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−ⅱ

 人が死んでしまっては還ってこない。
 …スールが死んでしまったら、二度と会えない。
 里の人達と同じように。
 ループルの言葉に、スールは数度瞬きを繰り返した。最後に一度、ギュッと瞳を閉じる。
 スールは握られた手を優しく解き、『駄目だ』と呟いた。

『…駄目なんだ、ループル』
 その言葉に、ループルの瞳からとうとう涙がこぼれた。
 スールは頬に伝う涙を拭い、スールは言う。
『俺は、俺の願いのためだけに…お前の里を滅ぼしたのだから』
 ループルは『願い…?』と掠れた声で聞き返す。
 スールはループルの涙をもう一度拭い、応じた。
『俺は、自分では死ねない。…お前だけが、俺を殺せる。…唯一の、存在だ』
 お前が大切だよ、とスールは言った。
 代わりがいないのは、自分も同じだ、と。

 ループルはしばし呼吸を忘れた。
 スールの言葉が組み合わさって、一つの形になる。

 自分の死を願うスールが
 ループルに殺されるために
 里の人達を殺した

『――私に殺されるために…里の人達を殺したのですか…?』
 声が震える。

 里の人の復讐を、ループルは願っていた。
 その復讐は、スールの願いに通じていたというのか。
 …自分の死を願う、スールの願いに。
『――ああ』
 だから、と。スールは静かに言った。
『だから俺は、お前に好いてもらえるような存在ものではないんだ』と。
『自分のことしか考えていない、自分本位な奴なんだ』と。
『…だから…お前が泣く必要はない』
 後から後から、涙をこぼし続けるループルにスールは言った。
『お前はただ、お前の仇を討てばいい。――それだけだ』
 さあ、とループルに手を差し出した。
 その手にあるものは、いつの間に落としてしまっていたループルのエルファ
 そのエルファを、持ち主に握らせた。
 …ループルにエルファを握らせるとスールは何も持っていなかった。『力』を借りるための…『力』を制御するための自身のエルファを、持っていなかった。
 そしてスールは言う。
『俺を殺してくれ』と。

 握らされたエルファ。
 …スールの願い。
 里の人の仇。
 ――自分の、想い。

『…Ін』
 ループルは風を呼んだ。
 けれど…それは。スールを傷つけるための風ではなく。
『――ЊКСЮГГУ』
 その場から立ち去るための、風だった。

* * *

 ループルはただ、ひたすらにその場を…スールの傍を離れるよう風に呼びかけた。
『…う…ぅ…っ』
 涙がボロボロとこぼれる。
 ――できるわけがない。
 大切な人なのだ。
 ――代わりなどいない、唯一の人なのだ。
 殺せるはずが、ないではないか。
 たった一人の人を。
 …スール好きな人を。

 どれだけ『力』を借りて移動したのだろう。――それでも、本当に深い森の中に住んでいたから、未だ森からは抜けない。
『――ぅ…あ…』
 泣くことでも、たくさんのエネルギーを使うのに…それでも、涙は止まらない。
 自分の中の水分がなくなってしまうのではないか、と思えるほど。
 涙は止まらない。…止まらない。
 ループルは膝を折った。…体がもう、限界に達していた。
 泣きすぎて、目が重い。その重さに任せて、ループルは瞳を閉じた。
 ――閉じても、ポロポロと涙がこぼれる。
 体力の限界と、瞳を閉じたことですぐに眠気がループルを襲った。

『……』
 眠りにおちながらループルは強く、強く…願う。
 ――忘れてしまえ、と。
 想いを消すことなど無理だから…いっそ、スールの存在を忘れてしまえ、と。
(…スール…)

 ――そして…。
 眠りにおちたループルの元に男が一人、立つ。

『――お前が苦しむ必要など、ないんだ』
 眠るループルに、男は…スールは呟いた。――ループルは目覚めない。
『…ただ、俺を殺せばいい。――それだけ…』
 お前は苦しまなくていい、とスールは再び呟いた。
 スールは額飾りサジフェスの飾り紐…金糸を込めたエルファをループルの手に握らせた。
『俺のことは、忘れろ』
 何度も、何度も呟く。

 …
 ――そして…
『……ん…?』
 ループルの願いが――強い思いが、エルファに入れた金糸…記憶を操る、金色の髪に。
 そしてスールの術が…金糸を用いた、呟きが、額飾りサジフェスに込められた金糸に。
 それぞれ、とどいた。
 自らの暗示と、スールの暗示によってループルは忘れる。…そして、目覚める。
『――? 目…重い…?』

 スールに植えつけられた偽りの過去だけを残し、スールと過ごした時間を忘れて。

* * *

 スールは笑った。…穏やかに。「全て思いだした」というループルの言葉に。
 そして、大きな杖…エルファを構える。
「俺はお前の家族…お前の里を滅ぼした」
 それはまるで確認のような呟き。
 ループルはハッとした。過去の余韻に浸っている時ではないようだ。
「…ええ」
 それは偽りではない。――本当だ。
 ループルは頷き、里の人達を思った。
 …まず思ったのは、スールによって植えつけられた偽りの記憶。
 母や、父や…優しい人々。本当ではない、里の人達の記憶。

 次に思ったのは自分を魔物と呼んだ人々。
『力』を借りる時に目の色が変わる自分の目を潰そうとした…優しい人などいなかった…本当の、里の人達の記憶。

「俺はあの里の者の仇だ」
 スールは短く呟く。…そして、風を呼んだ。
 ループルを傷つける、風を!
「――!!!」
 ループルはその風をどうにか、受け流す。
 ループルの背後にある木の幹にいくつもの線が走った。
 ――鎌鼬だ。
 里の者達を殺めた…七日ほど前、ループルを傷つけた、風。
 間髪を入れずスールは炎を呼んだ。風に乗せ、ループルに向かわせる。
 対してループルは『水』で壁を作った。
 風は水の壁を突き破り、ループルの腕や頬をわずかに切りつけた。
 スールは大地に呼びかけ、ループルの足元を突き上げる。
 ループルは水でクッションにした。

 再び火、次に水、大地、風…スールは間髪を入れず、次々とループルを攻撃するよう、『力』を借りる。
「どうした? 反撃はなしか」
 再び風。鎌鼬はループルに絡みつこうと、めぐる。
 ループルは風に、風で切れ目を入れて解除した。
「――スール…!」
 ループルの呼びかけに応じない。
 スールはひたすら攻撃する『力』を借りる。
 火、大地、風…水。

「…――っ」
 ループルは自分の周りをめぐる風に頼んだ。
 瞬時に、スールの目前に移動する。
 ループルは思った。――スールはきっと、笑うだろう。
 自分の望む瞬間がきた、と。

「ПКЅ!」
 スールは火を呼んだ。
 そしてループルの予想したように…スールは、笑っていた。

 ――自分の『死』を予感して。

「ПЃ!!」
「――離れて」
 ループルとスールの言葉は同時だった。

 スールは、火の『力』を放った。
 ループルは、自身を守るための風を解除するよう命じた。
 スールに一度も攻撃をしないまま…自らを守るためのすら手放す。

「――!!!」
 馬鹿な、とスールの顔が驚きに歪む。
 スールの放った火が、ループルを包み込んだ。
「…ІЂлђ!!」
 スールは半ば叫ぶように言った。ループルを包んでいた火が、消える。

「…ループル!」
 スールは目前に現れ…自ら自分を守るを解いた少女の名を呼んだ。
 自らの名を呼ぶスール…。
 その姿を目に映し、ループルは少しだけ、笑った。

 
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