人が死んでしまっては還ってこない。
…スールが死んでしまったら、二度と会えない。
里の人達と同じように。
ループルの言葉に、スールは数度瞬きを繰り返した。最後に一度、ギュッと瞳を閉じる。
スールは握られた手を優しく解き、『駄目だ』と呟いた。
『…駄目なんだ、ループル』
その言葉に、ループルの瞳からとうとう涙がこぼれた。
スールは頬に伝う涙を拭い、スールは言う。
『俺は、俺の願いのためだけに…お前の里を滅ぼしたのだから』
ループルは『願い…?』と掠れた声で聞き返す。
スールはループルの涙をもう一度拭い、応じた。
『俺は、自分では死ねない。…お前だけが、俺を殺せる。…唯一の、存在だ』
お前が大切だよ、とスールは言った。
代わりがいないのは、自分も同じだ、と。
ループルはしばし呼吸を忘れた。
スールの言葉が組み合わさって、一つの形になる。
自分の死を願うスールが
ループルに殺されるために
里の人達を殺した
『――私に殺されるために…里の人達を殺したのですか…?』
声が震える。
里の人の復讐を、ループルは願っていた。
その復讐は、スールの願いに通じていたというのか。
…自分の死を願う、スールの願いに。
『――ああ』
だから、と。スールは静かに言った。
『だから俺は、お前に好いてもらえるような存在ではないんだ』と。
『自分のことしか考えていない、自分本位な奴なんだ』と。
『…だから…お前が泣く必要はない』
後から後から、涙をこぼし続けるループルにスールは言った。
『お前はただ、お前の仇を討てばいい。――それだけだ』
さあ、とループルに手を差し出した。
その手にあるものは、いつの間に落としてしまっていたループルの杖。
そのエルファを、持ち主に握らせた。
…ループルにエルファを握らせるとスールは何も持っていなかった。『力』を借りるための…『力』を制御するための自身のエルファを、持っていなかった。
そしてスールは言う。
『俺を殺してくれ』と。
握らされたエルファ。
…スールの願い。
里の人の仇。
――自分の、想い。
『…Ін』
ループルは風を呼んだ。
けれど…それは。スールを傷つけるための風ではなく。
『――ЊКСЮГГУ』
その場から立ち去るための、風だった。
* * *
ループルはただ、ひたすらにその場を…スールの傍を離れるよう風に呼びかけた。
『…う…ぅ…っ』
涙がボロボロとこぼれる。
――できるわけがない。
大切な人なのだ。
――代わりなどいない、唯一の人なのだ。
殺せるはずが、ないではないか。
たった一人の人を。
…スールを。
どれだけ『力』を借りて移動したのだろう。――それでも、本当に深い森の中に住んでいたから、未だ森からは抜けない。
『――ぅ…あ…』
泣くことでも、たくさんのエネルギーを使うのに…それでも、涙は止まらない。
自分の中の水分がなくなってしまうのではないか、と思えるほど。
涙は止まらない。…止まらない。
ループルは膝を折った。…体がもう、限界に達していた。
泣きすぎて、目が重い。その重さに任せて、ループルは瞳を閉じた。
――閉じても、ポロポロと涙がこぼれる。
体力の限界と、瞳を閉じたことですぐに眠気がループルを襲った。
『……』
眠りにおちながらループルは強く、強く…願う。
――忘れてしまえ、と。
想いを消すことなど無理だから…いっそ、スールの存在を忘れてしまえ、と。
(…スール…)
――そして…。
眠りにおちたループルの元に男が一人、立つ。
『――お前が苦しむ必要など、ないんだ』
眠るループルに、男は…スールは呟いた。――ループルは目覚めない。
『…ただ、俺を殺せばいい。――それだけ…』
お前は苦しまなくていい、とスールは再び呟いた。
スールは額飾りの飾り紐…金糸を込めた杖をループルの手に握らせた。
『俺のことは、忘れろ』
何度も、何度も呟く。
…
――そして…
『……ん…?』
ループルの願いが――強い思いが、エルファに入れた金糸…記憶を操る、金色の髪に。
そしてスールの術が…金糸を用いた、呟きが、額飾りに込められた金糸に。
それぞれ、とどいた。
自らの暗示と、スールの暗示によってループルは忘れる。…そして、目覚める。
『――? 目…重い…?』
スールに植えつけられた偽りの過去だけを残し、スールと過ごした時間を忘れて。
* * *
スールは笑った。…穏やかに。「全て思いだした」というループルの言葉に。
そして、大きな杖…エルファを構える。
「俺はお前の家族…お前の里を滅ぼした」
それはまるで確認のような呟き。
ループルはハッとした。過去の余韻に浸っている時ではないようだ。
「…ええ」
それは偽りではない。――本当だ。
ループルは頷き、里の人達を思った。
…まず思ったのは、スールによって植えつけられた偽りの記憶。
母や、父や…優しい人々。本当ではない、里の人達の記憶。
次に思ったのは自分を魔物と呼んだ人々。
『力』を借りる時に目の色が変わる自分の目を潰そうとした…優しい人などいなかった…本当の、里の人達の記憶。
「俺はあの里の者の仇だ」
スールは短く呟く。…そして、風を呼んだ。
ループルを傷つける、風を!
「――!!!」
ループルはその風をどうにか、受け流す。
ループルの背後にある木の幹にいくつもの線が走った。
――鎌鼬だ。
里の者達を殺めた…七日ほど前、ループルを傷つけた、風。
間髪を入れずスールは炎を呼んだ。風に乗せ、ループルに向かわせる。
対してループルは『水』で壁を作った。
風は水の壁を突き破り、ループルの腕や頬をわずかに切りつけた。
スールは大地に呼びかけ、ループルの足元を突き上げる。
ループルは水でクッションにした。
再び火、次に水、大地、風…スールは間髪を入れず、次々とループルを攻撃するよう、『力』を借りる。
「どうした? 反撃はなしか」
再び風。鎌鼬はループルに絡みつこうと、めぐる。
ループルは風に、風で切れ目を入れて解除した。
「――スール…!」
ループルの呼びかけに応じない。
スールはひたすら攻撃する『力』を借りる。
火、大地、風…水。
「…――っ」
ループルは自分の周りをめぐる風に頼んだ。
瞬時に、スールの目前に移動する。
ループルは思った。――スールはきっと、笑うだろう。
自分の望む瞬間がきた、と。
「ПКЅ!」
スールは火を呼んだ。
そしてループルの予想したように…スールは、笑っていた。
――自分の『死』を予感して。
「ПЃ!!」
「――離れて」
ループルとスールの言葉は同時だった。
スールは、火の『力』を放った。
ループルは、自身を守るための風を解除するよう命じた。
スールに一度も攻撃をしないまま…自らを守るための風すら手放す。
「――!!!」
馬鹿な、とスールの顔が驚きに歪む。
スールの放った火が、ループルを包み込んだ。
「…ІЂлђ!!」
スールは半ば叫ぶように言った。ループルを包んでいた火が、消える。
「…ループル!」
スールは目前に現れ…自ら自分を守る風を解いた少女の名を呼んだ。
自らの名を呼ぶスール…。
その姿を目に映し、ループルは少しだけ、笑った。