眠りに落ちる前に聞いたのは、優しい声。
…優しい、歌声。
刀流の歌う、子守唄――。
「…ん…」
ふと、目が覚めた。蘭はゆるゆると瞬く。
そのまま、少しばかり顔を動かした。
――天上、カーテン…と視線を動かしていく。
(まだ、暗いな…)
そう思いながらも、蘭はゆっくりと身を起こした。
「――お? 起きたか?」
声が、聞こえた。
「……」
その声の主を見つめる。――蘭の枕元に座っている刀流を。
そして…昨日眠る前に聞いた歌声を思いだす。
蘭の知らない、古の歌。
――刀流の歌う優しい歌…子守唄を。
「でも――まだちょっと、早いんじゃないか?」
ぼんやり見つめる蘭に、刀流は柔らかく声をかける。
少し唇に笑みを浮かべ、そっと蘭の髪を撫でる。
「…刀流」
蘭は、名を呼んだ。
名を呼んで、眠る前のことを――刀流の歌を聞く前のことが思いだされて――細く息を吐き出した。
・ ・ ・
普通の女子高校生だった蘭。
今でも『普通』だが、ひとつ変わったことがある。
昨日、蘭は記憶を取り戻した。
――別に、蘭が記憶喪失だったというわけではない。
正確には…前世のことを思いだしたのだ。
前世を――嵐だった時のことを。
嵐は今、『何か』に狙われている。
…その『何か』は、憎しみ、苦しみの思い。――負の感情。
――『悪霊』と呼ぶモノ。
それが嵐だった時――蘭の前世の時の恨みを晴らさんと襲ってくるのだ。
過去に、嵐が滅した『皇』。
おそらく――その『皇』が蘇えった故に、嵐であった蘭が狙われている。
『皇』を奪われた悪霊達が、かつての恨みを晴らすために。
「「――嵐」」
瞳を閉じて…思い起こすことができる声。
涼やかな秋風。宵闇へと移る空の夕暮れ…その時の、澄んだ空気。
それらを思わせる…優しい、声。
――でもそれは、前世を共に過ごした刀流ではなくて。
「「…月に誘われた…とでも、しておこうか」」
夢の中…何度も何度も蘇えっていた声は、霞月のモノで。
霞月は、悪霊が『皇』と崇めた存在で。
蘭は…嵐は、そんなことは知らなくて。
――いや、わかろうとしてなかった、だけかもしれなくて。
…そして。
『皇』は…いや、霞月は――。
「「…徒の刀で私を死なせるつもりか――?!」」
――嵐が心奪われた…嵐が、殺した存在だ。
・ ・ ・
蘭は目を開き、ぼんやりと空を見ていた。
「蘭?」
呼びかける刀流の声に、蘭はハッとした。
「…大丈夫か?」
ぼんやりとする蘭に、刀流は問いかける。
「…――」
蘭はじっと、刀流を見つめた。
過去を思いだした。前世を思いだした。
…刀流を置いていった嵐を、思いだした。
(――刀流…)
『過去』という名の『記憶』。
『前世』という…『事実』。
刀流を置いて霞月を選び…霞月に望まれて、刀流で霞月を殺した。
「…蘭?」
繰り返される呼びかけ。蘭はわずかに目を伏せる。
嵐であった時は…思考はもうぐしゃぐしゃで、何がなんだかわからないままで――。
それでも現在、蘭として思いだした。
霞月の望み。
――霞月の、人間である体を嵐の一族傷つけられ…『人間』として生き続けるのが不可能になった。
霞月はその『最期』を、嵐に託した。
『刀流』という、人形を成す特別な『刀』で、嵐に霞月を斬れと、言った。
嵐は、そんな霞月の願いを叶えた。
――斬られ、苦しげに歪む顔。
痕がつくほどに強く腕を掴み、真っ直ぐに嵐の目を見据えた。
その真っ直ぐな瞳に宿る感情が見えた気がした。
『嵐以外の手に掛かる気はない』
――『最期』を、嵐に。
霞月としての…『人間』としての『最期』を、嵐に。
血を吐いても美しい男。
そんな彼の、願い。
『…徒の刀で私を死なせるつもりか――?!』
半ば吼えるように言った、霞月の願い。…声。
「…大丈夫、だよ」
蘭は静かに応じた。思考を振り払うように、軽く頭を振る。
刀流に顔を向け、「おはよう」と続けた。