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五、歌声

 翌朝、歌姫はアルスタインの部屋をノックした。
「…はい?」
 答えに歌姫は少しばかりドキドキしながら「入ってもいい?」と問い掛けた。微かに笑うような気配と「ええ、もちろん」という答えに歌姫はドアを開ける。アルスタインは「おはよう」と笑顔を見せた。
「おはよ、香菜!」
 歌姫はそう呼びかけた。ユーラはそんな歌姫に「このガキは…っ」というような凶悪な表情で、ギロリと歌姫を睨みつける。
 歌姫はそんなユーラの鋭い視線を無視した。
 アルスタインが「香菜と呼んでね」と言ってくれたのだ。ユーラには関係ない…と、ユーラが聞けばまた「クソガキが!」と言われそうなことを思う。
(昨日のが嘘みてぇ)
 昨夜の穏やかなユーラを脳裏に浮かべ、やっぱり二重人格じゃないのか、なんてことを思う。
「歌姫…名前は、ローズマリーかしら?」
 アルスタインの問い掛けに歌姫は瞬いた。
 自分のことを考えてくれたのか、と嬉しくなって思わず笑顔になってしまう。

 昨夜、アルスタインは初めて会った歌姫に享名を示してくれた。
 そんなアルスタインに、歌姫もまた享名を示したい。好きだな、と思ったアルスタイン相手に自分のことを考えてほしい。
 …そんなことを思って、アルスタインに名前を訊かれた歌姫は「花の名、だよ」なんていう曖昧な言い方をした。
 『花の名』は歌姫の享名である『花名』のことで、歌姫の名はアリア――アリア・セシルだ。訊かれていないから、そういえばまだユーラにも名乗っていない。
(ま、いっか)
 歌姫…アリアはそんなことを思いつつ、アルスタインに「ううん、違うよ」と首を横に振る。
 ユーラには気付かれてしまった『花の名』という言葉の意味にアルスタインはまだ気付いていないようだ。

「香菜?」
 アルスタインの手に触れながら、その名を呼ぶ。
 アルスタインの指は驚くほど白く、細かった。――そんなところも、アリアの母を思い起こさせた。
(母さん…)
 アルスタインを呼びながら見つめるアリアに、アルスタインは小さく問いかける。
「あ…そうだわ。歌姫。歌姫は、いつまでいられるの?」
 アルスタインのそんな疑問に、アリアは目を丸くした。それは、予想外の言葉だったから。
 アルスタインと共にいたい。そう思っていたから。
 一緒にいられればいいと、思っていたから。
「香菜がいていいって言うなら、ずーっといるよ」
「ずっとは悪いわ。忙しいのでしょう?」
「そんなことないよ!」
 アリアはそう言って、笑った。
 今のアリアはどの依頼よりもまずアルスタインを優先させるだろう。というか、優先する。
「じゃあ…しばらく、ここに留まってもらってもいい?」
「うん、大丈夫! いっぱいここにいるよ!」
「じゃあ…」
 全開の笑顔を浮かべるアリアに、アルスタインは微笑む。
 次の言葉は、アリアの予想外の言葉だった。

「私が死ぬまでここにいて?」

 ――しばらく、言葉の意味が理解できなかった。
「…は?」
 今、なんと? アリアはそう言おうとした。
「アルスタイン様!」
 ユーラが半ば、怒鳴るように言う。
「何を言うのですか!」
「…そ…そうだよ!」
 アリアの脳ミソにアルスタイン、そしてユーラの言葉が届き、理解するとユーラに同意した。

 白い肌。細い指。――儚げな笑顔。
 アリアの母と重なる…病弱だった母と印象が重なってしまう、アルスタイン。
 アリアはふざけながら続けた。
「んなこと言ったら、ババァになるまで居座るぞ?」
 だが、そんなアリアの言葉に反論も何もなく、アルスタインはただ微笑んだだけだった。
(なぜ、そんなことを言うの?)
 そんなことを思う。アルスタインの言葉の意味を考えまいと頭を振って、アリアは話題を変えた。
「…歌を歌うよ」
 アルスタインの為に。
「何がいい?」
 声が、一瞬震えた。アルスタインの言葉が脳裏によみがえったからだ。

『私が死ぬまでここにいて』
 そう言いながら、どうして笑うの?
 ――どうしてそんなにも儚い笑い方で、笑うの?

