嵐は…。
――私は…。
「禍々しい者よ…」
一人の男が…その場に集っているのは嵐意外、全員が男だったが…刀を構え、霞月を見据える。
その様子は、嵐には見えなかったけれど。
嵐はまるで背後に男達を従えるように、霞月と対峙していた。
ピリピリと張り詰めた空気が、その場を支配していることは分かった。
「悪霊が増えたのも…お前の存在が故か!!」
その男の声を、嵐は知っていた。
父の友として、嵐の家にも来たことのある男の声だ。
嵐に向けられていた霞月の微笑み。――その笑みが消えていた。
その視線が嵐から、嵐の背後へと移し、注がれている。
――無機質な瞳。暗がりが深まりゆく中、そう思った。
霞月の唇は言葉を紡がず、沈黙が続く。
足音が嵐に近付き、そして嵐の視界に、背後にいたであろう数人の男の姿が現れた。
「そなたは下がれ!」
横並び状態になった男の、小さな囁きがとどく。
――けれど、嵐は動くことができない。
その時。
「――私は、皇たる者」
その場に、声が響いた。
声は…霞月の声でありながら、ひどく冷たい。
嵐は「オウ?」と唇だけでかたどる。
…霞月が自分を『皇』などと言ったのを、嵐は初めて聞いた。
『名は、霞月だ』
そう言っていた、霞月。
――その名しか、知らない。
『…思いだした…』
――そう、言っていた…。
スッと、霞月は手を上げた。
…ただ、それだけの動作だというのに美しく見える。
「退け」
小さな呟きは、どうにか聞こえたという程度だった。
なのに…次の瞬間、ドッ! と強い衝撃音が響いた。
しかも複数。
「!!」
嵐を追いぬかし、霞月へと向かった男達は、一斉に飛ばされるように倒れた。
「…?!」
嵐も同時に、何か圧力のようなモノを受けて後ろによろける。
そのまましりもちをついた。
頭の中で、嵐を案じる刀流のコエが響く。だが、応じられない。
「こ…この野郎ぉぉぉぉぉっ!!」
飛ばされた男のうちの一人がさっと立ちあがった。
声とともに霞月に斬りかかる。…斬りかかろうと、する。
ふと、霞月は上げた手をひらりとはらった。――まるで、舞のように。
「――!?」
闇が広がっていく中でも、男の体から噴出する液体が見える。
斬りかかろうとした男から、血が噴出していた。
「あ…が…っ!」
言葉にならない叫びを上げ、男は倒れた。
吹き飛ばされ、嵐のすぐそばで倒れ込み悶絶する男。
…左肩から右の腹がまるで、何かで抉られたようになっている。
嵐は意識せず口元を覆った。
…血の、ニオイ。
暗くて色合いが見えない分、まだましなのだろうか。
それでもてらてらと妙な水っぼさを湛えた男の傷口が見える。
(霞月殿…? …霞月殿の…力――?)
手をはらうだけで…人を傷つけることができるのか?
――恐ろしい、と思った。
嵐が今まで刀流と闘ってきた悪霊とは…悪霊の力とは、全く違う。
動けないままでいる嵐の目に、別の男が霞月に斬りかかろうとする様子が見えた。
――だが。
「ぐぁ…っ!」
今、嵐の隣で悶絶した男と同じように、倒れ込んだ。
――恐い。
『…月に誘われた…とでも、しておこうか』
――霞月の『力』が、恐い。
『遠慮などいらない』
――手をはらい、まるで舞うように人を傷つけることのできる霞月が…。
『…さぁ』
――霞月が…。
その場に集っていた男の数は十五だった。
だが、今では既に半分が霞月の力によって倒れ――残り、七人となっていた。
「手強い…!」
一人の男が言った。
「一人ずつでは、歯が立たぬ! ここは皆で一斉に!!」
その言葉に全員が賛同する。
刀流のコエはずっと響いていた。
けれど…遠い。
嵐は動けずにいる。
道に出た時から…刀に――刀流に触れながら…今も、動けずにいた。
『嵐』
(――父上…)
『嵐』
(…母上――)
そして――。
「…刀流…」
小さな声で、名を呼んだ。
頭の中で、自らの名を呼ぶコエが…響く。
「――ごめん…」
囁くように言うと、嵐は刀流を手放した。
嵐はそのまま、霞月の元へと走り出す!
―― ア ラ シ ! !
刀となった刀流の声は、触れていなければ聞こえない。
――けれど、刀流が自分の名を呼ぶ…叫ぶような声が聞こえた。…嵐には、そんな気がした――。
父が望み、嵐自身も望んだ。――母を守るためにも、悪霊を滅せよ、と…。
優しい母を、自らが守りたい。――ただ一人の肉親を、自分が。
そして嵐を選んだ…選んでくれた、刀流。――共に在り、闘い…いつも傍らにいてくれた、友。
(ごめんなさい)
声にしないまま、嵐は謝罪した。
それでも、足は止めない。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――…。
――でも。…今…。
(…誰の言葉でもなく、自分の意志で…私は、選んでいる!!)
「嵐!」
父の友でもあった男が、嵐の名を呼んだ。
嵐は男達の間を走り抜け、止まらない。霞月と対峙する男達との間に立ち、振り返った。
腕を広げ――霞月を守るように。
…傷一つ負っていない、霞月を守るために。
「な…何をしているのだ!」
「正気か?!」
嵐の行動に男達が驚きの声を上げた。
「――私は、刀を手放しました」
吼えるような男達に、嵐は淡々と応じた。
――視界に、人形になった刀流の姿が映る。
(…刀流…)
嵐は心の中で友に呟く。
(――ごめん…)
「…正気でなくとも構わない」
嵐は自分の声が、今も淡々としているのをどこか遠くに感じていた。
男達が息を呑んだのがわかる。…嵐は続けた。
「私は、この方に心奪われています」
闇が、深まる。…月も星もない、夜空のように。
「――ならば…」
一人の――嵐の父の友人でもあった男が、刀を構える。
「共に絶えよ!」
走り、嵐に向かって斬りかかる!
