嵐は刀を手に入れた。
…まさか、長年使い手のなかった刀だとは思わなかったけれど。
私は、刀を手に入れた。
人形をなしたままの刀流を連れ、刀選びの間を出ると、刀選びの間まで案内した男が廊下の角で立っていた。
『刀』を選ぶと、長に報告をするのが習わしだ。
「…選ばれたか」
長の言葉に嵐は力強く頷いた。
「…まさか…」
長は嵐の後ろに控える存在を見つめ、続ける。
「刀流に選ばれるとは思わなかったが」
長の言葉に、刀流はニッと笑った。嵐はそんな刀流の表情に気付かない。
長は細く、息を吐く。
「刀流は、特殊な刀だ。『刀選びの間』の刀の…どれよりも」
嵐は一言一句、聞き逃すものかとじっと長の声を聞く。
「…心して扱え」
「はい…!」
嵐は返事をする。
そして嵐は屋敷――本家を後にした。
嵐の家に向かいながら、刀流は口を開いた。
「何故、女なのに『刀選びの儀』に参加した?」
刀流の言葉に嵐は少しムッとなる。
「『女』が参加しちゃいけませんか?」
嵐の切り返しに「そんなこと言ってない」と刀流はひらりと手を横に振る。
「ただ、珍しいなと思っただけだ」
そう言うと何がおかしいのか、刀流は笑う。…笑い続ける。
「…何がおかしいのですか?」
「え? あ、ごめん」
『ごめん』と言いつつ、笑いが止まらない刀流。
うくくっとまだ笑いつつ、「じゃあ」と再び口を開いた。
「訊ねても、いいか?」
「…何をですか」
その訊ねられる内容を何処かで予想しながら、嵐は刀流を促した。
「どうして女の子なのに、男のような格好をしている?」
その問いかけは、想定どおりだった。
嵐はへらへらしている刀流を見上げる。
ふいっと視線をそらした。
「…少し、寄り道をしてもいいでしょうか」
刀流の問いかけに、嵐は答えにならない言葉で応じた。
「え? あぁ、構わないけど」
嵐はまっすぐに行けば家に向かうところを、右に曲がる。
――夜が近づいていた。
正月明けの冷たい風にさらされる髪に頬。
宵闇に空が染まり始める中、進む。
そこは…。
「寄りたい所って、此処か?」
刀流は「本当に?」という感情を口調と表情で露わに問いかけた。
――そこは…嵐の向かった先は、墓地だった。
「ええ」
嵐は答えて、迷わず足を進める。
静かな場所。死者の、眠る場所。
どこも似たように映る墓地の合間で、嵐はピタリと足を止めた。
「これは、父の墓です」
「…亡くなってたのか」
刀流の問いかけに嵐は淡々と「はい」と答えた。
「…最近…この正月に」
嵐は父の眠る場所を見つめた。
こんもりと盛られた土と、まだ真新しいとも言える卒塔婆。
「――私が生まれた時、父は既に四十を超えていました」
嵐が切り出した言葉に、刀流は「へ?」という顔をした。声にせず、嵐の言葉を遮ることもなかったが。
「…父が男子を望んでいたのを母は知っていたため、生まれた私を『男』と、告げたんです」
淡々としたままの嵐の言葉に、刀流はしばらくの間をおいて問いかける。
「――それが、理由?」
女である嵐が男のような格好をする…刀流の疑問の、答え。
「そう…ですね」
嵐は刀流の手を握った。
嵐の手に刀流はゆるりと瞬く。
「父上…」
小さく呟く嵐の声に、刀流は開きかけた口を閉ざした。
刀流を見ず…そこに眠る人を見つめるように、数日前――大地に帰った父に、嵐は告げる。
「私は、刀を手に入れました」
厳しくて、強く、誇り高くて…優しかった、父。
――本当は、言ってしまいたかった。自分が女であると。
「私は『女』ですが…刀を、手にすることができました」
刀流は嵐の呟きに何も言わず、ただ、そこにある。
――嵐は、考える。
父は自分が女であることを知っていても、優しくあってくれただろうか。
厳しくあってくれただろうか。
――そう、思う。
母は、父が亡くなった時に言った。
『やっと、女子に戻れるのですね』
…母は、父を喪った悲しみに濡れた目で、言った。
――けれど、嵐としては女に戻るのはもっと先でもよかった。
嵐は、父が好きだから。…とても、好きだったから。
『悪霊祓い』の家系の自身に誇りを持つ父を、尊敬していたから。
だから…嵐もまた、その家系の者として、刀を得たいと思った。
だから――『刀選びの儀』に参加した。
――そして、刀を得られた。
父の願い、そして嵐自身のひとつの夢が、叶った。
「――『刀流』というのです、父上」
答えはない。…知っている。
けれど、嵐は続ける。
