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其の十八

夢を見た。
『過去』という名の、『記憶ゆめ』を。

――夢を、見た…。

 

「…刀流…」
 嵐は――否、嵐だった者…蘭は、刀流の名を呟く。
 『過去』という名の『夢』。
 『記憶』という名の『夢』。
 遠い『過去』。夢のような…『記憶事実』。
「――霞月は…」
 …その名を口にするだけで、心臓が軋む気がした。
 セツナイ。カナシイ。サビシイ。コイシイ…。
 様々な感情が交錯する。
 刀流を呼びかけつつ、蘭は自分の中に巡る感情に目を閉じ、唇を噛んだ。

「――蘭」
 刀流は静かに呼びかけて、俯いた蘭の頭を引き寄せた。
 肩を抱き、囁く。
「…今はもう、寝な」
「……」
 引き寄せられた蘭は薄く目を開いた。再び目を閉じる。
 体温のない刀流。そのはずの、刀流。
 ――けれど、温かいような気がした。
 声にして応じない蘭に、刀流は柔らかく髪を梳く。
「思うことは…色々あると思う。でも――今は」
 ゆっくり休め、と静かな声で言った。
 今も、過去も変わらない…刀流の、声。
「な?」
「――うん…」

 頷いた蘭に「よし」と刀流はぽんぽんと軽く頭を叩いた。
 蘭はベッドに潜り込む。
 蘭は刀流が眠ったのを見たことがない。
 前に、刀流が眠りを必要としないと聞いたことことがあった。
 じっと刀流を見ていると、視線に気付いたらしい刀流がゆるゆると瞬き、口を開いた。
「オレの美声で子守唄でも歌おうか?」
 刀流の言葉に蘭は一度目を丸くしてから微かに笑った。
「刀流は何を歌えるの?」
 蘭の問いかけに「ん?」と刀流は少しばかり首を傾げる。
 ぽんぽん、と蘭の頭をあやすように撫でつつ、応じた。
「古い歌、だなぁ…。何? オレの美声が聞きたい?」
 蘭は思わず「ふふっ」と声にして笑ってしまった。
 蘭の笑う声に、刀流は目を細める。その視線は優しい。
「…じゃあ、刀流のビセイ、聞かせてもらおうかな」
「そこまで言われたら歌わないわけにはいかないなぁ」
 はっはっはっ! と何故か胸を張る刀流の様子に、蘭はまた少しばかり笑ってしまう。
「先に言っとくけど…本当に古〜い歌だぞ?」
「うん」
 頷いた蘭に「おし」と頷いて、刀流は電気を消した。
 枕元に戻って腰を下ろすと、蘭の瞼を覆う。
「目、閉じてな。…目を輝かせて聞いてたら、『子守唄』じゃなくなるだろう?」
 刀流の触れる手は、冷たい。
 「そっか」と応じると、瞳を閉じる。
 しばらくすると…刀流の手は蘭の瞼を覆ったままの状態で声が届いた。
 刀流の歌う、声。
 古い言い回しで、もしかしたら『嵐』の時代ころの歌なのかもしれない、などと思考の隅で思う。
 ――確かに、聞いたことのない歌だった。
 でも、と蘭は思う。
(…優しい、歌…)
   それは刀流の声だからなのか、子守唄の響きだからか…わからなかったけれど。

 ――その夜。
 蘭は『過去』の『記憶』を夢に見ることはなかった。
 本当にぐっすりと…夢も見ないほどに、ゆっくりと眠った。

・ ・ ・

 闇のとばりというものがあれば、このようになるのかもしれない。
 光のない、感じられない場所。――空間。
 音もなく、長くいれば気が狂いそうな…静寂しじま
 其処は何処でもなく…何処でもある場所だった。

 ――皇――

 沈黙を破る…というよりは、水面に波紋が広がるように、何処からかコエが響いた。
 夜の帳に身を置く一人は、うっすらと目を開く。
 切れ長の瞳と、薄い唇。…その、均整のとれた顔立ち。
 緩やかな癖のある髪をまとめず、そのまま流している。
 美しい男と言えた。

 ――何 時 、 皇 ハ 動 カ レ マ ス デ シ ョ ウ カ … ?――

 続けて広がった言葉に男は目を細める。
「――近いうちだ」
 応じる声は、冷ややか。
 口元にだけ浮かぶ微笑は、密やか。
「…下がれ」
 男の声に、『それ』は姿を消す。
 再び、静寂が其処を支配した。

 その『場』に一人になった男は、細めていた目をそのまま閉じる。
「…私は、皇――」
 小さく、呟いた。…その声を聞く者は、いない。
「…私は――」
 闇に溶けそうな呟きは、そこで途切れた。
 ――唇だけが、声にしないまま何かをかたどる。

「………」
 男は、瞳を開いた。

 その瞳は、何かを探しているように…何かを求めるように、見えた。

 

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