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其の十七

わたしは…。
――私は…。

 

「禍々しい者よ…」
 一人の男が…その場に集っているのは嵐意外、全員が男だったが…刀を構え、霞月を見据える。
 その様子は、嵐には見えなかったけれど。
 嵐はまるで背後に男達を従えるように、霞月と対峙していた。
 ピリピリと張り詰めた空気が、その場を支配していることは分かった。

「悪霊が増えたのも…お前の存在が故か!!」

 その男の声を、嵐は知っていた。
 父の友として、嵐の家にも来たことのある男の声だ。
 嵐に向けられていた霞月の微笑み。――その笑みが消えていた。
 その視線が嵐から、嵐の背後へと移し、注がれている。
 ――無機質ないろ。暗がりが深まりゆく中、そう思った。
 霞月の唇は言葉を紡がず、沈黙が続く。
 足音が嵐に近付き、そして嵐の視界に、背後にいたであろう数人の男の姿が現れた。
「そなたは下がれ!」
 横並び状態になった男の、小さな囁きがとどく。
 ――けれど、嵐は動くことができない。

 その時。

「――私は、皇たる者」
 その場に、声が響いた。
 声は…霞月の声でありながら、ひどく冷たい。
 嵐は「オウ?」と唇だけでかたどる。
 …霞月が自分を『皇』などと言ったのを、嵐は初めて聞いた。
『名は、霞月だ』
 そう言っていた、霞月。
 ――その名しか、知らない。
『…思いだした…』
 ――そう、言っていた…。

 スッと、霞月は手を上げた。
 …ただ、それだけの動作だというのに美しく見える。
退け」
 小さな呟きは、どうにか聞こえたという程度だった。
 なのに…次の瞬間、ドッ! と強い衝撃音が響いた。
 しかも複数。
「!!」
 嵐を追いぬかし、霞月へと向かった男達は、一斉に飛ばされるように倒れた。
「…?!」
 嵐も同時に、何か圧力のようなモノを受けて後ろによろける。
 そのまましりもちをついた。
 頭の中で、嵐を案じる刀流のコエが響く。だが、応じられない。

「こ…この野郎ぉぉぉぉぉっ!!」
 飛ばされた男のうちの一人がさっと立ちあがった。
 声とともに霞月に斬りかかる。…斬りかかろうと、する。
 ふと、霞月は上げた手をひらりとはらった。――まるで、舞のように。
「――!?」
 闇が広がっていく中でも、男の体から噴出する液体が見える。
 斬りかかろうとした男から、血が噴出していた。
「あ…が…っ!」
 言葉にならない叫びを上げ、男は倒れた。
 吹き飛ばされ、嵐のすぐそばで倒れ込み悶絶する男。
 …左肩から右の腹がまるで、何かでえぐられたようになっている。
 嵐は意識せず口元を覆った。
 …血の、ニオイ。
 暗くて色合いが見えない分、まだましなのだろうか。
 それでもてらてらと妙な水っぼさを湛えた男の傷口が見える。

(霞月殿…? …霞月殿の…力――?)
 手をはらうだけで…人を傷つけることができるのか?
 ――恐ろしい、と思った。
 嵐が今まで刀流と闘ってきた悪霊とは…悪霊の力とは、全く違う。

 動けないままでいる嵐の目に、別の男が霞月に斬りかかろうとする様子が見えた。
 ――だが。
「ぐぁ…っ!」
 今、嵐の隣で悶絶した男と同じように、倒れ込んだ。

 ――恐い。
『…月に誘われた…とでも、しておこうか』
 ――霞月の『力』が、恐い。
『遠慮などいらない』
 ――手をはらい、まるで舞うように人を傷つけることのできる霞月が…。
『…さぁ』
 ――霞月が…。

 その場に集っていた男の数は十五だった。
 だが、今では既に半分が霞月の力によって倒れ――残り、七人となっていた。
「手強い…!」
 一人の男が言った。
「一人ずつでは、歯が立たぬ! ここは皆で一斉に!!」
 その言葉に全員が賛同する。

 刀流のコエはずっと響いていた。
 けれど…遠い。

 嵐は動けずにいる。
 道に出た時から…刀に――刀流に触れながら…今も、動けずにいた。

 

『嵐』
(――父上…)
『嵐』
(…母上――)
 そして――。
「…刀流…」
 小さな声で、名を呼んだ。
 頭の中で、自らの名を呼ぶコエが…響く。

 

「――ごめん…」

 

 囁くように言うと、嵐は刀流を手放した。
 嵐はそのまま、霞月の元へと走り出す!

