夢を見た。
『過去』という名の、『記憶』を。
――夢を、見た…。
「…刀流…」
嵐は――否、嵐だった者…蘭は、刀流の名を呟く。
『過去』という名の『夢』。
『記憶』という名の『夢』。
遠い『過去』。夢のような…『記憶』。
「――霞月は…」
…その名を口にするだけで、心臓が軋む気がした。
セツナイ。カナシイ。サビシイ。コイシイ…。
様々な感情が交錯する。
刀流を呼びかけつつ、蘭は自分の中に巡る感情に目を閉じ、唇を噛んだ。
「――蘭」
刀流は静かに呼びかけて、俯いた蘭の頭を引き寄せた。
肩を抱き、囁く。
「…今はもう、寝な」
「……」
引き寄せられた蘭は薄く目を開いた。再び目を閉じる。
体温のない刀流。そのはずの、刀流。
――けれど、温かいような気がした。
声にして応じない蘭に、刀流は柔らかく髪を梳く。
「思うことは…色々あると思う。でも――今は」
ゆっくり休め、と静かな声で言った。
今も、過去も変わらない…刀流の、声。
「な?」
「――うん…」
頷いた蘭に「よし」と刀流はぽんぽんと軽く頭を叩いた。
蘭はベッドに潜り込む。
蘭は刀流が眠ったのを見たことがない。
前に、刀流が眠りを必要としないと聞いたことことがあった。
じっと刀流を見ていると、視線に気付いたらしい刀流がゆるゆると瞬き、口を開いた。
「オレの美声で子守唄でも歌おうか?」
刀流の言葉に蘭は一度目を丸くしてから微かに笑った。
「刀流は何を歌えるの?」
蘭の問いかけに「ん?」と刀流は少しばかり首を傾げる。
ぽんぽん、と蘭の頭をあやすように撫でつつ、応じた。
「古い歌、だなぁ…。何? オレの美声が聞きたい?」
蘭は思わず「ふふっ」と声にして笑ってしまった。
蘭の笑う声に、刀流は目を細める。その視線は優しい。
「…じゃあ、刀流のビセイ、聞かせてもらおうかな」
「そこまで言われたら歌わないわけにはいかないなぁ」
はっはっはっ! と何故か胸を張る刀流の様子に、蘭はまた少しばかり笑ってしまう。
「先に言っとくけど…本当に古〜い歌だぞ?」
「うん」
頷いた蘭に「おし」と頷いて、刀流は電気を消した。
枕元に戻って腰を下ろすと、蘭の瞼を覆う。
「目、閉じてな。…目を輝かせて聞いてたら、『子守唄』じゃなくなるだろう?」
刀流の触れる手は、冷たい。
「そっか」と応じると、瞳を閉じる。
しばらくすると…刀流の手は蘭の瞼を覆ったままの状態で声が届いた。
刀流の歌う、声。
古い言い回しで、もしかしたら『嵐』の時代の歌なのかもしれない、などと思考の隅で思う。
――確かに、聞いたことのない歌だった。
でも、と蘭は思う。
(…優しい、歌…)
それは刀流の声だからなのか、子守唄の響きだからか…わからなかったけれど。
――その夜。
蘭は『過去』の『記憶』を夢に見ることはなかった。
本当にぐっすりと…夢も見ないほどに、ゆっくりと眠った。
・ ・ ・
闇の帳というものがあれば、このようになるのかもしれない。
光のない、感じられない場所。――空間。
音もなく、長くいれば気が狂いそうな…静寂。
其処は何処でもなく…何処でもある場所だった。
――皇――
沈黙を破る…というよりは、水面に波紋が広がるように、何処からかコエが響いた。
夜の帳に身を置く一人は、うっすらと目を開く。
切れ長の瞳と、薄い唇。…その、均整のとれた顔立ち。
緩やかな癖のある髪をまとめず、そのまま流している。
美しい男と言えた。
――何 時 、 皇 ハ 動 カ レ マ ス デ シ ョ ウ カ … ?――
続けて広がった言葉に男は目を細める。
「――近いうちだ」
応じる声は、冷ややか。
口元にだけ浮かぶ微笑は、密やか。
「…下がれ」
男の声に、『それ』は姿を消す。
再び、静寂が其処を支配した。
その『場』に一人になった男は、細めていた目をそのまま閉じる。
「…私は、皇――」
小さく、呟いた。…その声を聞く者は、いない。
「…私は――」
闇に溶けそうな呟きは、そこで途切れた。
――唇だけが、声にしないまま何かをかたどる。
「………」
男は、瞳を開いた。
その瞳は、何かを探しているように…何かを求めるように、見えた。