TOP
 

三、発見−ⅰ

「主人の話ですが」
 翌日の朝、ハリウルはユーラが切り出すよりも早く、歌姫の情報を口にした。
「歌姫は先日、鴎亭という酒場にいたそうです」
「鴎亭ですか」
 ユーラは随分と有力な情報が得られた、と思った。これでひとまず、その鴎亭に行けばまた別の情報が得られるはずだ。
「ありがとうございます。鴎亭ですね」
 繰り返したユーラに「はい」とハリウルが頷く。
 酒場が開くのは早くても夕方からだろう。店の者に話を聞くには開店を待たなくてはいけない。
 遅くなってしまいそうだが、また今日も自分が出かけた後、戻るまで家にいてもらってもいいかとユーラが問いかければ「構いません」とハリウルは淡々と応じた。
 早くアルスタインの喜ぶ顔が見たい。
 早く、歌姫を連れて…アルスタインが笑ってくれればいい。ユーラは期待を膨らませる。叶うなら今夜中にでも歌姫が見つけられればいい、と拳を握った。
 今夜出かける目的地はすでに決まった。
(よし)
 とりあえずは目前の仕事に集中、とユーラは意識を切り替えた。

・ ・ ・

 ワイオレッド家の雑務をこなし、アルスタインの体調などを確認し、夕方になる。
 冬である今、日が落ちるのが早い。
「それではよろしくお願いします」
 ハリウルとアルスタインに出かける旨を伝える。
「お気をつけて」
「いってらっしゃい」
 ユーラはそれぞれに「出掛けてきます」と繰り返し、冷たい風に目を細めながらも、今日も街へと向かって歩き出した。

 折しも、鴎亭というのは街外れ…ユーラ達の暮らす家に近いほうだった。
 ありがたいことに、ハリウルに鴎亭の場所を聞けた。
 道すがらハリウルの家を横目に向かう。ハリウルの主人が行って、歌姫がいたという鴎亭は、ハリウルの家からそんなに遠くはないようだ。

 鴎亭と書かれた看板を確認し、ユーラは店内へと足を進める。
 『鴎』の名がついているせいか、店内は大きなガラスのブイや網、大きな青い布…とそことなく海を連想させるような作りになっていた。
 店主に話が聞ければ一番早そうだ、とユーラはカウンター席に腰を下ろす。ユーラのように一人で来た客が今のところいないのか、カウンター席には誰も座っていなかった。
 何も注文しないわけにはいかないだろう、とメニューから一番安いワインを選んで注文する。ユーラはビールよりもワインなどの果実酒を好んだ。
 注文しながらもユーラは店主に「歌姫を知っているか」と問い掛ける。
「歌姫? ああ、この前来ましたよ」
 注文されたワインをユーラに出しつつ店主は答えた。
「この前来た…というと?」
 更に問い掛けるユーラに鼻の下にちょび髭を生やした店主は頬をぽりぽりと掻く。
「毎日ここに来て歌うってわけじゃなくて、歌姫は神出鬼没っつーか…まぁ、いつ来るか来ないかわかんないですわ」
 白地に黒い唐草模様のバンダナを頭に巻いている店主から受け取ったワインをユーラは舐めた。口の中にアルコールの味が広がり、一口飲み込む。
 ユーラは別段、食に関してうるさくない。美味い、不味いという判断は自分なりに出来るが、結局のところは「食えればいい」という程度だ。
「歌姫をお探しで?」
「あぁ。あるじがその歌を聞いてみたいとおっしゃっていてな」
 「主?」と瞬いたがしばらくして「なるほどね」と店主は頷いた。
「今週は…確か、『桂屋』にいたんじゃなかったかな?」
「桂屋?」
 ユーラは店名を繰り返す。店主は頷くと言葉を続けた。
「昔馴染みがそこに居てな。そんなようなことを言ってたと思ったが」
 今日もいるかはわからんが、と付け足された言葉に「そうか、わかった」とユーラは残ったワインを飲み干す。
 新たな情報が得られた。桂屋の場所によっては、そこを覗いてから帰っても大丈夫だろう。
「うまかった」
 ユーラはワイン代を置き、立ち上がった。早速桂屋に向かうためだ。
「桂屋は一番南の酒場街ですぜ」
 鴎亭の主人はユーラが桂屋に向かおうとしたことを察したのか、そう助言する。
「ああ、ありがとう」
 訊くよりも早く教えてくれた店主に礼を言うとユーラは足早に鴎亭を後にした。

