「ハリウルさーん、コレ、どうすればいい?」
「それは繕いますのでこちらへ」
「あいあいさーっ」
ユーラに拉致され、アルスタインと出会ったアリアが彼女の傍にいることを願い…今に至る。
最初に通された客室は今や半ばアリアの部屋と化していた。戻るときの挨拶も「ただいま」になるくらいに。
アリアが元々住んでいた母が残したレルフィのマンションは、週に数度か荷物を取りに戻る、ついでに掃除する、『歌姫』としての依頼が入ったら寄る…という程度になっている。
アリアとユーラ、そしてアルスタインが出会ってから既に三ヶ月が経っていた。
ひとまず「手伝いはいらない」とハリウルに言われたアリアは、アルスタインの部屋にいる。
三ヶ月の間、昼間に用事がなければハリウルの手伝いをしたり、ユーラの使いっぱしりをさせられたり、アルスタインから勉強を教えてもらったり…というような日々を過ごしていた。
「香菜ぁ」
アリアは呼びかけるとペタ、とベッドにいるアルスタインに密着した。その様子にヒクリとユーラの口元が歪む。
「…歌姫」
低く、ユーラは呼び掛けた。
アルスタインは未だアリアの名――『花の名』と告げたのは実は『享名』なのだが――をあてていない。
「アルスタインに自分のことを考えてほしい」と望んでいるアリアは、自ら享名を告げることはしていなかった。
ユーラはすでに『花の名』がアリアの享名であることを知っているのだが、アリアに「まだ内緒!」と強く口止めされ、アルスタインに告げていない。
ユーラはアリアの享名が『花名』だと知っていたが、歌姫であるアリアの名前…親につけられた『アリア』という名を未だに知らなかった。
仮に知っていたとしてもアリアがアルスタインに問題として自身の名を告げていない為、呼ぶことは出来なかったのだが。
(まぁ、問題ない)
ユーラはアルスタイン以外に対しては随分適当な対応になる。
三ヶ月経った今でも、アリアはアルスタインとユーラに『歌姫』と呼ばれている。アリアは『歌姫』と呼ばれ慣れているため、『歌姫』と呼ばれたところで別段気にしてなかった。
低いユーラの声に全く動じることなく、アリアは「なんだ?」とアルスタインに密着したまま返事をする。
「…くっつきすぎだ」
ついでに享名で呼ぶな、と小さな声でユーラは告げた。
「ん? なんだって?」
絶対に聞こえているはずなのに「聞こえないなぁ」と、飄々と応じるアリアの様子にユーラのこめかみに青筋が立つ。それを見たアリアはニヤリと笑った。
「…羨ましいのか」
その声は微かで、アルスタインにはとどかなかったが、ユーラには聞こえた。
「…なっ…!」
アリアの言葉に、先程まで青筋を立てていたユーラの頬にさっと朱が混じる。アルスタインは「え、なぁに?」と、首を傾げた。
そんな主の言葉に、ユーラは答えられないままパチパチと忙しなく瞬きをする。アリアはユーラの様子に「ぷっ」とふきだした。
「…笑うな」
「だぁってユーラ、オカシイんだもん」
くくっと笑いが治まらないらしいアリアは「きょどーふしん?」と呟く。ユーラは手を伸ばした。
「――生意気を言うのはこの口か? あ?」
もしユーラの背後にオーラが見えるとしたら、青黒い色が映りそうな剣呑な視線をアリアに向けた。
アルスタインの前なのだが、ユーラはアリアの相手をしているとどうしても態度が悪くなる。
「あででででででっ!!」
ユーラは剣呑な視線の割に、頬を引っ張るという中々シンプルな反撃をした。シンプルだからこそ効く、という説もあるが。
「おま…本気でやりやがったな?!」
解放された頬を撫でつつ、アリアは若干涙を浮かべながら言った。感情ではなく、生理的に出てきた涙だ。
「…もっとやってやってもいいぞ…?」
未だに青黒いオーラをまとっていそうなユーラの一言に「いらねぇよっ!!」とアリアは咬みつくように言い返す。
アルスタインはそんな二人の様子を見てクスクスと笑った。
「仲がいいわね」というアルスタインの言葉にアリアとユーラは「え?」と声をそろえる。ちなみに「げ」という発音に限りなく近い。そんな二人にアルスタインはまた笑った。
アリアもユーラも何か言いたいような気がしたが、それぞれ「アルスタインが笑ってるならいいか」と一つ息を吐き出すだけに留める。
アリアはユーラに対する嫌がらせも兼ね、アルスタインにそのまま密着ばかりではなく、むぎゅうと抱きついた。
「…香菜、ちゃんとメシ食ってるか?」
「どこ触ってんだ、お前はっ!」
アルスタインの前だが、怒りのほうが先立ち、ユーラはなかなか乱暴な口調でアリアを咎める。アリアはアルスタインの腹に腕を絡ませていた。
「香菜、細いなー…」
そんなユーラをアリアは完璧に無視する。
「食べているけれど…あまり食欲がないの…」
アルスタインの言葉に、アリアへ吼えていたユーラの表情が暗いものとなった。…アルスタインとアリアは気づかなかったが。
「ちゃんと食わなきゃダメだぞ?」
「ふふ…そうね」
アリアが初めて会った日と変わらない、静かで…儚げな微笑み。
あれから、三ヶ月。
アリアは思い起こす。…彼女は、初めて会ったときより細くなったような気がした。
アリアは出会う以前の様子を知らないから、彼女が前にどれくらい食事をとっていたかわからないが、食事の量も減ったように思えた。
『私、眠たいわ…』
アルスタインの言葉に、ユーラは彼女の部屋を後にする。…彼女はこの頃、よく眠るようになった。
ユーラが部屋を去った後、アリアはアルスタインのベッドの足元でコロコロとする。彼女のベッドが広い故にできる技だ。
ユーラには咎められるが、アルスタインが邪魔だと言わない限りアリアは部屋にとどまった。
多少の空気は読む。アルスタインが疲れているな、と思えばアリアはちゃんと部屋を後にした。
「…歌姫?」
「んー?」
わずかに掠れたアルスタインの呼びかけにアリアは応じる。
「多分、もうすぐ、私は死ぬわ」
――その言葉に、アルスタインの足元で転がっていたアリアはガバッと体を起こした。