 ―― ア ラ シ ! !

 刀となった刀流の声は、触れていなければ聞こえない。
 ――けれど、刀流が自分の名を呼ぶ…叫ぶような声が聞こえた。…嵐には、そんな気がした――。

 父が望み、嵐自身も望んだ。――母を守るためにも、悪霊を滅せよ、と…。
 優しい母を、自らが守りたい。――ただ一人の肉親を、自分が。
 そして嵐を選んだ…選んでくれた、刀流。――共に在り、闘い…いつも傍らにいてくれた、友。

(ごめんなさい)
 声にしないまま、嵐は謝罪した。
 それでも、足は止めない。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――…。

 ――でも。…今…。
(…誰の言葉でもなく、自分の意志で…私は、選んで動いている!!)

「嵐!」
 父の友でもあった男が、嵐の名を呼んだ。
 嵐は男達の間を走り抜け、止まらない。霞月と対峙する男達との間に立ち、振り返った。
 腕を広げ――霞月を守るように。
 …傷一つ負っていない、霞月を守るために。
「な…何をしているのだ!」
「正気か?!」
 嵐の行動に男達が驚きの声を上げた。

「――私は、刀を手放しました」
 吼えるような男達に、嵐は淡々と応じた。
 ――視界に、人形ひとがたになった刀流の姿が映る。
(…刀流…)
 嵐は心の中で友に呟く。
(――ごめん…)
「…正気でなくとも構わない」
 嵐は自分の声が、今も淡々としているのをどこか遠くに感じていた。
 男達が息を呑んだのがわかる。…嵐は続けた。
「私は、この方に心奪われています」
 闇が、深まる。…月も星もない、夜空のように。

「――ならば…」
 一人の――嵐の父の友人でもあった男が、刀を構える。
「共に絶えよ!」
 走り、嵐に向かって斬りかかる!
 嵐はその場を動かない。瞬きをせず、その様子を見た。

 ドンッという音が、男が倒れた音だと気付かないまま…急に、視界が変わる。
「――…?!」
 嵐は後ろに引かれた。
 突然のことに、足をよろめかせ、転ぶ。

 現状が、理解できなかった。
「……な…」
 現状を理解しても…言葉が出てこなかった。
 ――嵐の前に立つ、後ろ姿存在
「……な……ぜ……?」
 自分が守るために、立ちはだかったのに。
 …傷一つ負っていなかった人は、自分の後ろにいたはずなのに。
 ――背後に、いたはずなのに…。
 嵐は、半ば這うようにして前に立った男に向かう。
「――か…つ、き――?」
 嵐の声に、男――霞月が振り返った。微かに、笑う。

 立っていた霞月がガクリと膝をついた。
「…っ!」
 嵐は声にならない声を上げる。
「…人の体は…不便だ…」
 嵐は霞月の腕を掴む。ほぼ同時に、霞月はむせた。
 ゴホッと、血を吐き出す。
「霞月殿…っ!」
 嵐の手に、霞月の血が伝う。手のひら全体に広がって、べたりとはりつく。
 霞月の首の左側の付け根が、深く斬られていた。