 ディズカーチには大まかに五つの酒場街がある。鴎亭は街の外れにあり、どの酒場街にも属さない場所にあった。
 南の酒場街といえば来る時と違う道を使って家に戻るような、ある意味家に戻る方向だ。
 酒場街というだけあって、様々な酒場が軒を連ねる。そろそろ酒場街を抜ける、という頃に桂屋はあった。
 暗い店内に足を踏み入れる。
 鴎亭の和やかな雰囲気とは違い、何やら荒んだ印象をもたせる店だった。
 店内が荒れている、というわけではない。酒を飲んでいる男たちの雰囲気が荒んでいるというか…どことなく、緊張感があるような。
 時折聞こえる喋り声はぼそぼそと低く、小さいもの。鴎亭のように陽気な感じではない。
「店主」
 カウンターの中の男に声をかける。ユーラの声に男はチロリと目を向けた。
「今週、歌姫が来ているらしいが、今日もまた来るのか?」
 ユーラの問い掛けに――店主、という呼びかけに視線をむけたので店主であろう――男は無言だ。コップを黙々と磨いている。
「…店主」
 目が合っているのに応じない店主にユーラは繰り返すと「喋れねぇんだよ」とユーラの隣に腰掛けていた男が、低い声で言った。
 知らなかったこととはいえ、非難がましい声を上げた自分をユーラは恥じた。空いている席に腰を下ろす。

「歌姫は、今日も来るようなこと言ってたぜ」
 店主の代わりのように答えた男に「そうか」と頷いた。
「だからこの客の多さだ」
 男の言葉にユーラはふと店内を見渡した。
 暗い店内だが確かに、なかなかの人数ではある。歌姫が来るということで客が多いのだとしたら。
「そんなにいい女なのか?」
 ユーラは思ったことを口にする。
 よく見えるわけではないが、少なくとも見える範囲で客の多くは男のようだ。それほどの男を集わせるとしたら、その『歌姫』はどれだけ魅力的な女なのか、と。
 ユーラの言葉に男は目をきょとんとさせた。そして、ふきだす。
「…?」
 なぜ笑われるのかがわからず、今度はユーラのほうが目を丸くした。
(こういう男も笑うのか)
 なんだか違う観点で目を丸くしているユーラである。ひとしきり笑った後、男は小さな声で言った。
「…いい声だ」
 言って、また思い出したかのように笑った。
「…そうか」
 未だに笑う男の様子に、ユーラは「男がなぜふきだしたのか」と考える。
(いい声…)
 こんな荒んだ印象をもたせるこの店で、いったいどんな歌声が響くのか…。
 ユーラは軽食を頼んで、時が経つのを待った。
 待った。…待った。――待った。

「来ないじゃないか…」

 ユーラは思わず、隣の男に愚痴る。かなりのんびり食べている夕飯代わりの軽食も終わりそうだ。
「…おや?」
 ユーラの愚痴に「確か、来ると言っていたはずだが」と男は呟く。
「ディエア、今日、歌姫は来るんじゃなかったのか?」
 ディエアと呼ばれたのはこの桂屋の店主だ。ディエアはユーラの隣の男の顔をじっと見つめた後、考え込むような顔つきをしている。答えはない。
「…来ないのか」
 ユーラは重々しく、言った。
「いや、わりぃな」
 そんな男の言葉にユーラは少し、「本当にそう思っているのか」などと考える。
 では、ここにいても意味がないではないか。
 ユーラはそう思うと、すばやく軽食を平らげた。

(今日の捜索は終わりにしよう。…アルスタイン様が、待っている)
 彼女は見張りがいないと、ろくに食事をとろうとしないのだ。見張りがいても、食が細い。昨日もあまり食べなかった。
 無理矢理食べさせて気分が悪くなったりしても困るが、ある程度は食べてもらわないと体が持たない。
 丈夫でないのに。…この頃、さらに元気がないというのに。
 きちんと食事を食べさせ、元気になってもらわなくては。
(よし、帰るぞ)
 ユーラは勘定を払うと、立ち上がった。
 …すると。
「おい」
 ユーラは、男に声をかけられる。
 振り返った時、気づいた。…店内のざわめきが、止んでいる。
「来たぞ。…アレが、歌姫だ」
 薄暗い店内で、一箇所開けた場所…ステージのように高いわけではないが…がある。ここからは少し、遠い。
(アレが…歌姫)
 ユーラが予想していた姿とは違った。いくら離れているとはいえ、彼女は小さい。

 さっさとアルスタインの元へ帰るためユーラはもう一度足を進める。…進めようとした。
「…? なんだ?」
 ユーラは男に腕を掴まれていた。
「――まさか、連れて行こう、なんて考えてるわけじゃねぇだろうな?」
「…そうだが」
 男の問い掛けに淡々と応じる。
 歌姫を探し出し、連れ帰る。それが、ユーラの目的だ。
「…歌い終わってからにしろ」
 アルスタイン以外の言葉など、なんの意味もない。ユーラは掴まれていた腕を振り解こうとする。
 しかし、男の力はその図体に見合うほどのもので、振り解けない。
「――その手を放せ」
 ユーラと男の視線がぶつかり合う。
「…誰が放すか」
 男の言葉にユーラは目を細めた。
 不意打ちをくらわせるため蹴り上げようと、足に力を入れる。

 入れようとした瞬間――ひと筋の声がユーラに届いた。
 それを、なんと表すのか…。

「――…」
 男の視線はユーラから外された。
 …だが、ユーラも既に男を睨んではいない。
 耳に届いた声。まるで心臓を掴むかのような、声。声音。
 歌う、声。
 ――ユーラがアルスタイン以外の人間に心奪われたのは、初めてのことだった。

 
TOP