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其の二十三

日が、欠けていく。
…ゆっくりと…だが、確実に。
日が、欠けていく。

――闇に、覆われる。

 

 蘭はふと、時計を見上げた。
 ――もうすぐ、十時。
 …時が近付いている。
 光が…陽光が世界を照らす時間ときに、世界が闇に覆われる瞬間が。
 なんだかんだで、昨晩は悪霊に襲われることもなかった。
 …『今』のために、余力でも残しているのだろうか。

 ちょうど皆既日蝕の予定時刻が物理の授業だったせいか――教師が天体に興味があるということも大いに関係あると思えたが――もうすぐ日本で何百年ぶりに観測できるという皆既日蝕現象のおかげで、物理の担当教師がいるものの、ほぼ自習の状態だった。

 ――くる。
 きっと、もうすぐ。
「らーん?」
 呼びかけに、はっとした。その声は、友人のモノ。
「なんか…元気なくない?」
 続いた言葉に蘭は曖昧に微笑む。
「ちょっと…寝不足なんだ」
「…なんか、ここ最近ずっとしんどそうだよね? …休まなくていいの?」
 大丈夫? と案じてくれる友人に蘭は「大丈夫」と軽く応じた。
 友人と蘭との会話を刀流は見ている。
「…先生いるけどさぁ、どうせ自習だし…保健室で休んできちゃえば?」
 変な顔色になってしまっているのか、友人は更に言葉を重ねる。
 もう一度「大丈夫」と答えようとした蘭だったが…ふと、思った。
(…そっか…皆既日蝕の時間に…)
 …悪霊をほふる『場』――刀流の築く『結界』に行くはずだ。
 もしかしたら蘭は、姿を消すのかもしれない。
 そうなれば――その、瞬間を誰かに見られれば…。
(騒ぎになっちゃう、かも…?)
 しばらく考えたのち、今も心配そうに蘭を見つめる友人に視線を向けた。
「…休んじゃおうかな…」
 口元を手で覆って、応じる。
「先生にはあたしから言っとくよ」
 任せて、と言わんばかりに自らを示す友人に「ありがとう」と蘭は笑って、立ち上がった。
 自習のためか、自然の天体ショーのせいか、教室はなんとなくざわめいている。
 蘭を気にするクラスメイトはいない。

 日が欠けだしたのか、曇りの日のようになんとなく暗くなってきた。
「――刀流」
 小さな声で、名を呼んだ。
 当然のように、刀流は蘭に並ぶ。
「行こう」
 蘭の声に刀流は頷くことで応じた。

 ――皇を絶つ時が、近付いていた。

・ ・ ・

『すぐに終わる…』
 霞月の…いや、皇の言葉が、蘭の頭に浮かぶ。
『――お前は…』

 ――意識せず、胸元を掴んだ。

・ ・ ・

 日蝕が始まり、日の半分が欠けた。
 昼間だというのに…そして天気もいいのに…薄暗い。

 廊下を歩きながら見えたそれぞれの教室の様子は、なんとなくざわついている。
 どのクラスも授業を中断して、皆既日蝕の観測になっているようだ。
 蘭は教室を出て階段を降りると、体育館のあるほうに足を進めた。

「刀流」
 蘭は再び、刀流の名を呼んだ。
 きゅっとその手を握り、刀流を見上げる。
「…頼むね」
 ――もうすぐ…日蝕が、完全になった時。…皆既日食となった時。
 完全に、日が見えなくなった時。

 悪霊カゲは――悪霊達ヤツ等は、このくびを狙ってくるだろう。
 ――皇と共に。

 体育館に向かう途中の廊下には、そのまま外に出られるような大きな窓がある。
 その窓から、空を見上げた。
 …見る見る暗くなっていく様子を、見つめる。

 チリッと、空気が乾燥した時のような…何かを感じた。
 けれど、乾燥した時とは違う…気配を感じる。
 ――そして。

「――刀流!!」
 蘭に言われるまでもなく、刀流は蘭を抱きしめる。
 異空間…刀流の築く『結界』へと、蘭を誘った。

・ ・ ・

 蘭は刀へと変貌した刀流と共に悪霊を屠る場――『結界』に立つ。
 皇を消し、悪霊を消し…終わらせる。
 蘭は自分自身にそう誓い、刀流を…自らの金色に輝く刀を闇に向かって構えた。

 蘭の目に悪霊は映らない見えない
 けれど、感じる。
 重苦しい威圧感。――頭が割れてしまいそうに響く、コエ。
 悪霊の嵐への…蘭への、憎しみの声。

 ――力 ガ 溢 レ ル ! !――
 ――皇 モ 動 カ レ タ !――
 ――吾 等 ハ 負 ケ ヌ ! !――

 いつもの三倍は存在するであろう悪霊のコエが…意思が、感じられた。
 キツすぎる耳鳴りと、目眩を感じたように思う。
 蘭は頭を振ってそれらを追い払おうとした。
 それは、叶わなかったが…こんなところで目眩に意識を奪われている暇はない。