 アリアの問い掛けにアルスタインは瞬き、少し首を傾げた。
「そう…ね。でも、私はあまり歌の題名を知らないのよ」
「そっか。んー…」
 アリアもまた、考える。どうすれば、アルスタインが喜んでくれるのか。何を歌えば、アルスタインが喜んでくれるか。そう考える。
「…あ、香菜は、どの季節が好き?」
 アリアは人差し指を立て、そのままくるくる回した。問い掛けにアルスタインはゆるりと瞬き、そのまま僅かに目を伏せて応じる。
「…そうね、私は…春が、好きよ」
 今は、冬だ。まだ寒い。最後の寒さがくるのは、これからのこと。

 アルスタインは春を脳裏に描き、思ったのか伏せた目をそのまま閉じた。
「花が咲いたり、新芽が芽吹いたり…。みずみずしくて…命がたくさんあふれていて…」
 一度目を開き、再び閉じる。
 呟きとアルスタインの様子を見て、アリアは思った。
 アルスタインはなぜ、好きだと言いながらもそんなに寂しそうな…悲しそうな顔をするのだろうか。
「…春か。うん、あたしも好きだな」
 アルスタインの悲しみを振り払うように、打ち払うように、アリアは笑う。
 アリアに釣られるように、アルスタインも笑う。二人の様子を見ながらユーラは、ぎゅっと目を瞑った。
「んー…」
 アリアは頭に曲を浮かべる。
 数度瞬きをしながら選曲し、アリアはポンと手を打って、言った。
「じゃあ、…春の歌を歌うよ!」
 アリアはそう言うと目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をした。目を開ける。
 つい先程までのアルスタインを慕う少女ではなく、歌を歌う…その為の歌姫だった。

 

 ゆらゆらとゆらゆらと水面がゆれる
 ゆらゆらとゆらゆらと空がゆれる
 淡い青 優しい青
 春をつげる青

 ふわふわとふわふわと風がさざめく
 ふわふわとふわふわと葉がさざめく
 褪せぬ緑 息吹く緑
 春をしめす緑

 

 それは単調なことばだった。――しかしなぜ、美しいと感じるのだろう。やはり『声』のせいだろうか。
 アルスタインの為の歌を、ユーラもまた聞いていた。『心奪われる』というのがきっと、今の状態を示す言葉。
 ユーラはふと、アルスタインを見つめた。
 アルスタインはアリアをじっと見つめていた。
 …いや、心奪われていた。初めてアリアの声を聞いた時の、ユーラのように。

 色の名を次々とあげ、歌は終わった。
 アリアは僅かに肩を揺らし、浅い呼吸を繰り返す。
 しばしの、間。
 ぱちぱちぱち、と小さな拍手が起こった。アリアは目を見開く。
 音の発信源は、アルスタインの手だった。
「すごい、素敵ね。…きれいな声だわ」
 アルスタインの言葉にアリアは瞬きをする。
 笑顔を浮かべたアルスタインに、アリアの中で喜びの感情が広がった。
 ――笑ってくれた。自分の歌で、笑ってくれた。喜んでくれた、と…そう、思ってもいいだろうか。

 酒場で歌うのは嫌いじゃない。
 自分が知らない誰かが、自分を知らない誰かが、アリアの歌に拍手をくれる。楽しんでくれるのは、嬉しい。
 けれど、それ以上に今、アルスタインが笑ってくれたことが嬉しかった。
 アルスタインに釣られて笑顔になったアリアを見つめ、アルスタインは「それから」と、言葉を続けた。
「優しい声、ね」

 優しい声ね、と。アルスタインが言った。
 スキだと思った人に、この声を褒められた。
 きれいな声と。…優しい声だと。

 アリアは、誓った。
 アルスタインの為になら、彼女が喜んでくれるなら。
 アルスタインが望んでくれる限り、第一に――彼女の為に、歌おうと。

 
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