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三、発見−ⅱ

 なんと美しい声。なんという…声。
 歌姫の歌う歌はユーラの知らないものだったが、その声の前ではそんなこと、気にならなかった。
 歌声が止み、歌姫が深々と頭を垂れたのが遠目にもわかる。

「…いい声だろ?」
 男はユーラを掴んでいた手を放しながらそう言った。ユーラは頷くことができない。
 呼吸の仕方さえも忘れてしまったかのように、固まっている。
 静かだった店内に拍手が起こった。
 拍手が止むと歌姫はまた、歌いだす。
 それは先ほどとは違う歌。だが、それでも、その美しい声になんの変わりはない。
 派手なパフォーマンスはない。歌姫はただ、歌っているだけだ。それなのに…目が奪われる。呼吸も忘れそうなほどに。

(『歌姫』…)
 そう呼ばれてもおかしくない声だ。ユーラはそう思う。
 美しい声だけではなく、その抑揚がおそらく、聞く者の心を掴むのだろう。
 春を恋う歌。
 雪に帰らない人を重ねる歌。
 冬の美しさを称える歌。
 遠い場所にいる人を思う歌――。
 歌姫はそれぞれを歌うと、ステージを後にした。呆然としてしまっていたユーラだったが、しばらくすると慌ててステージのほうへと向かう。
 今度は、隣にいた男に腕を掴まれたり、阻まれたりすることはなかった。

 ユーラは歌姫を逃すまいと足早に移動する。
「退いてくれ…悪い、退いてくれ」
 歌姫は小さいわりに、いや小さいからこそ小回りが利くのかなかなか足が速い。

 店から出る前に捕まえてしまいたいとユーラは必死に追った。
 そしてユーラは…やっと、歌姫の腕を掴む!
 目前の歌姫は遠目で見て決して大きくないとは思っていたが、それにしても小さな体だった。
 ユーラと頭一つ、いや、それ以上に小さそうだ。身長だけならアルスタインより小さいかもしれない。…この体からのどこから、あんな声が出たのかと思うほど。
 女性というよりは少女だ。十三、四に見える。
 そして、ユーラが掴んだ、予想以上に華奢な腕…。

「歌姫、だよな?」
 ユーラは確認するように問い掛けた。
 逃げられては困る、と少し強めにその腕を握っている。
 少女はユーラを見上げた。暗かったが、少女の瞳が真っ直ぐにユーラを捕らえたのがわかる。
 目はややつり上がっていた。それでもきつい印象にならないのは、その目が大きいからだろう。
 耳を出しているが、頬に沿うような顎までの髪も目のきつい印象を和らげているのかもしれない。
 少女が、口を開く。

「んだよっ、てめぇー! その手ぇ放しやがれ!!」

 …あの美しい歌声からは想像できないような、ひどい言葉遣いの悪さだった…。
 ユーラは手を掴んだ少女を見下ろす。
(…おれは、間違えてないよな…?)
 答えのない自問をした。

・ ・ ・

 わめく少女を無視してひとまず桂屋を出る。
 二人を引き止める者はいない。

「おい」
 ユーラは背中のほうからそんな声が聞こえた気がした。だが、無視。
「…おい」
 さらに何か聞こえた気がする。
 だが、またもや無視。
「――おいっ!!!」
 どがっ!!
 …ユーラは、担ぎ上げていた物体に思いっきり、殴られる。

(この少女が…)
 ――いや、『コレ』が。
「…本当に、歌姫か…?」
 もしやどこかで間違えてしまったのではないだろうか、自分は。
 ユーラはそんなことを思った。
 そんなことを考えると、なんだかその考えが正しいような気がしてきた。
 だが。
「けっ!! 頼まれたって土下座されたって誰がてめーのためになんざ歌うかっ!!!」
 …そんな言葉に、ユーラは果てしなく大きなため息を漏らす。
(やはり『コレ』でも、歌姫らしい)
 そんな反応にむっとしたのか、少女――歌姫は噛み付くような勢いで、言葉を続けた。
「誰が自分を無理やり連れてくようなヤツ…ってか無理やり連れてきてるヤツにいい態度がとれるかっ!!!」

 ――そう、ユーラは紛れもなく、歌姫を拉致しているのだ。歌姫の態度と言葉にユーラはもう一度、大きな、ふかーいため息を吐く。
「…本当に、アルスタイン様の元に連れていっていいのだろうか…」
 そう呟きながらも、足の動きは止まることがない。ユーラはアルスタインの望みなら叶えたいと願っているからだ。

