ユーラは『わかった』と彼の主である、アルスタインに言った。言ったからには捜し出し『歌姫』とやらをアルスタインの前に連れてこなければならない。…しかし。
(どこから捜し出せばいいのか…)
ユーラは腕を組み考え込んだ。
二ヶ月前、アルスタインのただ一人の肉親でもあった祖父、フォルオ・ワイオレッドが亡くなった。屋敷の維持は難しく、大きな屋敷はいらないから、とこの機会に引っ越した。
引っ越してからまだひと月で、ここディズカーチには不慣れだったりする。アルスタインの言う『歌姫』も知らない程度に。
(そういえばアルスタイン様は誰から歌姫の話を聞いたのだろう?)
アルスタインはあまり外出をしない。そんな情報を一体どこから入手したというのか。
しばらく考えてからディズカーチに来てから頼むようになった通いのお手伝いさん――ハリウルに思い至った。引っ越したのは大きな家ではないが、少女の主に男一人では何かと手のまわらない部分もあるだろう、と女中を一人雇ったのだ。
(あの人も雑談するのか…)
掃除、料理、洗濯…黙々と作業をこなす五十代後半の口数の少ないハリウルを思い出し、ユーラは少し意外な感じがした。
そんなハリウルは、今日は休みだ。休みの日に家に押し入って「教えてくれ」と言うのは流石に気がひけた。
明日、情報源だと予測されるハリウルに『歌姫』のことを尋ねてもよかったのだができるだけ早く、『歌姫』を見つけ出したかった。
できるだけ早く見つけ出して、アルスタインの望みを叶えたかった。
人探しのためには、まず情報収集。
主治医のトーリがアルスタインの定期診察に来て、アルスタインが家に一人という状況ではないことを見計らう。トーリに歌姫のことを訊いてみたが「知らない」という言葉を受け、ユーラはアルスタインとトーリに出かけることを告げると街に向かった。
郊外にある家から歩いて三十分程で街中に入る。ちょうど買い物をするような時間でもあるのかいくらか賑やかになってきていた。
きちんと整備された坂道を下る。石造りの建物の壁には何枚かの張り紙があった。
ミニコンサートの告知やサークルメンバーの募集など。
(こんな所に勝手に貼っていいのだろうか…)
なんとなく眺めていたユーラだったが、ひとつの張り紙に足を止め、見入る。
『失せ物探し、探し人承ります』
「探し人…」
ユーラは呟き、口元を自分の手で覆った。
(…こういうのは専門の人間に聞いてみたほうが早いか…?)
張り紙には事務所のある場所を描いた簡単な地図があった。しばらく眺めていたユーラだが、その張り紙をベリッと剥がす。
目印になるらしい店もわからないほど、この街を知らない。ユーラは剥がした張り紙を片手に『失せ物探し、探し人』をしてくれるというファリス事務所へと向かった。
(衣類のクライド…これか?)
