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其の二十

其処は、何処でもない場所。
――そして、どこでもある場所。

カゲと…それから。
皇のある、場所。

 

 ――皇――

 声のような…意思のようなものが、その場を揺らした。
 『皇』と呼ばれた者は、伏せていた目を開く。
 切れ長の瞳と、薄い唇。…その、均整のとれた顔立ち。
 皇は、美しい男と言えた。

「――急くな」
 呼びかけに、皇は小さく応じる。

 ――皇――

 今一度響く声に皇は身を起こし、髪をかき上げる。
 ゆるい癖のある髪が指の合間から零れた。
「…時は近い」

 光の時が…闇に覆われる時。
 ――日の光が、消える時。

「――時は近い。…今しばらくの間だ」
 急くな、と皇はもう一度口にする。
「下がれ」
 端的に、皇は言った。
 響くその声は、冷ややかなモノ。
 皇の声に、『ソレ』は姿を消した。

 その『場』に一人になった皇は、身を横たえると瞳を閉じる。
「時が満ちる…」
 小さく、呟いた。――その声を聞くものは、いない。
「闇が、世界を覆う…」
 そこで一旦呟きは途切れた。
 皇はゆっくりと瞬きをする。
 ――そして。
「――   」
 …小さく、呟いた。

・ ・ ・

「おはよう」
「おはよう」
 蘭は母親に挨拶をしながらテーブルについた。
 父親は既に出掛けたようだ。
 空になった茶碗がテーブルに置いてある。
『ニュースをお伝えします』
 刀流はソファーに腰を下ろして、つけっぱなしになっているテレビから流れるニュースを見ていた。

(…なんだか変な感じ)
 普通に和んでいる刀流を見て、いつも思う。
 蘭は話せるし、触れられるし…刀流は確かにそこにいるのに、母親にはその存在が見えていないのだから。
「蘭、今夜何か食べたいものある?」
 蘭の母がテーブルにつきながら問う。蘭は「うーん」と唸った。
『…来週の今日、午前十時頃と予想されています』
 蘭はアナウンサーの声にピクリと反応する。
 思わず振り返り、テレビに注目した。
 「あ、テレビ消すの忘れてた」と母は呟く。
 蘭はアナウンサーの言葉に瞬きをして、次にソファーに腰を下ろしている刀流を見つめた。
 特に反応らしい反応はない。
 アナウンサーの言った単語にテレビに注目した蘭だったのだが、刀流の反応のなさに「あれ?」と思った。
 しかし…ニュースで映像が流れた途端、刀流が目を見開いた。

 ニュースで流れた映像は、数年前インドで見られた現象…皆既日蝕の様子だった。
 流れる映像がどんどん暗くなり…昼間だというのに、闇がテレビ画面を支配した。
 刀流が息を呑む様子が見て取れた。

 『やっぱり』と蘭は思う。
 過去に…一番思いだすのが辛い前世ときに、――嵐の手で、霞月を殺した日に起きた現象。
 昼間に、世界が闇に覆われる現象…。
 あれは、皆既日蝕だったのだと認識する。

 皆既日蝕の日…皆既日蝕の時には、闇の力が高まる。
 日の光が届かなくなり、昼間に闇が世界を支配する。
 その、時間。…その、瞬間。
 ――闇の力が、高まる。

「……」
 思わず刀流の様子を見続けてしまう蘭に、母は言った。
「蘭、時間はいいの?」
「あ…はい」
 蘭は返事をすると、慌てて朝食を口に運ぶ。
 味噌汁を口にする蘭は、正面にいる母の視線が自分に固定されていることを感じて、首を傾げた。
「何?」
 蘭の問いかけに母は軽く自らの首を摩りながら応じる。
「ん…蘭、首のところにそんな痣あったっけ?」
 母の言葉に、蘭は思わず右手で首を覆った。

 痣は、初めて悪霊に襲われた…見つかった時、獲物の印として、蘭の首をぐるりと一周するように赤い線が…痣が、刻まれていた。

「なんか…赤い、線…みたいな…」
 母の呟きに、なんと応じるべきか迷い、蘭は「そう?」と曖昧に笑った。
 刀流はそんな蘭と母の様子を…視線はテレビに釘付けのままだったが…気にしていた。

 

「いってきます」
 玄関でそう言って、蘭は学校に向かう。
 刀流は当然のように、蘭の後に続いた。
 蘭が『刀流』を思いだしてからずっと…ほぼ、同じ時間を過ごしている。

「――痣…」
「え?」
 刀流の呟きがよく聞こえなくて、思わず聞き返した。
「痣が…濃いな。…濃く、なったな」
 刀流はそっと蘭の顎を持ち上げて、首にある痣を見つめた。
 刀流の瞳に陰りが宿る。
 そんな刀流の瞳の陰りに気付かず、顎を持ち上げられたまま蘭は「どうしたの?」と問いかけようとした。
 しかし、顎を持ち上げられている現状でうまく言葉にならない。
「な…」
 何? と問いかけようとした蘭だったが――そういえば刀流の姿は他の人には見えていないはずで、蘭の現状は一人で空を見上げているように見える映るのだろうか…などと思った。
 ここで「何?」にしろ「どうしたの?」にしろ、問いかける様子を見られたら変な人かも、とも思う。
 思考と、空に向けた視線とで蘭は気付かなかった。
「――ごめんな」
 小さな、謝罪の言葉を。

「ん?」
 蘭は刀流が何かを呟いた気がして、聞き返す。
「……」
 返ってきたのは沈黙。
「…刀流…?」
 問いかける蘭に、刀流は突如触れた。
「?! と、刀流?!」
 刀流は、蘭の首筋に唇で触れた。
 現状に気付いた蘭は赤面する。
 周りの人に注目されるかもしれないことなど頭からすっぽ抜けた。
 刀流は悪戯っぽい笑みを、蘭に口付けた唇に浮かべる。
「はははっ!」
「刀流!」
 刀流は楽しそうに笑い、蘭は半ば怒鳴るように名を呼んだ。

「蘭」
 べしべしとひとしきり蘭に叩かれた後、刀流は呼びかける。
 口調が変わった刀流に気付き、蘭は刀流を叩く手を止めた。
「来週…日蝕が起こるらしいな」
 蘭はゆるりと瞬いて、小さく「うん」と頷く。
「あれ…日蝕って言うんだな」
 刀流は囁くように言う。蘭は、何も言わない。…言えない。
「昼間に、闇が訪れる…闇が、日を覆う…」
 蘭は思わず足を止めてしまっていた。
 刀流がそっと蘭の背に触れ、足を進めるように促す。
「――闇の力で覆われる…」
 蘭は目を伏せた。意識せず、歩みが遅くなる。
 刀流は蘭の瞳を見つめ、言った。
「多分…前以上に悪霊やつらが蘭を襲うようになる」
 蘭は小さく頷く。

「――オレを使い…闘え」
「…うん」

 日蝕が近付いていた。

 
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