 担がれている歌姫は、ユーラの『アルスタイン』という言葉に、大人しくなった。
「…アルスタインって?」
 ユーラは主の名を呼び捨てにされ「呼び捨てにするな!」と一度声を荒げる。けれど、次の瞬間には落ち着いた口調で告げた。
「…歌は、おれの為に歌わなくていいんだよ」
 ユーラはそう言う。

 脳裏の浮かべるのは、彼の主。
 白い花のような少女――アルスタイン。
 彼女が、歌姫を願った。歌姫の歌を聞きたいと言った。我儘らしい我儘など滅多に言わない、思いつく限り言ったことのないアルスタインが。
 だからユーラは歌姫を求めた。全ては、アルスタインの為に。

「おれの主…アルスタイン様の為に、歌ってくれ」
 ユーラの言葉に、担ぎ上げられた歌姫は、大人しいままだ。
 ユーラはスタスタと歩く。歌姫が暴れなければ歩きやすい。ユーラにある程度の力があるのは確かだが、歌姫が結構軽いということもあった。
 歌姫は、しばらくするとまたもやもぞもぞと動き出した。
「…だから…」
 「大人しくしろと」ユーラはそう、言葉を続けようとした。

「足なら、ある。自分で、歩く」
 そんな歌姫の言葉にユーラは思わず歩くスピードを緩めた。肩に担がれたままの歌姫は「だから、下ろせ」とも続ける。
 今までと打って変わった歌姫の反応に、ユーラは少し面食らった。――まぁ、ユーラが悪い部分も多々あるわけだが。
「…そうか」
 ユーラはそう応じて足を止め、歌姫を下ろした。だが逃げられてしまったらまた探したりするのが面倒くさい。ユーラは一応、警戒はしている。
 ユーラの肩から下ろされた歌姫は、逃げようという素振りは見せなかった。

 肩を回し、首を回す。じっと歌姫を見ている――正確には見張っている――ユーラを見返した。
「アルスタインって、オンナ?」
「あ?」
 歌姫の言葉の意味を理解するのに、ユーラはしばらくの間が必要だった。
 間抜けな声を上げたユーラに歌姫は「だぁかぁらぁ」とやや声を低くする。「わかれよ」と言わんばかりに続けた。
「その、アルスタイン…」
「呼び捨てにするな!」
 歌姫の呟きにユーラは素早く切り返した。そんなユーラに歌姫は数度瞬く。
「…細かいことは気にするな」
 ぼそりと口の中だけの呟きを聞き逃さずに「細かいことじゃない!」とユーラは拳を握って唸った。
 うるせぇ、と声にしないまま呟いて歌姫はひとつ息を吐き出す。
「そのアルスタインサマはオンナのヒトか、って訊いてんだよ」
 なんでそんなことを訊いてくるのか、とユーラは頭の隅で思った。
「…そうだが」
 眼光を鋭くさせていたユーラだったが、アルスタインを呼び捨てにしなかった歌姫に頷く。
 「そっか」と歌姫もまた頷いた。

「どっちだ?」
「…?」
「どこだよ。その、アルスタインサマの家は」
 ユーラは歌姫のその言葉に目を丸くした。
「…そんな変な顔しなくても…」
 歌姫はそんなことを言う。
「早く、行くぞ」
 「どこだ?」と繰り返す歌姫の態度にユーラはどう返せばいいのか戸惑った。先程までと態度が違い過ぎる。
 ありがたいといえばありがたいが…と、返すべき言葉を選んでいるユーラにイライラしてきたのか
「ぼーっとしてんなっ」
 言葉と共に歌姫は右足を軸足に、左足でユーラの右ふくらはぎに蹴りを一発くらわせた。
 言葉を選び、迷っていたユーラなのだが、その様子をぼーっと歌姫を見ていると判断したようだ。

「…っ…」
「いいかげんにしねぇと、キレるぞ」
 すでに若干キレているような気もするのだが、歌姫の言葉にユーラは舌打ちをした。
 このガキ、と声にしないまま呟く。アルスタインを前にしている時より口が悪い。

「行くぞ。こっちだ」
 ユーラは言いながら歌姫の首根っこを掴んだ。かなり足早にアルスタインの待つ家に向かって足を進める。
「おめぇ、ちょ…待てよっ」
 歌姫は半ば引き摺られるように、前につんのめりそうになりながら歩いた。担ぎ上げられている方がまだマシかもしれなかった。

 
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