「ループル!」
スールは再び、ループルの名を呼んだ。
目の前に現れた、火に包み込まれたループルをスールは抱きとめる。
自分の力で立とうとしたループルだったが、足にうまく力が入らず、そのままにスールに抱きとめられた。
(――思ったより…熱かったな…)
熱いのは当然である。スールが放ったのは火なのだから。
ループルは髪が焦げ、マントも焦げていた。皮膚も所々焼けている。
ループルの印象として、スールはいつでも冷静な人だ。
しかし、今は…
「…なぜ!」
顔が、歪んでいる。冷静さはない。
(スールが取り乱してるの、見るの初めてだな…。――あ、二回目か…)
動揺しているスールとは裏腹に、ループルは中々呑気に自分を抱きとめたスールを見ていた。
(確か…初めて会った時もブチ切れた…って感じだったし…)
スールは水を呼び、とにかくループルの負った火傷を冷やす。
今更、焼けたところが痛んできた。
「………」
スール、と呼びかけた。しかし、うまく声が出ない。
(あー…喉がやられたかなぁ…声…うまく出ないや…)
治療に専念しているスールはループルの声のない呼びかけには気づいていない。
「…… …」
もう一度、呼びかけた。
…空気がわずかに震えただけだったが、今度はスールが気づいた。
「ループル…なんだ? ――どうした?」
ループルは何かを言いかけて…やめる。
何から言えばいいのかわからなかったからだ。
そんなループルにスールは問いかける。
「……なぜ、風を解いた?」
なぜ、とスールは言葉を続ける。声は震えていた。
「…なぜ、傷つくような真似をした…?」
ループルはゆっくり瞬きをする。そしてその言葉に微笑んだ。
スールが自分を案じてくれているとわかったから。
そしてループルは答える。
声はないが――ループルの思いを伝えるのを、風が手伝った。
『私は言いました。…全て思いだした、と』
風の伝えるループルの思い…声に、スールはゆっくりと瞬きを繰り返す。
『全て…全てです』
里の人達が殺された時のことも。
ループルの言った意味を理解したように、スールは目を丸くした。
『里に、私に対して優しい存在などいなかった…。あの優しい記憶は…私に、里の復讐をさせようとして…ですね』
里の人達が優しかった…そんな記憶があったから、里の人達を皆殺しした『あの男』を憎んだのだ。復讐しようと、心に決めたのだ。
もしも本当の…スールの記憶の介入のない実際の記憶のままだったなら、ループルは自分に優しくなかった里の人達を殺した男――スールを憎んだりしただろうか。
…きっと、憎まなかっただろう。
(…だからスールは、私の記憶の中の里の人達を優しい記憶に変えたんだ)
スールは瞳を丸くした。…ループルの考えは図星だったのだろう。
ループルは瞳を閉じる。
…スールが、里の人達を殺したのは…きっと。
(――あの時、きっと…怒ったんだ)
スールの願いを叶えることができる存在…ループルを虐げる存在に、怒った。
怒りの感情を爆発させた。――そして、殺した。
ただそれだけ、と言えなくもない理由だが…それでも。スールには十分な理由だったのだろう。
あの時の怒り方を思えば。
「…ループル…」
スールの呼びかけには困惑が混ざっていた。
『…私に攻撃をしてきたのは…』
三年前に別れた時は、スールはただ、ループルからの攻撃を待っていた。
ループルは一つ息を吐き出してから、続ける。
『私が躊躇わないで…あなたに反撃するように、だったのではないですか?』
「――…」
スールは目を伏せた。肯定しているも同然である。
そんなスールの様子にループルは微かに笑った。
『私に攻撃しておいて、治療してはしょうがないじゃないですか』
「……」
スールはループルの髪に触れた。言葉は発しない。――発せないのかもしれない。
髪を撫でられたループルは気持ちよさそうに目を閉じる。
「…スール」
声が出るようになった。火にあてられた衝撃が薄れたのだろう。
声の出たループルに息を吐き出して、スールは支えていたループルを抱きしめた。
よかった、と。掠れた呟きがループルの耳にとどく。
「スールは私を唯一の存在だと、言ってくれましたよね」
言って、ケホッとむせた。
「無理をするな」
スールはループルの背中を優しく撫でる。
「無理は、してないです」
そう言いながらむせるループル。説得力がない。
「ループル…」
スールの声は「本当か?」と言わんばかりの呼びかけである。
その声にループルは苦笑を返した。
しばし、沈黙が流れる。
「――…スール」
その沈黙を破ったのは、ループルだった。
「――私は…」
瞳を一度閉じて、開いた。琥珀色の瞳にスールが映る。
「――…あなたの願いを叶えることは…できません…」
その言葉に、スールは瞳を丸くした。
そして一度瞳を閉じると、静かに問いかける。「なぜ」と。
「――私の気持ちが変わっていないから。…あなたのことを思いだした時、あなたを想う心も思いだしたから」
だからできません、とループルは言った。
「私も自分本位なんです。…あなたのように」
喋り続けるのは辛く、ループルは時々むせる。
「あなたが『死』を願っていたとしても…私があなたに死んでほしくないから」
「…俺は、お前の家族を殺したぞ」
例え優しくされなかったとしても、血のつながりは尊ぶのではないかと。そう、スールは言った。ループルはその言葉に応じる。
「…あなたが私の家族を殺したという罪があるのなら、私には家族を思わない罪があります」
私は薄情な人間なんでしょうね、とループルは呟いた。
声が掠れ始める。
ループルが語ることを止めようとするスールの手を自身の手で遮り、ループルは続けた。
本当に言いたいことがある。
本当に伝えたいことが…。
「もしも…偽りの記憶が本当で、私の家族や里の人が――私に、優しかったとしても」
この想いが芽生えるなら、きっと。――スールへの想いがあるなら、絶対に。
「私はあなたを選びます」
死んで、還らない人達よりも。
「あなたを、選びます…」
今一度のループルの言葉に、スールは言葉を失ったようだった。
唇だけがループルの名を刻む。
「なぜ、スールが死を願うかは…私は、知りません」
その言葉に、スールは悲しい目でループルを見た。――その瞳にはどんな感情がこもっているのだろう。
「――私の家族を殺したということで、あなた自身が死を望むなら…」
ループルは一度言葉を切った。
そして、言い直す。
「…誰かを殺したという罪であなた自身が『死』という罰を望むなら…その罰は、生きることです」
生きることがあなたを苦しめるのなら。
「…あなたが死を望むなら…生きてください。――生きて、苦しんでください」
それが罰です、とループルは言った。