 ――ふと、空気が変わったと思った。
 ザワリ…と闇がうごめく。揺らめく。
 陽炎を見るように視界が歪む。
 『場』が二つに裂けた。――そう、思った。
 その裂けた『場』に…一人の男が姿を現す。
 美しい男。
 真っ直ぐに蘭を見据える…切れ長の瞳。――無機質な瞳。
 蘭の刀流を握る力がこもった。
『…皇――』
 触れる右手から、刀流の意識が流れ込んでくる。
 その意識コエに、蘭の指先がピクリと震えた。
『――蘭…』
 ――あの日…嵐だった過去、刀流が嵐に手放された瞬間ことが思い起こされたのか…呟くような、乞うような意識を感じた。

「大丈夫だよ、刀流」

 蘭ははっきりと…声にして、応じた。
 じっと、目前に立つ皇を見据える。
 無機質な瞳を見据える。…その目を、逸らさない。

 ――皇 ! !――
 ――皇 ! !――
 ――皇 ! !――

 悪霊の意思がそこら中に響き渡った。
 頭が割れそうなほどの強いコエ。
 けれど、蘭は怯まない。
 ――真っ直ぐに皇を…皇の瞳を見据え、刀流を…蘭の刀を構え直した。
「私は刀流を放さない…」
 低く呟き、構えた刀を皇へと向ける。
「――絶対に――」
 蘭は刀流と、自分自身と…皇へと、言い放つ。

「皇を滅す!!」

 蘭の強い強い口調…その言葉に、悪霊達がざわめいた。
 怒り、猛り、その『場』が震える。

 ――小 娘 ガ ホ ザ キ オ ッ テ ! ! !――
 ――捻 リ 潰 シ テ ク レ ル ワ ! !――

「――下がれ」

 静かな…だが、よく通る皇の言葉こえ
 怒鳴ったわけでもないのに、一瞬にして沈黙が訪れる。

「…来い」
 皇の視線は蘭に注がれたままだった。
 だが、その声は――その命は、悪霊カゲ達にもたらされたモノ。
 ザワリと…空気、空間自体が揺れる。
 空間に存在したいくつもの悪霊が、皇の呼びかけに喜びのコエと共に皇の元へと集い、コエが消える。
 皇が、悪霊を吸収しているのだ。
 …その光景は、嵐が初めて霞月――皇と会った時に見た光景と同様のモノだった。

 ――皇 ! !――
 ――皇 ! !――
 ――皇 ! !――

 ザワザワと悪霊のコエが…意思が、空間にこだまする。
 頭が割れてしまいそうだ。
 蘭は顔をしかめた。苦しい。痛い。
 けれど――耐える。逸らさない。その様を…見つめ続ける。

 悪霊を吸収するにつれて皇の姿――美しい男の姿が、闇に消えていく。
 …いや、闇と一体化するといったほうが正しいだろうか。
 ゆっくりと…ゆっくりと――姿が見えなくなる。

 そして――…。
「サァ、来ルガヨイ」
 そのコエは皇のモノ。
 ――そして、悪霊のモノ。
「我ヲ滅ス刀ヲ握リシ者ヨ」

 皇の姿は、蘭の目には見えなかった。
 …蘭は悪霊の姿を見えない。――悪霊と一体化した皇の姿は見えない。
 だが、蘭にはわかった。
 皇のある場所。――皇の立っている場所。

 蘭はただ斬ればいい。
 …蘭はただ…刀を振り下ろすだけでいい。

 昨日、皇と…霞月と約束したのだ。
 ――必ず滅す、と。

『蘭、『目』を当てにしては駄目だ』
 蘭として初めて悪霊と闘った時、刀流は言った。刀流の言葉を頭に浮かべる。
 蘭はゆっくりと瞬き、呼吸を整えた。
 皇へと足を進める。
 圧迫感。…威圧感。
 腕も足も重い。――けれど、立ち止まらない。
 頭が今も割れそうなほど、コエが響く。
 苦しい。潰されそうだ。
 けれど…それでも!

 蘭は刀を振り上げた。
(ここだ――!!)

 ――そのまま刀を振り下ろす。

 …ザンッ――

 悪霊を『斬る』時には、蘭の手に『斬った』という感覚はない。
 だが…皇にはあった。
 嵐が霞月を刺し貫いた時よりは、微かな感覚ではあったが。

 皇の『核』は、人間で言うところの喉仏の部分辺り
 蘭は皇の首を、一刀両断した。

 蘭はぐ、と歯を食いしばる。
『泣くことはない』
 ――皇の…霞月の声が、聞こえたような気がした。

 
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