「私の刀は、『刀流』というのです」
風が吹いた。
その声がわずかに震えた気がして、刀流は嵐を見つめる。
ふと、今まで視線を落としていた嵐は顔を上げた。
…その瞳に、涙はない。
まっすぐに、刀流の目を見つめる。
『ヒト』ではない…けれど感情のある刀流はドキリとした、気がした。
――刀流に、鼓動はないのに。
今まで握れれていた手が、離れた。
「…刀流殿」
静かな声音。…嵐が刀流の名をまともに呼んだのは初めてだった。
まっすぐで、そらさない瞳。
刀流もまたそらさないまま、見つめ返す。…そらせない。
「私を選んでくださって…ありがとうございました」
そう言って、深々と頭を下げた。
「え? …あ…」
刀流は言葉にならない音を発する。
――まさか、こんなことを言われるとは思ってなかった。
嵐が再び顔を上げ、視線がぶつかった。
…再び、ドキリとしたと思った。
――刀流に、鼓動はないのに。…とっくに、失われたものなのに。
ドキリとした自分自身を否定するように、刀流は頭を振る。そして、口を開いた。
「訊いても、いいか?」
「…何を、ですか?」
嵐は刀流を見つめた。…今も尚、まっすぐな視線。
澄んだ、瞳。
「…お前は何故、悪霊と闘う? …何故、闘おうと思う?」
『女』である嵐。…守られてもいい存在だろうに。
…守られていてもいい存在であろうに。
「何故…? 父上の望みだから…ですが」
当然とばかりに嵐は答える。嵐は首を傾げた。
「強くあれ。母上を守れ。それが、父上の言葉です。…母上は自分で気付かぬ『狙われやすい』方だから…」
「…『男』と思っての望みだろう? 嵐は『女』じゃないか」
小さく、刀流は呟く。
刀流の呟きに、嵐は逆に「何故」と問いかけた。
「何故…謎に思うのですか? 私は…父上が望んでくれたことを、私自身もまた、望むだけです」
「――…」
刀流は、嵐の答えに意識せず目を細めた。
父親の言葉を守るため…父親の願いを叶えるため。――そして、母親を守るため。
女である嵐が、刀を取って闘うというのか――。
「…刀流殿」
嵐は今も静かな声のまま、刀流を呼んだ。
意識せず俯いていた刀流は、顔を上げる。
嵐は今も、澄んだ瞳で刀流を見つめていた。
「刀流殿は…『女』、『女』と言いますが…私は馬鹿にされているのですか?」
「そういうわけでは…っ!!」
続いた言葉は想定外なもので、刀流は思わず声を荒げる。
自身の口調の強さに、刀流は慌てて口に蓋をした。その様子に嵐は微かに口元に笑みを刻む。
「…私を心配してくれてるんですか? ありがとう…ございます。とても、嬉しい」
けれど、と嵐は続ける。
「『女』、『女』と…言うことは、やめてください。私は確かに女です。けれど…男に劣っているわけではないと、思っているから」
「――…」
刀流は、声を失った。
――決意の言葉。自分の意志を貫こうとする、心。
それを示す…どこよりも現す、瞳。
(――ああ…)
初めて視線がぶつかった時には、もう…決めていたのか。
刀流は思った。
…自らが気付かないまま、捕らわれていたのか、と。
――まっすぐで、澄んだ瞳に。
(オレは…)
『オレ』が無くなるまで。
(この娘の、刀になろう)
この娘だけの…刀でいよう。
刀流はそう――決めた。
「――悪かった」
刀流は嵐に謝罪した。
嵐が嵐であること。男とか、女だとか…そういうことではなく。
これからは、嵐が嵐であることを尊重しようと思う。
刀流の謝罪に嵐は瞬き、再び笑う。
――年相応の、笑み。まだ、十四の少女だ。
「闇はもう、近い。…嵐、家に向かおう」
刀流は嵐の手を取った。
嵐は刀流の手を避けない。「はい、刀流殿」と頷く。
「……」
刀流は嵐を見つめ、少しばかり考える。
突如、嵐を抱き上げた。
「ぅひゃっ!?」
嵐の妙な声に刀流は思わずプププと笑った。
…笑うのを堪えたが、堪え切れなかった。
「それから…」
笑いが治まると、嵐を抱いたまま刀流は口を開いた。
『刀』である、人形をなした刀流が触れられる存在は、少ない。
少し浮かれているかもしれない、などという自覚がありつつ刀流は続ける。
「『刀流』でいい。『殿』は、いらない」
『刀流』を見つけ、認めた存在。
「…オレは、お前のモノだ」
刀流の言葉に嵐は瞬いた。
バランスをとるのに刀流にしがみつきつつ、呟く。
「――刀流?」
呼びかけに、刀流は心から微笑む。
「よし」
嵐に「どっちに行けばいい?」と問いかけつつ、足を進めた。