
 …と、まるで計ったかのように始業のチャイムが鳴った。
「あ、鳴った。じゃな、阿部。如月も」
 そう言って、俊一が手を上げる。おれが「あぁ」と頷くと、松井と去った。

「ねぇねぇ、古谷君と松井君、違うクラスだよね?」
「そうそう。確か、3組」
「阿部君たち、仲いいよねぇ」
 …チャイムは鳴ったのに、金重、原屋、平松、山本…女子4人は戻らない。
「あ、今日は自習だっ。黒板に書かなきゃ」
 そう、原屋は言った。
 次の授業は数学だ。――自習だったのか…知らなかった…。
「なんで原屋は、んなコト知ってんだ?」
 おれも感じた疑問を如月は問いかける。
「ひっどーい。だってアタシ、数学係だよ」
 …あ、そうだったか。忘れていた…。
 まぁ、ともかく。自習なら自習でプリントか何かが出るかもしれない。
 おれは、席に着いた。
「あ、そうそう。阿部君」
 山本は言った。
 視線を向けると「ま、授業中でもいっか」人差し指を唇にあて、山本は呟く。
「後でね」
 ようやく数学係以外の女子が席に戻るのを眺めた。

「…自習中は、自習をすべきだろう…」
 如月は、ボソリと呟いた。
「――とか、思っただろう?」
 言いながらニヤリと如月は笑う。
 そう思ったのは確かだが、それを肯定するのも癪だ。如月の問いかけにおれは応じない。
 とりあえず、席に着いた。

 原屋は黒板に『自習。プリント』と書いて、「プリントやってくだーい!」と一番前の席…当然、おれもだ…に列の人数分のプリントを配った。
 おれのすぐ後ろの席である李花はいないため、その後ろの江藤にプリントを手渡す。
 さっさとやるか、と早速課題プリントを広げた。

「阿・部・君っ」

「……」
(本当に、全く、なんなんだ…)
 おれはそう思ったが、どうにかため息を漏らさないようにする。
 ――如月は何やら此方を見て笑っている。
 おれはプリントに視線を向ける。
「ところでさ、和泉さんのこと」
「李花が、どうかしたか?」
 李花の名に、思わず顔を上げた。
 如月が相変わらずにやにやと、笑いながら此方を見ている。
 その視線が煩わしく、視線を再びプリントへと落とした。
「コワイ夢、見てるらしいね。最近、ずっと」
「…ああ」
 おれは山本の言葉に頷きながら、問題文を眺めた。
(――…タンジェント…?)
「あるらしいよ」
(――グラフがここの時…って…)
「――…え?」
 聞こえた内容に思わず、おれは顔を上げ、山本のほうに体を向ける。
「何が、だ?」
 …後ろに立つ3人はなんなんだ。またさっきの面子…金重、原屋、平松が、ただ立っている。
(数学係が、課題をやらなくていいのか?)
「だ〜か〜ら〜」
 もう、と山本は口を尖らせた。

「誰かに頼むとね、コワイ夢を見せてくれるんだって」

「誰かに頼むと…?」
 繰り返したおれに、「そう」と山本は笑った。
「紙に名前を書いて、置いておくとコワイ夢を見させることができるんだって」
「…それは、本当か?」
 サイン、コサイン、タンジェント――数学のプリントなんかよりも重要なことを山本は言った。
「それが、何処かわかるか?」
「あ、ごめーん。それはわからないんだけど…あたし、噂しか聞いたことないしぃ」
「…そうか…」
 もしかしたら、李花に逆恨みしている人間が、それを利用して李花に悪夢を見せているのかもしれない…と。そう、おれは考えた。
「もしもまた、そのことについての情報が入ったら教えてくれるか?」
 おれの言葉に彼女は笑った。
「もっちろん!」
 大きく頷いた山本から、おれはプリントに視線を移す。
 …しかし、山本の言葉にばかり思考が偏り、まともに問題を解くことができなかった。
(俊一と…それから、松井に言っておこうか)
 あぁ、藤崎にも言うべきか? と考える。

 李花を思った。
 今日は学校に来ていない李花を。
(さっさと解決すればいいが…)
 そう考えて、思い直す。
(さっさと、解決させるぞ)
 誰かが李花に対して呪詛じゅそをしているというのなら……それを、止めさせる。
 他の誰でもない…あの素直で、優しい――友人思いの李花のために。
 李花がこれ以上、夢に苦しむことなどないように。

・ ・ ・

「へぇ…そんな話があるんだ」
 放課後。
 おれは数学の時間に聞いた話を藤崎に告げる。
 ――李花がいないからか、俊一と松井は教室に来ない。
「藤崎は、そんな噂を聞いたことがあるか?」
 おれの問いかけに藤崎は少し考えるような表情をする。
「わたしは、ないわね」
 藤崎は一度髪をかきあげるような仕草をして、呟いた。
「誰よ、そんなコトやってるヤツは…」
 眉間にしわを寄せ、半ば吐き捨てるように言った藤崎には、噂の元凶に対する苛立ちが見てとれる。「同感だ」とおれは頷いた。
 …と、如月がおれの視界に入る。
 その襟を、つかんだ。
「――何?」
 如月は、そう言って振り返る。…その表情は笑顔だ。
 目が笑ってないように見えるが。
「帰るのか?」
「モチロン」
「…麻利亜に言われた。「どうにかしろ」と」

 如月は毎日、麻利亜の帰り道の送迎をしているらしい。
 朝は、おれが麻利亜と途中まで行くから見たことはないのだが…帰りには、毎日学校に顔を出すのだそうだ。
『どうにかして、まぁちゃん!』
 滅多に頼みごとをしてこない従妹いとこ…同居しているから『妹』という感覚が強い…の願いに、少しくらい協力してやりたいとは思う。

「帰るなら回り道などするな」
 浦野学園の麻利亜の送迎をするとなると、如月は回り道をしていることになる。
 …はずだ。如月の家の場所を知らないから、実際のところはどうだかわからないが。
 如月は一度、ふと、視線を逸らした。そして次の瞬間…
「阿部、止めてくれるな…! 俺は麻利亜ちゃんとの愛に生きるんだ…!!」
 その言葉に、おれの時間が止まった…感覚がした…。
「じゃね、真純ちゃん」
 呆然としてしまったのがいけなかったんだろう。
 如月はスイ、と通過する。
「阿部もそろそろシスコンを卒業しろよ」
 ――そう、捨て台詞を残して…。
(…すまない、麻利亜。おれはヤツを止めることができなかった)
 しかし、とおれは我知らず、口元に手を引き寄せた。
「阿部ってシスコンなの?」
 藤崎は笑いながら、おれに問いかけた。
「……」
 シスコンとはなんだ? と、考えていたおれは…藤崎の問いかけに応じることができなかった。

 
TOP