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二、捜索−ⅱ

 ――翌日。
「歌姫…ですか?」
 淡々とした口調でハリウルは言った。
 挨拶もそこそこに問いかけたユーラにハリウルは「はい、存じております」と頷いた。
 アルスタインの言う『歌姫』の情報源はやはり、というべきかハリウルだったようだ。
 ハリウルがアルスタインと雑談もするのか、と少しだけ意外に思いつつも「どこに行けば会えますかね」と続けて問いかけた。その問いかけにハリウルはあっさり答える。
「それは、存じません」
 ハリウルの答えに「は?」とユーラはなんとも間抜けな声を上げてしまった。ハリウルは掃除を続けながら淡々と言葉を紡ぐ。
「主人から聞いただけですので、どこに行けば会える…などということは存じません」
 あっさりきっぱり言い切った様子にユーラは声を失う。ある意味、アルスタインの情報源がわかっただけで進展はない。ユーラはそれでも、ハリウルから聞けるだけ情報を聞き出そう、とさらに問いかけたが、結局のところ得られたのは「歌姫は酒場で歌っている」という程度だった。
 『酒場の歌姫』など、別段珍しくないと思うのだが、アルスタインが『呼んでくれないか』と、『聞いてみたい』と言った。
 ユーラが最優先するのは、アルスタインの願いを叶える事。――我儘らしい我儘を聞いた事のない彼女の我儘を叶える事。
(さて)
 ある意味仕事の邪魔をしてしまったハリウルに謝り、ユーラは思考を巡らせた。
 探し人、歌姫の情報を多少は得られたが、あまり進展はない。
 ハリウルの夫に聞いてもらえないか、と一応言ったが、ただ待っているだけというのはユーラの性に合わない。自分ができること、調べられるところは調べたい。
 ふと思い浮かんだのは昨日の少年だった。
 『駄目だったら利用させてもらう』と、少年には告げた。『絶対だよ!』としがみついてきた手を思い出す。一つ、息を吐き出した。
(酒場を当たれば少しは情報を得られるか)
 それでもまだ駄目だったらあの少年の元へ顔を出そう、と自分の中で区切りをつけてユーラはアルスタインの部屋へと向かった。

 ドアをノックする。しばらくの間を置いて「はい」とか細い声の返事が聞こえた。
 「失礼します」と言いながらドアを開けたユーラの目に飛び込んできたのは、アルスタインの部屋の大きな窓と、レースのカーテンだった。レースのカーテンが僅かに動いている。全開の窓で、風と言えるほどではないが動く空気。
「…アルスタイン様…」
 窓際に腰を下ろしていた少女の名を呟いた。
 今日の天気は晴れ。しかし季節的にも時間的にもまだ寒い。
「上着をお召しになってください…」
 窓を開けるな、とは言わない。だが、体が丈夫とは言い難いアルスタインに今の気温は堪えそうだ。
「寒いけど、気持ちいいわ」
 アルスタインはユーラの差し出した上着を受け取って礼を言うと、袖を通す。ユーラも冬の寒さ…冬の冴えた空気は嫌いではなかったので、「気持ちいいことは確かですね」と答えた。
 ひゅう、と今度は風が吹く。カーテンが揺れ、アルスタインの髪や頬、ユーラの顔を撫でた。冷たさに目を細め、微かにむせたアルスタインに「とりあえず今は窓を閉めましょう」と告げた。そのまま、窓を閉める。
 一度むせ始めるとなかなか止まらないアルスタインの背をそっと撫でた。
 相変わらず細い。見るからにでもそうなのだが、指先で触れると余計にそう思う。
(前より更に…)
 ――細くなっていないか?
 そんなことを思ってユーラは頭を振った。
 アルスタインは、元気になる。そのうち家にいる方が珍しくなる、とまるで自分に言い聞かせるように一度ぎゅっと目を閉じる。
 咳が治まり、礼を言ったアルスタインに「いいえ」と首を横に振ると、ユーラはアルスタインの部屋を後にした。

 二ヶ月前、ワイオレッド家の当主が亡くなり、ただ一人の孫であったアルスタインは莫大な遺産を継いだ。
 ――十七歳の少女。幼いと言える当主。
 実際に当主といえる役割をしているのはワイオレッド家の執事であるユーラである。
 ユーラはワイオレッド家の雑務をこなす都合上、街に用事があったのでついでに本屋に足を伸ばすことにした。
 調べ物をしては少し遅くなるかもしれない、とハリウルに、ユーラが戻るまで家に残ってもらえることの了承を得た。
 ユーラが調べ物…『歌姫がいるかもしれない酒場を探すため』という理由を告げるとハリウルは一瞬、動きを止めた。そんな風に、ユーラには見えた。あれはなんだったのか、と頭の隅で思いつつもユーラは街へと向かう。
 郵便局に行ったり役場に行ったりと雑務をこなした後に本屋に向かった。少しこの街の地図を見てみよう、と思ったからだ。
 最近見つけた本屋に到着すると、ユーラは地図のあるコーナーでディズカーチの周辺地図をめくった。
 店の名前を見てみれば、なんとなく酒場もわかるだろう、と思ったのだが…。

