時が満ちる。
…悪霊が、蘭を襲う。
日蝕は翌日に迫っていた。
蘭は大きく息を吐き出した。
当初から着々と増えたように思えた悪霊の襲撃が、刀流の言ったとおり…より一層増えた。
日蝕が近付くにつれ、闇の力でも増すのか…蘭を襲う悪霊の力が増すのか、前より更に絶え間ない。
現在は授業中だが教師が出張のため、自習である。
やるべきプリントを終え、蘭は机にうつ伏せていた。
「蘭、大丈夫か?」
うつ伏せる蘭に、刀流は問いかけた。その言葉に蘭は微かに頷くだけで応じる。
(本当は…あんまり大丈夫じゃないかも…)
こっそり、そんなことも思った。
刀流に心配をかけたくないから、言おうとは思わないが。
――眠っていても、襲われる。
眠る時間…夜こそ悪霊の動きが活発になる時で、襲われるのだ。
深く眠れないというのは、疲労を回復させる障害になっている。
なんとなく、ダルい。…かといって、気など抜けない。
(明日は日蝕…)
蘭はそんなことを思いつつ、少しだけ顔を上げた。
顔を上げた蘭の顔を刀流は覗き込む。そっと、髪に触れた。
「蘭、少し眠れ」
「――ん…」
刀流に小さく応じ、蘭は再びうつ伏せる。そのまま、瞳を閉じた。
…ここ最近まともに眠ることができていないせいか、睡魔はほどなくやってくる。
蘭は睡魔に身を任せ、そのまま眠りへと落ちていった。
・ ・ ・
(……?)
闇、闇、闇――。
蘭は辺りを見渡した。それから、視線を足元へと落とす。
見下ろした視線の先には…当然ながら…蘭の足や、体が映った。
蘭は腕を持ち上げ、自分の手を見下ろす。
ふと、意外に思った。
(どうしてこんなに暗いのに…私の手は見えるんだろう…)
辺りは真っ暗で、何も見えないと言っても過言ではない。
――なのに、自分の手は見える。
蘭は見下ろした手を開いたり閉じたりしてみた。
自分の思うとおりに動いている。やはり、見えている手は蘭の手で間違いないだろう。
――自分が光っているのか?
そんなことを思いつつ、蘭は首を傾げた。
(これ…夢、だよね? …変な夢だな…)
『夢』だとわかる夢も珍しい気がする。
蘭の場合、夢を見ている時は大抵夢の中を現実だと思っているから。
蘭は此処でぼんやりしていてもしょうがないだろうか、ととりあえず当てもなく歩きだしてみた。
(…何も起こらない…)
うーん、と蘭は一人声を上げた。
上げた声も何処へいってしまうのか…響くような感じはない。
そして『闇』に囲まれている現状…。
悪霊と闘っている身としてはなんとなく不安な心持になってもおかしくない気がするのだが…刀流が傍にいるわけでもないのに、全くそういった感情は起こらなかった。
蘭は考える。
今の『夢』と、いつもの『夢』との違いを。
(いつもの夢は…)
もっと、現実味がないというか…感覚として、自分がオブラートに包まれているような、フワフワとしたような感覚がある気がする。
――それは、嵐の夢の時でも。
けれど、今は…今の夢は。
(妙にしっかりしているというか…現実味があるというか…)
そう、一人きりの世界の思考に浸っていた。
…一人きりだと、思った。
「――何奴だ」
――突然響いた声。
蘭の体は勝手に震えた。
一人きりだと思っていたせいか、他者の存在に自分でも驚くくらい反応した。
蘭は声の発信源を探ろうと、視線を巡らせた。
…そして。
「…――」
呼吸と時間が止まった…そんな気がした。
視線を巡らせた先に映る、一人の男。
蘭の目に映る…一人の、男。
何故、という呟きは声にならず、目前の男も言葉を発さない。
蘭は立ち止まっていた。…立ち尽してしまっていた。
だから、なのか…男が蘭に向かって歩を進める。
闇の中、突如現れた存在。
つい先程まで自分しかいなかったはずの空間に、突然姿を現した男――。
切れ長の瞳と、薄い唇。…その、均整のとれた顔立ち。
美しい男。
「…霞月…」
蘭はその名を呼んだ。
驚きからか…もっと別の感情からか、妙に掠れ…小さな声音になる。
男は…霞月は、呼びかけに言葉で応じず、蘭の頬に柔らかく触れることで応じる。
微かに、笑みを浮かべた。
優しく、柔らかく…まるで、嵐に見せた微笑みと同じように。
蘭は頬に触れた霞月の手に、自らの手を重ねる。
――冷たい手だな、と思った。
・ ・ ・
「――ん? …蘭?」
呼ぶ声に、蘭はうっすらと目を開いた。
声は、刀流のモノ。
蘭が顔を上げると、蘭の顔を見た刀流が目をわずかに見開いた。
「――蘭?」
刀流の驚いたような顔に蘭は瞬いた。
――その瞬間、頬に何かが伝う。
夢…いや、現実だったのか?
夢の中で触れた冷たい手の感触が残っているような気がして、蘭は自分の頬に触れる。
ひやりと、している。
…頬に伝った『何か』は、蘭が流した涙だった。
蘭はその涙をぬぐうが、また溢れる。
また溢れて、流れて…止まらない。
『お前は…』
夢の中の言葉。
――霞月の、言葉。
自分の中で巡る言葉に、蘭は目元を覆う。
「……」
泣くな、泣くな…自分に言い聞かせるが、涙が勝手に溢れ出る。
「…蘭…? え? どうしたの? お腹痛い?」
「蘭? どうした…?」
友人も刀流も心配してくれて、声をかけてくれているのはわかったが、応じることができなかった。
――明日は日蝕。
何百年ぶりと言われる…日本で見られる皆既日蝕。
蘭は明日…決戦の日を迎える。