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其の三

――見 ツ ケ タ――
カゲが…暗い『何か』が、笑った。
器を変えても、気配は変わらぬ、と。
――八 ツ 裂 キ ダ――
皇は目覚めた。
その、祝杯に…アヤツの血肉を使え、と。

カゲが笑った。
…ただ、笑った。

 

「…ふぅ…」
 蘭は小さくため息を吐いた。
 一日の授業も終わり、今日は帰るのみだ。
 最寄駅にほど近い場所にある、市立図書館に寄って行こうかな、などと考えながら電車に揺られる。

 タン …タタン …タタン
 単調な電車の音と振動。
 電車で珍しく座れた蘭はそっと瞳を閉じた。
 蘭の目的の駅…最寄駅までは、小一時間かかる。一眠りくらいできるだろう。

 タン …タタン …タタン
 一瞬、意識がとんだ。
(眠い…)
 まどろみに、蘭は身を任せる…。

 キィ――ンッ

 蘭は目を開いた。思わず、辺りを見渡す。
 振り返り、肩越しに窓の外の様子も見る。
 ――いつもの、見覚えのある風景が流れていく。
 まどろみは、今は消えてしまっていた。
(…あれ?)
 今の音は? と蘭は思う。

 耳鳴り…とでもいうのだろか。
 まどろみを蹴散らす――頭に突き刺さるような…高く、耳あるいは鼓膜を突き破るかのような…音。
(…気の、せい…?)
 そんなことを、思う。
 でも――あんなにもはっきりと聞こえたと思えたのに。

 タン …タタン …タタン
 相変わらず続く、単調な音と振動。
 蘭は耳を澄ませる。
 ――先程のような音は感じられない。
「……?」
 蘭は一度首を傾げると、もう一度目を閉じた。
 …今度は耳鳴りのような音もなく、眠れた。
 危うく、乗り過ごしてしまいそう程度に。

 蘭は改札口を通り、道に出る。
(…え?)
 蘭は、自らの目を疑った。
 …普段いない、今の時間には見ない人が蘭の目に映ったから。
「あ、蘭!!」
 嬉しそうな声を上げ、「来たー」とその男は歩み寄ってくる。
 蘭は瞬いた。『誰』というのはわかっていたのだが…驚いて。
「…トールくん?」
 思わず、疑問符付きで呼びかけてしまう。
 イエーイ、と何やら(ムダに)楽しそうにトールは両腕を広げた。
「トール『君』じゃなくて。トールでいいってば」
 今朝散々言ったじゃん〜と言いつつ蘭の隣に並ぶ。
 ふと、それまで軽いノリでへらへらしつつ喋っていたトールが突然黙った。
 蘭の顔…の少し下で視線が定まっている。
 突然黙ったトールの様子にどうしたのか、と蘭は少しばかり首を傾げた。

 今までの軽さはどこへいったのか…と言いたくなるような真剣な眼差しに思える。
「ら、ん…」
 トールは小さな声で呼びかけた。
 トールの指先が、蘭の顎に軽く触れる。
「その、首のところ…」
「え? 首?」
 蘭は『首』に何か思い当たるような節はなく、思わず視線を落とした。
 当然ながら、蘭が自身の首を見ることはできない。この場に鏡はなかったから。
「なんか…首に――」

 そう言って、トールの言葉が止まった。
 瞬くうちに、トールの目に剣呑な光が宿る。
 鋭い眼光で、くうを睨みつける。
 蘭に向けられたものではない。…だが、それらは『怒り』を示していた。

「…トール、くん…?」

 蘭の呼び捨てではない呼びかけに、先程はしつこいくらいに訂正を入れていたが…今は、何も言わない。
 ただ、蘭を…蘭の首元に、視線を注ぐ。
 ――今も、怒りをたたえた目のままで。

 蘭自身は気付かなかったが、蘭の首元…ノド仏を上下に割るような、真横のまっすぐな痣があった。
 ――少なくとも、今朝までは確実になかった痣が、そこに刻まれていた。

 
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