「……」

 ハリウルの一瞬動きを止めた訳が、本屋でわかった。
 開いたディズカーチの街中の詳細を示す地図を見て、ユーラは叫びたい衝動に駆られる。
(なんだ、この酒場の多さは?!)
 ぱっと開いてみたページだけで『酒所クレイ』と『バー・アリオーシュ』、と明らかに酒場の名が示されていて、他にも『天華』『桂木』など、料理屋なのか酒場なのか判断しかねる名が連なっている。
 更に地図をめくって、声をあげそうになった。…どうにか、耐えたが。
 ユーラは目を閉じて一度大きく息を吐き出し、ゆっくりと目を開けた。
 目に映るものは、店の名前だ。
(――これが全て…酒場、なのか…?)
 見開きページの半分…もしかしたらそれ以上、店の名前が示してあった。
 そっと、地図を元々あった場所に戻す。
 ユーラは地図の並んだ棚から視線を下げると、ありがたく、そして恐ろしい『ディズカーチ酒場百選』という本のタイトルが目に入った。「百選」と声にすることなく、唇だけがかたどる。
(つまり、百軒以上の酒場があるということなのか…?)

 ユーラは知らなかった。ここ、ディズカーチは国内、潤楽じゅんらくでも有数の『酒場街』と呼ばれる場所であることを。

「やられた…」
 ユーラは思わず呟いた。何に「やられた」なのか、自分でも判断しかねるのだが。
(酒屋がこれほどあったとは…)
 ユーラは再び息を吐き出す。誰かが「ため息をついたら幸せが逃げる」なんて言っていた気がしたが、現状を思うと逃げるような幸せもないような気がした。
 ユーラは『ディズカーチ酒場百選』を開いてみる。思わず頭を押さえた。
 『酒場百選』と書いてあるだけあって、本に書かれた地図には丁寧に『酒場』を示す色付けがしてあるのだが、その色つきの場所、つまりは店の数が尋常ではない。流石『百選』と書かれているだけはある。
 百選に選ばれなくても、酒場の名前は書いてあるらしく、色つきでなくても太字で名前が書かれていた。
 それを考えると目眩がしそうになる。こんなに酒場がひしめきあって儲かるのか? とどうでもいいようなことを考えたりした。
 『ディズカーチ酒場百選』をパラパラと見る。ひとつ息を吐き出して、元にあった場所へと戻した。
 想定外の状況…『歌姫』がいるかもしれない場所の特定がこれでは難しい。
 ユーラはアルスタインに『歌姫』の情報を持ってきたハリウルを脳裏に浮かべる。
 自分でできることをしよう、と。せめて集められる情報だけでも集めよう、と思ったユーラだったがちょっとばかり先走り過ぎたようだ。情報源だったハリウル――正確にはその夫――からの情報を聞いた方が早く結果が出る、と判断すると早々にアルスタインが待つ家へと足を進めた。

「ただいま戻りました」
 ハリウルはアルスタインの部屋にいた。二人で何か話していたようだ。女同士、何かしら話題はあるのだろうが。
(何を話すんだ…?)
 あまりおしゃべりとは言い難いアルスタインと、無駄口をたたくようには見えないハリウル。ユーラはしばらく考えてみるが、想像もつかない。
「おかえりなさい」
 アルスタインの笑顔にユーラも釣られて笑った。「ただいま戻りました」と繰り返す。アルスタインの前――特に笑顔の前では厳しい印象のユーラも穏やかに見えた。
「歌姫のいそうな酒場はわかりましたか?」
 淡々とした口調のハリウルに「いいえ」とユーラは頭を振った。
「甘く見ていました。ディズカーチは酒場が多いんですね」
「…ご存じではありませんでしたか」
 知っていたなら教えてくれ、とユーラは心の中だけで思った。口にはしない。
 ハリウルに「ご存じだと思い何も申しませんでした」と言われ、ついでに謝罪までされてしまい「いえ、先走った私がいけませんでした」とユーラも詫びる。
 いつもより遅くまで残ってくれたハリウルに礼を言い、帰り間際に「歌姫の話を旦那さんから聞けたら教えてください」と頼んだ。「わかりました」と頭を垂れ、去っていく後姿をしばらく見送ったユーラだったが、ハリウルの後ろ姿が小さな庭を抜け、道まで出たことを見届けるとドアを閉めた。
 家の施錠の確認をしつつ、再度アルスタインの部屋へと向かう。少し遅くなってしまったが、夕食を取るためだ。
 コンコン、とノックをして返事を待つ。
 アルスタインの「はい」という声に「失礼します」と入室した。

 
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