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其の十六

わたしは、知らなかった。
…否。
――知ろうとしなかったのかも、しれない。

 

『…明日、昼間に会えるか?』
 そう霞月が言った…翌日。
 ――闇が、世界を染めた。
 冬の空。
 雲越しの薄い青がゆっくりと…闇の色に染まりだす。
 日は高いというのに…そのはずなのに、空が暗くなりだした。
 嵐は気付かなかったが、太陽が欠け始めていたのだ。
 ――それは現在『日蝕』と呼ばれる現象である。

 

「刀流!」
 嵐は姿の見えない刀流の名を半ば叫びつつ呼んだ。
 母には隠処こもりどにいるよう、頼んだ。
 悪霊祓いの札と、お守りと…家にある使えそうなモノ…万が一の時に、母を守れそうなモノと共に隠れているように、と。
 曇るだけではなく…昼間から暗くなる、闇が広がっていく現状。
 絶対におかしい、と嵐は思った。
 この頃増えたようにも思える、悪霊。…悪霊それ等が関わっているのではないだろうか。
「…嵐!」
「――嵐」
 声が、二つ。
 それぞれ、嵐を呼ぶモノ
 一つは嵐の右後ろから。
 そしてもう一つは…嵐のいる場所からは見えない前方――門の、向こう側。

 呼びかけつつ右側に立ったのは、当然というべきか刀流だった。
 そして、姿は見えないが…閉ざされた門の向こうから呼びかける声は。
「…霞月殿?」
 刀流とほぼ同時に嵐の名を呼んだ…その声は、霞月のモノに思えた。

「――嵐」

 繰り返される呼びかけ。霞月のモノと思える、声音。
 ――なのに、何故。
(こんなにも、禍々まがまがしいなどと感じる?)
 月の下で会う人。…美しい人。――好きな、人。
 その人の…霞月の声だと、嵐の耳は判断する。
 ――それなのに、何故。
(禍々しいなどと、思う…?)
 …喜べ。霞月は昨夜の言葉通り、会いに来てくれたのだ。
 霞月自身が、嵐に会うために来てくれたのだ。
 なのに…何故――?
(喜びよりも、恐ろしさが勝る?)

 今感じる雰囲気。…空気。
 嵐はそれと似た雰囲気を――その気配を、知っていた。
 …嫌というほどに、知っていた。
 その空気に嵐にも、刀流にも――緊張感が高まっていく。
「…刀流!」
 嵐は強く、もう一度刀流の名を呼んだ。
 強い呼びかけに、刀流が人形ひとかたから、本来の姿…刀へと、姿を変える。
 嵐は金ともいえる輝きの刀身の刀を構えた。

「嵐…これを解いてくれ…」
 声に嵐は意識せず唇を噛んだ。
(これを解く、とは…)
 ぎゅっと、柄を握る力を強める。
(――もしや、結界のことか?)
 嵐の父は…そして嵐も、家の周りに悪霊を阻む結界を築いていた。
 母を守るために。
 門の外から『解く』と表現するようなものがない。

(…これは、幻聴だ!)
 嵐は自らに言い聞かせた。
 自分の好きな霞月が、悪霊と関係あるはずがない。
 むしろ…初めて会った時に悪霊を消していた。
 悪霊を祓う様も、嵐は見ている。
 ―― ソ ノ 様 子 ハ
 霞月が悪霊と関係があるとしても、自分のように悪霊を滅すための人だ。
 ―― 悪 霊 ヲ 吸 収 ス ル ヨ ウ ニ 見 エ ル

「嵐…」
 繰り返される呼びかけ。…この声。
(…違う)
 この声は…この、呼びかけは、悪霊が嵐を油断させるために――霞月の声を真似ているだけだ。霞月自身ではない。
 この声は、悪霊が霞月の声を真似ているに違いない。
 ――違いない!
 嵐はぐっと、歯を食いしばった。
「刀流…」
 力を、と嵐は言葉にせず呟く。
 嵐は門に結界を強化する言の葉を紡ぎ、踏み出した。

 ――空が暗くなっていく。
 視界が…世界が、闇に染まる。
 …日が、着々と欠けていく。
 だが…嵐は今、どうして闇に染まりきっていないのか、と思った。
 ――全てが闇ならばよかったのに、と。
 嵐は目前に立つ人を見て、思った。
 目が見えないよう…世界を映さないよう――いっそ、全てが闇に染まっていればよかったのに、と。
 …嵐の目前に立つ者。
 ――切れ長の瞳と、薄い唇。…その、均整のとれた顔立ち。
 …声、ばかりでなく…。
 幻視なのだろうか。
 ――こんなにも美しい人が…幻だというのか。

「――嵐…」
 何度目かわからない呼びかけ。
 …闇が、深くなっていく。
 世界が、暗く…染まっていく。
 それでも、嵐の目には映った。
 自分が滅すと決めている悪霊モノ――。
 …その『気配』をまとう者。
 ――霞月の姿をした存在ものが柔らかく微笑んだのが、見えた。

「――刀流…」
 嵐は昨日刀流が言った言葉を思いだしていた。
『…嵐は…気付いてないのか?』
 幻聴だ。幻視だ。――幻覚だ。
 幾度自らに言い聞かせても…嵐自身が、どこかで目前の存在が『霞月本人だ』と感じている。そう、思ってしまう自分がいる。
「――この方、は…」
 昨夜、刀流は嵐を『尾行したつけた』と言っていた。
 ならば、霞月を見たはずだ。
 ならば――。
「…昨日の方と、同じ方か――…?」
 意識せず、声が震えた。
 刀になった刀流のコエは、頭の中に直接響く。
 柄を握る手に再び、力がこもった。
 握り過ぎて、感覚を失いそうだ。
 嵐の問いに刀流が答えるまでの、間。
 長く感じた。
 …現状として、実際には…決して長いなんてことは、なかったのだろうが。
 戸惑うような、躊躇ためらうような…モノを感じた。
『――ああ…』
 答えは違っていてほしくて…でも予想通りで。

(――あぁ…)
 ――刀流は嘘をつかない。知っている。
 出会ってから今まで…刀流が嵐に嘘をついたことはない。
 嘘をつかれたことは、ない。
 ――でも、信じたくない。
 そう思う嵐に…刀流は続ける。
『これは…まぎれもなく、昨日のヤツと、同じモノ』

 嵐 ハ 気 付 イ テ ナ イ ノ カ ?
 再度、嵐の中で刀流の声が蘇える。
 ――そして…。
 ―― ソ ノ 様 子 ハ
 嵐の中で掠めた、何か…。
 ―― 祓 ウ ヨ リ モ 吸 収 ス ル ヨ ウ ニ …

 

「――お前が元凶か!!」

 その時、その場に鋭い声が響いた。
 対峙する存在に半ば吼えるような、声音。
 嵐の背後に…複数の声と気配が近付く。
 声の中には、聞き覚えのあるモノも、いくつか。

 刀で悪霊を祓う一族。
 ――嵐の血族である、声が。

 
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