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其の十九

眠りに落ちる前に聞いたのは、優しい声。
…優しい、歌声。
刀流の歌う、子守唄――。

 

「…ん…」
 ふと、目が覚めた。蘭はゆるゆると瞬く。
 そのまま、少しばかり顔を動かした。
 ――天上、カーテン…と視線を動かしていく。
(まだ、暗いな…)
 そう思いながらも、蘭はゆっくりと身を起こした。

「――お? 起きたか?」
 声が、聞こえた。
「……」
 その声の主を見つめる。――蘭の枕元に座っている刀流を。
 そして…昨日眠る前に聞いた歌声を思いだす。
 蘭の知らない、いにしえの歌。
 ――刀流の歌う優しい歌…子守唄を。

「でも――まだちょっと、早いんじゃないか?」
 ぼんやり見つめる蘭に、刀流は柔らかく声をかける。
 少し唇に笑みを浮かべ、そっと蘭の髪を撫でる。
「…刀流」
 蘭は、名を呼んだ。
 名を呼んで、眠る前のことを――刀流の歌を聞く前のことが思いだされて――細く息を吐き出した。

・ ・ ・

 普通の女子高校生だった蘭。
 今でも『普通』だが、ひとつ変わったことがある。

 昨日、蘭は記憶を取り戻した。
 ――別に、蘭が記憶喪失だったというわけではない。
 正確には…前世のことを思いだしたのだ。
 前世を――嵐だった時のことを。

 嵐は今、『何か』に狙われている。
 …その『何か』は、憎しみ、苦しみの思い。――負の感情。
 ――『悪霊』と呼ぶモノ。
 それが嵐だった時――蘭の前世の時の恨みを晴らさんと襲ってくるのだ。
 過去に、嵐が滅した『皇』。
 おそらく――その『皇』が蘇えった故に、嵐であった蘭が狙われている。
 『皇』を奪われた悪霊達が、かつての恨みを晴らすために。

「「――嵐」」

 瞳を閉じて…思い起こすことができる声。
 涼やかな秋風。宵闇へと移る空の夕暮れ…その時の、澄んだ空気。
 それらを思わせる…優しい、声。
 ――でもそれは、前世過去を共に過ごした刀流ではなくて。

「「…月に誘われた…とでも、しておこうか」」

 夢の中…何度も何度も蘇えっていた声は、霞月のモノで。
 霞月は、悪霊が『皇』と崇めた存在で。
 蘭は…嵐は、そんなことは知らなくて。
 ――いや、わかろうとしてなかった、だけかもしれなくて。
 …そして。
 『皇』は…いや、霞月は――。

「「…ただの刀で私を死なせるつもりか――?!」」

 ――嵐が心奪われた…嵐が、殺した存在だ。

・ ・ ・

 蘭は目を開き、ぼんやりとくうを見ていた。
「蘭?」
 呼びかける刀流の声に、蘭はハッとした。
「…大丈夫か?」
 ぼんやりとする蘭に、刀流は問いかける。

「…――」
 蘭はじっと、刀流を見つめた。
 過去を思いだした。前世を思いだした。
 …刀流を置いていった自分を、思いだした。
(――刀流…)
 『過去』という名の『記憶』。
 『前世』という…『事実』。

 刀流を置いて霞月を選び…霞月に望まれて、刀流で霞月を殺した滅した

「…蘭?」
 繰り返される呼びかけ。蘭はわずかに目を伏せる。

 嵐であった時は…思考はもうぐしゃぐしゃで、何がなんだかわからないままで――。
 それでも現在いま、蘭として思いだした。
 霞月の望み。
 ――霞月の、人間である体をの一族傷つけられ…『人間』として生き続けるのが不可能になった。
 霞月はその『最期』を、嵐に託した。
 『刀流』という、人形ひとがたを成す特別な『刀』で、嵐に霞月自らを斬れと、言った。
 嵐は、そんな霞月の願いを叶えた。
 ――斬られ、苦しげに歪む顔。
 痕がつくほどに強く腕を掴み、真っ直ぐに嵐の目を見据えた。
 その真っ直ぐな瞳に宿る感情が見えた気がした。
お前以外の手に掛かる気はない』
 ――『最期』を、嵐に。
 霞月としての…『人間ひと』としての『最期』を、嵐に。
 血を吐いても美しい男。
 そんな彼の、願い。
『…ただの刀で私を死なせるつもりか――?!』
 半ば吼えるように言った、霞月の願い。…声。

「…大丈夫、だよ」
 蘭は静かに応じた。思考を振り払うように、軽く頭を振る。
 刀流に顔を向け、「おはよう」と続けた。

 
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