 嵐の一族である男達が、自分の仲間の敵討ちをするため、それぞれが刀を構える。
「――あ…ら、し…」
 呼びかける声も、続く囁きも掠れ、途切れがちで――けれど、霞月の声は届いた。
 霞月の囁く内容に、嵐は首を横に振る。
「…嫌だ…」
 膝を折ったままの霞月に、男達は好機を逃すまいと地を蹴り、二人の元へと突進してくる。
 霞月は嵐から一度視線を外すと、振り払うように手を上げた。
 突撃してきた男達が、霞月のその手に合わせるように吹っ飛ぶ。
 霞月は視線を嵐に戻した。
 眉間にシワを寄せ、霞月の顔は苦痛にゆがむ。
 嵐が名を呼ぶ前に、霞月が嵐の腕を痕がつくくらいにぐっと掴んだ。
 霞月の首から口から、血が溢れ、流れる。
 霞月は半ば怒鳴るように言った。

「…ただの刀で私を死なせるつもりか――?!」

 ――霞月は、嵐に言ったのだ。
 嵐の刀刀流で、自らを斬れ、と――。

「…霞月、殿…」
 嵐は怒鳴って血を吐き、血を流す男の名を呼んだ。
 …血の色に染まってもなお、美しい男。
 ――視界に、霞月の力で吹き飛ばされた男達が立ち上がるのが見えた。
 嵐の腕を掴む霞月の手が震える。…もしかしたら、嵐自身が震えているのか。
 わからなかった。

 ゼッと、霞月のノドの奥からざらざらした音を漏らす。
「――あ、らし…」
 霞月の手が、嵐の頬に伸びる。何かを拭うように、嵐の頬に指を沿わした。
「…こ、ころ…奪われ、て…いた、の…は…――」
 ――遠くで、男達の声が聞こえる。
 …遠くで…。
「…わ、た…し……も…」
 ――男達があと三歩ほどで霞月に刃を浴びせるという時…。

「――…刀流…!!!」
 嵐は自らの刀を、呼んだ。

 手に馴染んだ重み。手触り。
 金色とも思える…淡い輝きを放つ、刀身。
 嵐はそれを構え…そして。
「あああああっ!!!」
 叫び声とともに、霞月に突き立てた…!

(…霞月殿…)
『――私は、皇たる者』
 嵐は、突き立てたモノを引き抜いた。
 手に伝ってきた血が…着物の胸元や顔にも傷口から溢れ、吹きでた血がかかる。
(…霞月殿――)
『…ただの刀で私を死なせるつもりか――?!』
 血のニオイ。
 水よりも、濃い液体。
(霞月…霞月…霞月――)
『――心奪われていたのは、私も――』
 ――耳に残る、声。言葉。
 嵐に向かって霞月が倒れ、嵐は支えきれずに共に倒れる。
 「嵐」と空気が震えるような声が聞こえた気がした。

(…霞月――!!!)

 そして、霞月は唇に笑みを刻み…その血さえなければまるで眠っているようにも見える表情で、その肉体を手放した。
 ――光が戻り始め、その様が見える。
 日蝕が終え、日の光が戻り始め…霞月の様が、網膜に焼き付いていく。
 流れる血。まだ温かい体。
 手に残る、『突き立てた』感触。
 首と、みぞおちと…未だ溢れ出る、嵐の着物に染みていく血。

 世界に、光が戻ってくる。
 だが、嵐の世界は暗いままだ。
 ――網膜に、脳ミソに焼きつく…霞月の姿。
 今も霞月の重みはあって、温かくて…でも、その目が開くことはなくて――。
(――私が…)
 嵐は霞月の重みを感じながら、くうを見ながら…その目に何も映さない。
 ふと、笑った。
(私が、殺した――)
 心奪われた人を。…自分が、好きになった人を。
 ――感触が、今も手に残っている。
 嵐が刀流で斬るモノは、悪霊。…人を斬ったのは、初めてのことで…。
 初めて殺した人は、自分が好きになった人…そして、自分を好きになってくれた人…。

「…ふふ…」
『嵐?』
 …自分を呼ぶ刀流の声も、嵐にはとどかない。
「…は…はは…」
 ――嵐の心は、粉々に砕け散った――。

「…あ、は…ははははは…っ!」

 
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