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其の十一

わたしはその存在ひとを認めた。
…その存在を、見つめた。

 

 嵐はじっとその人を見つめる。
 視線に気付いたのか、瞳を閉じていたその人…その男は、瞳を開いた。
 視線がぶつかり合う。
 嵐は棚越しにその男を見つめ、男は嵐をじっと見据えた。
 嵐は移動する。棚越しではなく、男を見ようと。
(……いる、よな)
 嵐は今も、その男を見つめた。
 嵐の…挑むような、睨むような視線を受けつつ、ふいに男はにっこりと笑う。
 サラサラとした真っ直ぐな髪質。
 人懐っこさを感じさせる、黒い瞳。
 そらさないままの、視線。

 ――ひどく。
 その男の笑顔が…その、男の存在が、嵐は妙に惹かれた。
(…なぜ?)
 自問する。――答えはない。

「女の子が来るなんて珍しいな」
 男は言った。
 夏の早朝にそよぐ風。水面をぬける風。
 それらを連想させる、明るい声音。
 嵐はしばらくして「え」と声を出した。
『女の子が来るなんて珍しいな』
 自分の中で、男の言葉を繰り返す。
 …誰も、嵐を女だと見破らなかったのに。
 この人は――見破った。
「…私が女だと…」
 わかったのか、と。嵐は思わず訊ねてしまっていた。
 男は笑顔のまま「わかったよ」と応じる。
「一目で、ね」
 続いた言葉に嵐は軽くパニック状態になった。

 なぜ、どうして。どうしよう。なんで――。
 ぐるぐるとパニック思考が広まりそうになる。
(此処は…)
 ふと――嵐はハッとなった。
 一瞬の思考の隙に、冷静さがぽっと入った。
 やや俯いた嵐はバッと顔を上げる。
「…此処は、『刀選びの間』。刀を選ぶ者…刀に選ばれる者以外、立ち入ってはならないはずです」
 現状、嵐以外の存在…この男が『いること』は『あってはならないいけないこと』なのだ。
 嵐は自分が女だとバレたこと――暗黙の了解で男のみが参加する儀式に参加していること――を何処かに放り投げて、男に告げる。
 嵐の言葉に男は一度目を見開き、そしてクスクスと笑った。
「…何がおかしいのですか」
 突然笑い出した男に嵐はややむっとして切り返す。
「――いや、その…ごめん…」
 そう謝罪し言いながらも、何がおかしいのか男は笑い続けている。
(何故笑う?)
 そう思いながら…どこか、ムッとしながら。
 ――それでも、この男に惹かれている自分がいる。

 笑い続ける男をじっと見つめていると、男はやっと笑うのをやめた。
 …正確には、やめるように努力していると言った方が正しいか。男の口元は微妙に震えている。
 ――そして。
「決めた」
 男は、唐突に言った。

 「何を」と、嵐は問いかけようとした。
 しかし、次の瞬間――。
 男は嵐の手に、男の手を重ねた。
 嵐より低い体温の、ひやりと冷たい手。
 また「何を」と言おうとした。…その、前に。
 嵐を抱きしめる。

「…え?」
 嵐は我知らず、声を出してしまっていた。
 嵐は男に抱きしめられていた…はずだった。
 ――しかし…。
「……あれ?」
 嵐は再び声を上げる。
 手にはまだ、男の手の感触…冷たさは、残っているような気がするのに――目の前にいた男が…いたはずの男が、唐突に姿を消した。
 嵐は未だ男の手の感触が残る気がする手を見ろして、また「え」と声を上げた。
 嵐の手には…一振りの刀が、握られていた。
 男の手のような、冷たさ。
 ――けれどそれは、氷に触れるような、凍えるような『冷たさ』ではなく。
 淡い…『金』が近いかもしれない…色に輝く、刀身。片刃の――刀。
「――か、た…な…?」
 嵐は声にして、呟いた。

『そう。オレは、刀』
「――…?!」
 頭の奥で、こえがする。
 それは――あの男の、声。
『オレは、お前に決めた』
 右にその刀を握ったまま、嵐は左手を自身の額に当てる。
 視線を、床に落とした。
 …そして…。
「名前は?」
「?! ぅわっ!!!」
 嵐は突然目前に現れた存在に声を上げる。
 嵐の様子にまた、男は目を一度大きくして、くくっと笑った。

「そんなに驚くなって…」
 男は、笑い続ける。…そんなに笑われるような行動をしただろうか?
 ――でも、普通驚くと思う。
 突然消えたと思った存在が、またもや突然現れたりなどしたら…。
「悪霊祓いを生業としている…これから、生業とするのだろう? だったら、突然消えたり現れたりする存在があってもおかしくないじゃないか」
 男の言葉に…納得していいものだろうか? と、嵐は瞬く。
 何か言いたい、と思う。
 言えない、とも思う。
 ぐるぐると思考は巡るのに…言葉が、出てこない。

「で? 名前は? 呼べないじゃないか」
 思考が巡るがまとまらず、困惑する嵐に男は飄々と言った。
 嵐が戸惑っていることを理解しているのかいないのか…その口調は、カルい。
「…名?」
 男の問いかけに、嵐は拾えた言葉を切り返した。
 「そ」と相変わらずカルい調子で男はくるりと指先を回す。
「ちなみにオレはトール」
「…とお…る?」
 未だに若干ついていけてない嵐をよそに、男はにこにこしたまま頷いた。
「そう。『刀』、『流れる』で、『刀流』だ」
 嵐が現状についていけてないからかもしれないが、今も触れ合ったまま…重ねたままの手に、もう片方の手を男は…刀流は、重ねた。
「オレは、お前のモノ。…お前の、名は?」
「――……」
『刀が、使い手を選ぶのだ』
 嵐の中で、父の言葉が蘇えった。
『刀が、そなたを選ぶのだ』
 案内をしてくれた男の言葉もまた…蘇える。

 ――刀が、使い手を選ぶ。
 刀流が…嵐を――。
『オレは、お前に決めた』
(…まさか…)
 こんな風に『選ばれる』とは思ってなかった。
『オレは、お前のモノ』
 刀流の言葉が、嵐の中でこだまする。
(私の…モノ…)
 私の、刀。
 人形ひとがたを成す――不思議な、刀。

「私は…嵐、です」
「嵐、か」
 刀流は今までへらへらしていたが、その名を口にして目を閉じた。
 噛みしめるように――自らに刻みこむように。
 閉じた目を開き、その瞳に嵐を映した。
「『オレ』の、使い手」
 刀流はそう言うと、嵐の手に触れたまま…深く頭を下げた。

 
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