嵐はその場を動かない。瞬きをせず、その様子を見た。
ドンッという音が、男が倒れた音だと気付かないまま…急に、視界が変わる。
「――…?!」
嵐は後ろに引かれた。
突然のことに、足をよろめかせ、転ぶ。
現状が、理解できなかった。
「……な…」
現状を理解しても…言葉が出てこなかった。
――嵐の前に立つ、後ろ姿。
「……な……ぜ……?」
自分が守るために、立ちはだかったのに。
…傷一つ負っていなかった人は、自分の後ろにいたはずなのに。
――背後に、いたはずなのに…。
嵐は、半ば這うようにして前に立った男に向かう。
「――か…つ、き――?」
嵐の声に、男――霞月が振り返った。微かに、笑う。
立っていた霞月がガクリと膝をついた。
「…っ!」
嵐は声にならない声を上げる。
「…人の体は…不便だ…」
嵐は霞月の腕を掴む。ほぼ同時に、霞月はむせた。
ゴホッと、血を吐き出す。
「霞月殿…っ!」
嵐の手に、霞月の血が伝う。手のひら全体に広がって、べたりとはりつく。
霞月の首の左側の付け根が、深く斬られていた。
嵐の一族である男達が、自分の仲間の敵討ちをするため、それぞれが刀を構える。
「――あ…ら、し…」
呼びかける声も、続く囁きも掠れ、途切れがちで――けれど、霞月の声は届いた。
霞月の囁く内容に、嵐は首を横に振る。
「…嫌だ…」
膝を折ったままの霞月に、男達は好機を逃すまいと地を蹴り、二人の元へと突進してくる。
霞月は嵐から一度視線を外すと、振り払うように手を上げた。
突撃してきた男達が、霞月のその手に合わせるように吹っ飛ぶ。
霞月は視線を嵐に戻した。
眉間にシワを寄せ、霞月の顔は苦痛にゆがむ。
嵐が名を呼ぶ前に、霞月が嵐の腕を痕がつくくらいにぐっと掴んだ。
霞月の首から口から、血が溢れ、流れる。
霞月は半ば怒鳴るように言った。
「…徒の刀で私を死なせるつもりか――?!」
――霞月は、嵐に言ったのだ。
嵐の刀で、自らを斬れ、と――。
「…霞月、殿…」
嵐は怒鳴って血を吐き、血を流す男の名を呼んだ。
…血の色に染まってもなお、美しい男。
――視界に、霞月の力で吹き飛ばされた男達が立ち上がるのが見えた。
嵐の腕を掴む霞月の手が震える。…もしかしたら、嵐自身が震えているのか。
わからなかった。
ゼッと、霞月のノドの奥からざらざらした音を漏らす。
「――あ、らし…」
霞月の手が、嵐の頬に伸びる。何かを拭うように、嵐の頬に指を沿わした。
「…こ、ころ…奪われ、て…いた、の…は…――」
――遠くで、男達の声が聞こえる。
…遠くで…。
「…わ、た…し……も…」
――男達があと三歩ほどで霞月に刃を浴びせるという時…。
「――…刀流…!!!」
嵐は自らの刀を、呼んだ。
手に馴染んだ重み。手触り。
金色とも思える…淡い輝きを放つ、刀身。
嵐はそれを構え…そして。
「あああああっ!!!」
叫び声とともに、霞月に突き立てた…!
(…霞月殿…)
『――私は、皇たる者』
嵐は、突き立てた刀を引き抜いた。
手に伝ってきた血が…着物の胸元や顔にも傷口から溢れ、吹きでた血がかかる。
(…霞月殿――)
『…徒の刀で私を死なせるつもりか――?!』
血のニオイ。
水よりも、濃い液体。
(霞月…霞月…霞月――)
『――心奪われていたのは、私も――』
――耳に残る、声。言葉。
嵐に向かって霞月が倒れ、嵐は支えきれずに共に倒れる。
「嵐」と空気が震えるような声が聞こえた気がした。
(…霞月――!!!)
そして、霞月は唇に笑みを刻み…その血さえなければまるで眠っているようにも見える表情で、その肉体を手放した。
――光が戻り始め、その様が見える。
日蝕が終え、日の光が戻り始め…霞月の様が、網膜に焼き付いていく。
流れる血。まだ温かい体。
手に残る、『突き立てた』感触。
首と、みぞおちと…未だ溢れ出る、嵐の着物に染みていく血。
世界に、光が戻ってくる。
だが、嵐の世界は暗いままだ。
――網膜に、脳ミソに焼きつく…霞月の姿。
今も霞月の重みはあって、温かくて…でも、その目が開くことはなくて――。
(――私が…)
嵐は霞月の重みを感じながら、空を見ながら…その目に何も映さない。
ふと、笑った。
(私が、殺した――)
心奪われた人を。…自分が、好きになった人を。
――感触が、今も手に残っている。
嵐が刀流で斬るモノは、悪霊。…人を斬ったのは、初めてのことで…。
初めて殺した人は、自分が好きになった人…そして、自分を好きになってくれた人…。
「…ふふ…」
『嵐?』
…自分を呼ぶ刀流の声も、嵐にはとどかない。
「…は…はは…」
――嵐の心は、粉々に砕け散った――。
「…あ、は…ははははは…っ!」