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七、すき

 とりあえず体を温めねば、と。
 ユーラはアリアの手を引き、神殿へ向かった。
 …アルスタインの眠る、神殿へ。
 ほんの少し前までは、神殿の方向へ向かうことを拒否しているようだったというのに。
 ユーラがアリアに「神殿で体を温めさせてもらおう」と、言ったのだ。

 川に突き落とされたユーラと、飛び込んだアリアと…二人とも全身ずぶぬれ状態だったが、神官に深く突っ込まれることはなかった。
「どうぞ、こちらへ」
「すみません」
 神官は、二人のために部屋を用意した。
 暖炉には赤々と炎が揺れる。
 アリアは靴を脱ぐと暖炉の前の敷物に座り込んだ。
「あったけー」
 心底、そう思っているのだろう。
 アリアの頬は緩んでいる。
「ユーラはあたらないのか?」
 橋の上の叫びがゆめだったように、靴も脱がずに立ったままのユーラにアリアは問いかける。
 もちろんあたる、とユーラも暖炉の前に座った。

 神殿には泊まりこみで務める者もいる。
 そういった神官のために神殿にも一応風呂はあり、風呂を借りることが出来た。
「温かいな」
 服も、神官が貸してくれた。
 濡れてしまった二人の服は部屋の椅子にかけてある。
 よく絞りはしたが、風呂に入って出るまでに乾くはずもない。
 パチパチと火が、燃える。

『帰るときに声をかけてくださればいいですから』
 アリアはふと、神官の言葉を思い出した。
(…つまり、気が済むまでこの部屋にいていいってコトだよな)
 アリアはそんなことを考え、一人フムフムと納得した。
 そして、チラリとユーラを見上げる。
 ユーラはボーッと炎を見つめていた。

 ――この神殿のどこかに『還る者』の場があり。
 この神殿のどこかで…アルスタインが、眠っている。

「ユーラ」
 沈黙を破ったのは、小さな声だった。
 ユーラは声なく、視線だけでそれに応じる。
「ユーラは…泣かないのか?」
 唐突なアリアの問いかけにユーラは一度目を丸くし、それから、瞬きをした。
 暖炉の炎に視線を戻しながら答える。
「約束が、ある。…あの少女ひととの」
 僅かに頭を振りながら言ったユーラに、アリアは意識せず唇を噛んだ。

 名を口にしないのだろうか? ――口に、できないのだろうか?
「香菜…」
 アリアは、口にする。
「…アルスタインとの?」
 アリアの言葉にユーラはアリアは視線を戻し、見つめた。
 そして「あぁ」と頷く。
「香菜が…死んだ時…」
 そう言って、アリア自身の胸がチクリと痛む。
 切なさに、締めつけられるように…胸が苦しくなる。
「悲しくはなかったのか?」
 ユーラは一度口を開けて、閉じる。
 しばらくの間。
 細く、ユーラは息を吐いた。
「…もちろん、悲しかった」
 ユーラはそう言った。口調はいつも通り、淡々としたまま。
 暖炉の炎で揺れる光に、ユーラの赤茶っぽい髪がより赤みを増す。
「だったら!」
 アリアはやや声を荒げた。

 約束を守ることは大切だ。もちろん。
 でも。――だけど。
「どうして悲しまない? お前は生きていくんだろ?! …悲しい時に、悲しまなくてどうするんだよ…っ!」
 アリアの声を荒げたままの主張にユーラは応じる。
「…泣くだけが、悲しみを表現する方法じゃない」
 アリアはその言葉に一度、ぎゅっと唇を噛む。
「そんなこと、知ってる。だけど…」
 あぁ、どうして自分は。
 こんなにも言葉を知らないのだろう。
 どう言えばいい? どう言えば伝わる?
 泣けばいい。叫べばいい。
 それで、胸のつかえがほんの少しでも解けるなら。
 帰らない人。恋しい、大切な人。…逢いたい人。
 どうしようもないことだと…胸に秘めて、しまいこんだまま――うみのように、ため込んでしまわないで。

(香菜。…ねぇ、香菜)
 アリアは祈るように、心の中で名を呼んだ。
 許して、と――うた。
(泣くことを、許してやって)
 自分はもう、泣いてしまった。
 けれど…ずっとアルスタインに仕え、言葉を守り…今も、約束を守り続けているユーラ。
(約束を破ることを、どうか――)

「泣く以外に、悲しみを癒す方法はあるか?」
 アリアは、やっとそう言った。

 その言葉にユーラは瞳を閉じた。
 アリアは続ける。
「泣けよ。…泣いて――」
 泣いてしまって。
「いつか、『還る者』の場にいった時にさ」
 この言葉が伝わればいい。
 この思いが、伝わればいい。
「二人で…」
 ごめん、と。約束を破ってごめんと。
「謝ろう?」

 トーリから受け取った、アルスタインからの手紙。
 薄紅色の便箋に、丁寧で繊細な…アルスタインらしい、字。
 そこに綴られた言葉は優しいばかりだった。

『貴方と過ごせた時間は、何事にも代えがたい宝物となりました。
 幸せな時間をありがとう。
 貴方と同じ音の享名であることを嬉しく思います。
 どうか、花名が笑顔で過ごせますように。』

 アルスタインあのひとはきっと笑っている。
 『還る者』の場あそこで、笑っている。
 …そう、思わせてくれる内容だった。

 アリアはユーラに告げながら、思った。
 ――ユーラがすきだ。本当に、だいすきだ。
 そう、思った。
 ユーラが川から顔を出さなかったとき。あの時の恐怖で、わかった。
 ――喪いたくない人だと。
 母と、アルスタイン…彼女等と同じくらい、大切な人だと。
 今…生きている人達の中で、一番…だいすきな人なのだと。
「ユーラ」
 アリアは繰り返し、名を呼ぶ。

 ほんの少しでも楽になってほしい。
 心のつかえや苦しみを…大きなトゲを、叶う限り減らしてほしい。
 アルスタインはきっと…ユーラの笑顔を望むだけ。
 泣かないでほしいと思って、告げていても…泣いて、心が軽くなるというのなら、それを望んでくれると思う。
 ――だから。
「泣けよ」

 ユーラからの返事はない。
 炎の色にわずかに染まって赤いユーラ。
 アリアは隣から顔を覗きこむ。
 ――ユーラは、右手で両目を押さえていた。
「ユーラ…?」
 アリアの呼びかけに、ユーラは小さく答えた。
「…他人ひとに、涙を見せられるか」
「あぁ――…そっか」
 アリアはそう言うと立ち上がった。
 ほんの少し移動して、すとんと座り込む。
「カナ――…」
 アリアはユーラの背に、自らの背を合わせるようにして座った。
「見えない」
 呼び方が未だに『カナ』であることが少し腹が立った。
 だが、今は目を瞑ってやろうとアリアはユーラに背中を預け、言葉通りに目を瞑る。
 目を瞑れば周りの様子は見えないし、そもそも背中合わせでは、顔も見えない。
 …涙は見えないから。
「気にするな」

 
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