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其の四

其処を斬れ、と言わんばかりに。
首筋に、痣ができていた。
朝にはなかった。
『赦さない』

『アイツ』が目覚めたのか。
…あるいは、もうすぐ目覚めるのか。
『…させない』

『アイツ』の手下が、うごめきはじめている。

 

 どんよりと、近い雲。…重い空。
 ――標 ハ 付 ケ タ――
 ここしばらく、青空を見ていない。
 ――探 セ――

 ――見 ツ ケ 次 第――
 ――八 ツ 裂 キ ニ シ ロ…!!!――

 蘭は空を見上げた。
 ――我知らず、そっと首に指先で触れる。

 昨日家に帰ってみれば、トールの言うとおり、首に痣があった。
 どうすればそんな痣ができるのかと思えるほど、まっすぐな線の痣だった。
 蘭は見ないまま、痣をなぞるようにもう一度首に触れる。
 そこにある、あかい――紅い線。
(…いつ、この痣がついたんだろう?)
 蘭はそんなことを考えていた。

 ――見 ツ ケ タ――

「お、は、よーっ!!」
 …と、ぼんやりしていた蘭にトールは背後からタックルをかました。
 勢いは当然、手加減されている。
 しかしぼんやりしてしまっていた蘭は相当驚いた。
 真面目に驚いた。本気で、驚いてしまった。
「ト、トトトット! ル、くん…っ」
「アハハッ。蘭、ドモり過ぎ〜」
 ついでに「君」はいらないってバ、とぺしっと軽く、蘭を小突く。

 トールに浮かぶのは、笑顔だ。いつもどおりと言えそうな…へらへらとしているとも思える、能天気な笑顔。
 …昨日の怒りの表情など、微塵も感じさせない。
「ねぇ、蘭」
 トールは空に手を伸ばし背伸びをしながら更に言葉を続ける。
 肩を回し、首を回し…その動きはなんだか準備運動をしているようにも見えた。
「なぁに?」
 落ち着きを取り戻した蘭は少しばかり首を傾げつつ応じる。

 ――我 等 ガ 皇 ノ 御 前 ニ――

 ざわめきが、聞こうと思わなくても耳に届く。
 駅だから当然だ。
 学校や会社に向かうであろうと思われる人達、もしかしたら遊びに行くかもしれない人達…通勤、通学の時間帯の駅には人々がごった返している。

「学校に遅れたらごめんね?」

「…へ?」
 突然のトールの発言に蘭は妙な声を上げた。
 内容はちゃんと理解できたのだが…意味がわからない。
 謝罪と…なぜ、『遅れたら』などと言うのか…。

 ――殺 セ ! !――

 空気が割れたような、急激な耳鳴りのようなものを感じた。
 一瞬、鼓膜が破裂したかと思えた。
 そんなことを感じながら…蘭は何か、違和感を覚えた。
(…あれ?)
 変だ。そう思った。
 ――何かが、おかしい…。
「あ」
 蘭は声を上げて、その違和感の理由を知る。
 ざわめきが消えた。――人々が、消えた。

 いや、蘭が『消えた』のだろうか。
 目を閉じているつもりはないのに、視界が暗い。

 ドクン、ドクン…。
 鼓動が聞こえる。…そんな気がする。
 自分の鼓動モノではない、と思った。――何故か。

 人々が消え、ざわめきが消え…『普通』とは思えない現状なのに、蘭は不思議と落ち着いていた。
 …パニックを通り越して、平常心にったのだろうか。

『蘭』
 声が、聞こえた。

 それは耳元の囁きではない。けれど、近い。
 …頭の中…鼓膜を伝わったものではない――トールの、声。

『蘭を害そうとする奴等が、来た』
(私を害そうとする、奴等?)
 蘭は自身に届いたトールの言葉を繰り返す。
『そう』
 応じるトールの声は近い。――なのに、姿が見えない。
 あれが、と…トールの声が続く。今も、頭の中で声が響く。
 蘭は意識して、瞳を開いた。そうして、自分が目を閉じていたのかと知った。
 瞳を開いても、暗い場所。…暗い空間。
 どこまでも、どこまでも…暗い、視界。
(あれ? …どれ?)
 蘭の目にはどこも、どこまでも同じように見える。
 見える、と思った。
『蘭、『目』を当てにしては駄目だ』
(『目』を当てにしない?)
『そうだ』
 トールが応じる。…蘭は『声』にして呟いていないのに。

 どこまでも続くように思える…闇の中で身を横たえればこういう感じかもしれない。
 とても『通常』とは言えない現状でありながら、蘭は何故か今も落ち着いたままだった。
 『目』を当てにしないというトールの言葉に従うように、瞳を閉じる。

 そうした瞬間、一瞬蘭の手に何かが触れた。
 それは蘭よりも少し大きな手だった。
 …そう、思った瞬間に、手はズシリとした『何か』に変わる。

(え?)
 この手の重みは何なのか。
 意識せず、それを握った。
 固い感触。…けれど、握りやすい。
 ひやりとした――けれど、氷のような冷たさではなく…。
(…何――?)

『蘭、来る!!』
「「嵐、来る!!」」

 トールの声が蘭の中で響いた。
 ――同時に、声が重なったと思った。

 手に握ったモノ。
 頭に直接響くような声。
 暗い場所。――暗い、視界。

(…前、にも)
 ――こんなことがあった。

 暗い場所。――暗い、視界。
 風、圧力。
 …言葉として、言い表せぬモノ。
 蘭は『何か』をぎゅっとまた、更に強く握る。
 腕を高く上げると、蘭は思い切りそれを振り下ろした!

 ――グ ァ ァ ァ ァ ァ ァ ァ ァ ッ ッ ッ ! ! !――

 風の唸る音のようだと思った。
 ――獣の咆哮のようにも聞こえた。
 響き渡ったそれが途切れると、蘭は目を開く。

 視界は暗く、どこまでも暗いままで…目に見える変化はない。
 だが、蘭にはわかった。
(私を、害するモノ…)
 それは、自らの手で消えた。

 
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