看板を見上げてから、手元の『203号室』とも書いてある張り紙を見下ろす。
地図のファイス事務所に向かうための目印に使われているのは衣類販売の店であるらしい『衣類のクライド』。
隣には古ぼけたマンションがあった。
ここか、と一人頷いて、ユーラはマンションに入った。入ってすぐ右側には縦に三つ、横に四つの郵便受けが並んでいる。
名前の表示のある郵便受けは全体の半分ほど。これで住んでいる全員の名前なら半分は空き室ということになる。
よく見ると『203』と書かれた郵便受けには『ファリス』という名札がついていた。
(203…ここか)
ドアの横にある部屋の番号と、『ファリス』と書かれた名札、更に張り紙の『ファリス事務所』を確認してユーラはドアをノックした。
「いらっしゃい!」
一度のノックだけでドアが勢いよく開き、ついでにそのドアが外開きだったのがいけなかった。
「?!」
ユーラの反応が、一瞬遅れた。
ゴン
「…っ」
「あ」
ユーラは見事、ドアに顔面をぶつけた。
・ ・ ・
「わりぃ…」
勢いよくドアを開けた少年はしょんぼり項垂れたまま呟いた。
「……」
ユーラはその言葉に答えない。
(なんでおれはここにいるのだろう…)
そう、脳内で自問する。
少年の姿を見て、帰ろうと思ったのだ。
だが、引きずられるようにして、少年のアパートに入って――ついでに、椅子に腰掛けていたりする。
(どうしておれは…)
答えのない問いかけをもう一度やろうしたのだが、少年の声がそれを遮った。
「でっ、用件はっ!」
ユーラはその言葉に視線を机から目の前の少年に移した。
「…え?」
「その紙、持ってるってことはウチに用があるんだよな?」
ユーラの手の紙を指さし、少年は言った。
「……ウチ?」
たっぷりの間を置いて、ユーラは問い返す。
確かにここは203号室で、『失せ物探し、探し人承ります』という張り紙に書かれていたファリス事務所を探していたが…。
「…君が、探し人を?」
思わず一言ずつ区切って尋ねる。
少年は頷いた。「任せろ!」と、少年は、自らを示すとにっと笑う。十五…いや、十三くらいだろうか? 本当に『少年』だ。
(――任せられん)
ユーラは立ち上がった。
「別をあたる」
「ぅえ?! なんでだ?!」
人を見た目で判断してはならない、とは言うが…。
(探し出せたとしても、かなり時間がかかりそうだ)
言葉遣いも悪いし、鼻も痛いし…と人探しとは関係ないことを思いながらも、少年の問いかけには答えず、ドアに向かった。「邪魔をした」と、立ち去ろうとしたユーラだったのだが、少年に進行を阻まれた。
「――退いてくれ」
ユーラの言葉に「やだ」と即答される。その即答に思わずため息を吐いた。
「遊びではないのだ」
「こっちだって遊びじゃねぇよっ」
少年の言葉にユーラは再びため息を吐く。
「ついでに余計な金もない」
「ウチは安心料金だっ」
少年は言いながら握りこぶしをつくった。
「…また今度…」
多分『また』も『今度』もないが、と思いながら少年を押しのけつつ、ユーラは言った。
「待ってくれーっ!」
ユーラの心の声が聞こえたのかガシッ、としがみつかれる。
「ちゃんとやるから! 頑張るから〜っ」
必死な口調と態度だった。ユーラはしがみついてきた少年をチラリと見つめる。
そばかす交じりの顔と、黒い瞳。その目はつぶらで、大きい。なんとなく、犬を連想させる顔立ちだった。
「…安心料金とは?」
「い、一日五千イミー」
(一日五千イミー…)
ユーラは心中で繰り返す。
「二日で一万イミー…ということか?」
問い返すと、少年は頷いた。
「…つまり、探し出すのに時間がかかればかかるほどコチラの支払う額が上がる、と…」
ボソリ、とユーラは独り言をもらす。
明日まで待てば情報源であろうハリウルから話が聞ける。この少年を雇って金を払うより、明日まで待ったほうが利口なような気がした。
「…やはり、いい」
「えぇぇぇっ」
料金まで訊いといて? ムゴイ!
喚く少年にユーラは言った。
「客に対する言葉遣いを学んだほうがいい」
それから、と続ける。
「客が来たからといってがっつくな」
しがみつく少年を引き剥がした。
あからさまにガックリ、ついでにしょんぼりした少年。
「…駄目だったら利用させてもらうよ」
哀れになって思わず呟く。ユーラの言葉に少年は顔を上げた。「駄目だったら、な」と念押しをして、ユーラはその部屋を後にした。
少年のマンションで思ったよりも時間をくったらしい。太陽が大分傾いている。
――アルスタインが喜ぶ顔は見たい。だが。
(…帰るか…)
収穫は得られなかったが、あまり遅くなって、アルスタインに気を揉ませるのはユーラの本意ではなかった。