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其の二十二

『蘭はわかっているのか?』
ある戦いの後の、刀流の言葉。

唐突の問いに、答えられない。
蘭は「何を」と逆に問いかける。

それに、刀流は応じた。
『あいつ等の、『核』を』

 

 明日は日蝕。
 ――決戦の日。

 以前の会話を思いだし、蘭はグッと祈るような形で指を組んだ。
 悪霊には『核』があり、その『核』を斬ると悪霊は消えるのだそうだ。
 …自分は悪霊を感じることはできても、目で見ることができないので『核』と言われてもなんのことだかさっぱりわからなかった。
 ――だが。
 刀流が言うには…蘭は、蘭自身が目で『見えて』いない悪霊を――その『核』を…その『核』だけを斬るように動いているのだと。

 蘭自身は気付かなかった…むしろ、知らなかった。

 『核』を絶てば、悪霊は消える。
 『核』を断てば、存在し続けることができない。

 ――それは…皇とて、同じこと。

・ ・ ・

『すぐに終わる…』
 前世以前と変わりないように…より一層美しくなったように見えた皇…いや、霞月。
 切れ長の瞳と、薄い唇。
 …その、均整のとれた顔立ち。
 緩やかに癖のある、柔らかな髪――。
 美しい男。――その美しさに、なんの変わりはなく。
 少し低い優しい声も、変わらず…。
『お前は…』

 蘭はカーテンを開け、夜空を見上げる。
 霞月の言葉に思いを巡らせ、ギュッと目を閉じた。
 ――また、感情が巡る。…涙が溢れそうになる、気がする。
 …けれど。
 蘭は、涙を流すのを堪えた。
 『自分』が泣くようなことはないのだ、と――自らに言い聞かせた。

 

「…蘭?」
 夜空を見上げる蘭に、刀流は声をかけた。
 蘭は振り返る。
 その瞳にわずかに涙がにじんでいる気がして、刀流は瞬いた。
 時刻は、夜の十時半。
 眠るには少しだけ早い時間だろうか。
 ただ、蘭はこの頃睡眠不足のはずだ。睡眠や休養は、取れる時に取っておいたほうがいいように思われる。
 今のところ、悪霊が襲ってくる気配はなく…明日は、日光の注ぐ昼間に夜の闇が訪れる…皆既日蝕だ。
「まだ…眠らないのか」
 刀流は蘭の目に浮かぶ気がするモノには触れず、問いかけた。
 人に眠りは必要なものだ。
 眠れる時には眠ったほうがいいと刀流は考えるのだが。
 刀流の言葉に蘭は目を伏せた。ふっと、細く息を吐き出す。
「どちらかというと、『眠らない』んじゃなくて『眠れない』んだけどね」
 体は疲れている気がするのに、神経が高ぶっている感覚だ、と蘭は続けた。
「昼間に寝たせいかなぁ…」
 そう言いつつ、蘭はカーテンを閉めてベッドに腰を下ろす。
 立ったまま、自分を見つめる刀流に視線を向けた。
「…何?」
 刀流の視線に蘭はそう言葉を投げかける。
「――え? あ…その…」
 蘭の真っ直ぐな視線に刀流にはないはずの鼓動が高鳴ったような気がして、少し戸惑った。
 相変わらず、この視線に慣れないのだろうか。
 …真っ直ぐな視線は、刀流が心奪われた嵐の視線モノと同じように感じる。
 さわさわと…自分の中でさざ波が起こるような、感覚。

「…今日の…昼間…」
 蘭の言葉を汲むように…そして蘭の瞳が潤んでいる気がする現状に、刀流は言葉を紡いだ。
「どうして、泣いた?」
 問いかけに、蘭がピクリと反応した。刀流はそんな蘭の反応を見逃さない。
 ベッドに腰を下ろす蘭と視線の高さを合わせ、蘭の手に触れた。一度目を伏せ、再び刀流を見るようになった蘭の瞳を見つめる。
 ――蘭の瞳が揺れているのはきっと、刀流の気のせいではない。
「……」
 ゆっくりと瞬きをした。――蘭は、答えない。
「――蘭?」
 刀流は再び、呼びかける。
 蘭が目を伏せ、その目に刀流を映さなくなる。
「…ら…」

 呼びかけは、呼びかけにはならなかった。
 目を伏せた蘭の、苦しげな表情に気付いてしまったから。
「ら…蘭?」
 苦しげな表情と、心臓を掴む勢いで自らの胸元を掴む指先…。
 力を込め過ぎて、震えている。
 涙で潤んでいた瞳の揺らめきがより顕著になり、零れはしなかったがその目から涙が溢れそうになっていたことに気付いた。
 蘭の様子に、『そんなに強い口調で咎めて言ってしまっただろうか』と刀流は慌てた。
 伏せた目を持ち上げ、蘭は慌てた様子の刀流をその目に映す。
 …瞼を持ち上げて、溢れずにいた涙が一筋零れた。
 蘭は自分の頬を伝ったモノにはっとする。
 涙をぬぐい、数度瞬きを続けた。
「どうした…? どうしたんだ、蘭…」
 蘭はふっと息を吐き出した。
 浅い呼吸を繰り返し、自らの胸元を掴んでいた手の力を緩めた。
 自分の胸元を掴む手と、刀流が重ねる手とを交互に見つめ、刀流の顔へと視線を移す。

「…ごめん」
 謝罪して、蘭は口元に笑みを刻んだ。
 ――その笑みが、妙に切ないものに思えて…刀流は蘭を抱き寄せる。
 その涙とその笑みと…包み込むように、抱きしめる。

「…言えないのか」
 ――涙の理由を、と明確な言葉にはしなかった。
 けれど…蘭には刀流の言いたいことが伝わったのか、刀流の腕の中で俯く。
 刀流は意識せず唇を噛んだ。
 『刀』となっても、『人形ひとがた』であっても…『心』まで見えるわけではない。
 『思考』まで、知れるわけではない。
 『使い手』と『刀』。
 それでも――各々おのおのの存在であり…刀流が蘭の『全て』を知りうることはできない。
 相手が嵐であった時も…『全て』を汲むことはできなかったように。

「――ごめん」
 その謝罪の意味が、分からない。
 何を思い、どういった意味の謝罪なのか…分からない。
 蘭は細く息を吐き出し、今にも消え入りそうな声で続けた。
「…今は――」
 ――今は、まだ。
 蘭は言いながら、抱きしめる刀流の腕に軽く頬を押しつけた。
「…ごめんね…」
 蘭は同じ言葉を繰り返す。
 ――刀流は応じない。…応じられない。
 ただ、抱きしめる。

「ありがとう――」
 続いた感謝の言葉にも刀流は応じられなかった。
 謝罪と、感謝と…紡がれたそれぞれの言葉。
 なんの謝罪なのか。…何に対する、感謝なのか。
 刀流には、分からなかったから――。

 ただ、抱きしめる。
 それしか、できない。
 ――置イテイカナイデクレ
 あの日、嵐に告げることができなかった言葉が口の端までのぼりかけ、奥歯に力を込めて、封じ込めた。

 
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