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 ループルは風に問いかけた。――スールの行方を。
 瞳の色が琥珀色のまま変わらないループルが『力』を借りることに、言葉呪文は必要なかった。

 ループルは風に耳を傾け「ん…わかった」と、小さく頷く。
「ループル」
 リスティの呼びかけに振り返った。

「じゃあ、行きますね」
「ああ」
 風がループルの…そしてリスティの髪をわずかに揺らしている。
 ループルはリスティに背中を向けながら、訊いた。
「――訊かないんですか」
 ループルの中で、様々な思いがめぐっていた。
 …訊かれると思った。
『バカなヤツ』の願いを叶えるのか、とそう…リスティに。
 リスティはループルの後姿を真っ直ぐに見ている。
 そして、ループルの問いかけに、リスティは静かに訊き返した。
「…何を、だ?」
 その問いかけにループルは俯いた。「いえ…」と、頭を振る。
 突如、風が強くなった。そして…次の瞬間にはループルの姿が、消える。

 ループルのいなくなった場所にリスティは一人立ちつくしていた。
「余韻がないな」と呟く。そして、瞳を閉じた。
 細く、息を吐き出す。まるで体内の空気を入れ替えるように。
 細く、深く…。
 そしてうっすら目を開いた。
 青い瞳はその場を映しているはずにもかかわらず、何も見ていないようなぼんやりとした光が宿るばかりだ。
 その瞳が紫の、宵闇の空のような色に変わる――。
「…それはオレもか…」
 リスティは自らの手を見下ろすようにした。
 もう一つ、息を吐き出す。そのまま、まるで眠るかのように目を閉じた。

 そして小さな呟きを残し…リスティもまた、消える。
 まるで――夢か幻のように。

* * *

 そこは、森の中だった。
「…――」
 一人の男が木洩れ日の下、横たわっている。

 風が吹いて――男は…スールは瞳を開いた。横たえていた身を起こす。
 そして、唇が微笑みの形に変わった。
 スールが立ち上がるのとほぼ同時に、少女が姿を現す。前髪からもみあげだけ長い髪を左右に分け、露わになった額に額飾りサジフェスををして覆っている。
 スールを真っ直ぐに見つめる琥珀色の瞳…ループルだった。

「――スール…」
 ループルが呼ぶ声は小さく、わずかに掠れている。
 スールはそんなループルを見つめた。そして、問いかける。
「…思いだしたか?」
 ルールの問いかけにループルは目を伏せた。
「はい」と、呟くように応じる。
「全て――思いだしました」
 ループルは言って、脳裏に描いた。
 三年前、スールと別れた日のことを。

* * *

 その日は、風が騒いでいた。
 …ループルの、心の中のざわめきのように。

『…スール…?』
 ループルは自分の師――スールの言葉が信じられず、問い返した。
 答えは、ない。

 この時のループルはスールの『暗示』が見事に効いていて、自分が家族に大切にされていて…里の人にも優しくされていた、という記憶だけがあった。
 だからループルは犯人を見つけたら、スールから教えてもらった『力』で、里を滅ぼした者を倒そうと…そう、決めていた。
 例え倒すことはできなくても、あの日の――里の者が殺戮された日の悲しみや怒りをぶつける、と…そう決めていた。

 あの男を許せない。許せるはずがない。
 絶対に…この悲しみや怒りはあの男に返す。
 ――そう、決めていた。

 スールは、『お前が決めたなら、それでいい』と言った。
 …許すな、と。
 お前の里を滅ぼしたものを許すな、と。
 ――絶対に、忘れるな…と。

『――スール…?』
 ループルは、再び名を呼んだ。目前に立つ、男の名を。
『…絶対に、かえすんだろう?』
 悲しみや、怒りを。
『必ず、倒すのだろう…?』
 スールの髪は…初めて会った頃には短かった髪は伸びていて。
 ループルの記憶の中にあると、同じ姿だった。

『――お前の里の仇は、俺だ』
 静かな声音でスールは言った。
 いつもどおりの…淡々とした口調で、スールは言った。

 ――絶対に、倒すと決めていた。
 優しい母を。温かかった父を。――兄を…大切な人達を何の躊躇いもなく、次々と殺していった男を。――絶対に、許さないと決めていた。
 …決めていた…。

『俺は、この日のためにお前を手元に置いた。…お前は言ったな? 仇は必ず討つと』
 スールの表情はいつもと変わりがなくて。
 ――でも、ループルの記憶の中にあった…里を滅ぼした男と同じ者で。

『お前に討たれるために、手元に置いた。『力』の使い方を教えた』
 さあ、とスールは微笑みさえ浮かべて、言う。
『お前の仇を討て』
 エルファを持つ手が震えた。…我知らず。
 ループルは『教えてください…』と、そう、呟く。
(…どうして…あの男アイツが、スールなの…?)
『…なぜ…殺したのですか?』
 大切な人達を殺されてしまった怒り、悲しみ。――なぜ、里の人達を殺したのか。
『…殺したかったから、殺した』
 ループルの問いかけに平然と…いっそ、淡々と。スールは言い切った。
 それは、『なぜ』の答えとしては不適当だった。
 けれど、ループルは言葉を続ける。
『…なぜ、私は生かされたのですか?!』
 里の者を殺された怒りも悲しみも消えない。消えていない。
『言っただろう? お前に討たれるために、手元に置いた、と。…お前に討たれるために、お前を生かした』
 ――なのに…
『――…私に、討たれるために…?』
 声が、震えた。
 大切な人達を殺された怒りで震えたのか、悲しみで震えたのか。
 …それとも、別の感情何かで震えたのか。
『――スールは、私…に…殺される、ために…?』
 続けた言葉に、スールは笑った。――その笑顔は、肯定。

 ループルは風を呼んだ。
 鎌鼬を。
 あの男には、…里の人達を皆殺しした男は、絶対に苦しめさせると。
 そう、決めていた。
 体中を傷つけて、傷つけて…許しを請われても、絶対に止めたりしないと。
 ――そう、決めていた。

(…でも…)
 ループルは瞳を閉じた。

 死んでしまった人達は還らない。
 ループルの大切な…ループルを大切にしてくれた家族や、里の人達は還らない。
 例え、この悲しみや怒りをぶつけても。
 …あの男を…スールを、倒しても。

(それに――)

 ギュッと、瞳を閉じる。そして、
『…――』
 ループルは風を解放した。そんなループルに、スールは『どうした』と言う。
 ――ただ、ループルからの鎌鼬を待っている。

『…自分が討たれるために…それだけのために、私を生かしたのですか?』
 ループルは俯いた。
 琥珀色に輝く瞳は、スールからは見えない。
 …その瞳には涙が浮かんでいる。
 ループルの問いかけにスールは、真っ直ぐに見つめて『ああ』と頷いた。
 その答えに、ループルは再び風を呼んだ。――だが、すぐに風を解放する。
『どうした』と。スールは再びループルに問いかけた。
 言葉に、ループルは頭を横に振る。
『死んだ人は還ってきません。…還って、こないんです…』
 そしてループルは呟く。
『できない』と。
 その言葉に、スールが目を丸くした。そして、言う。
『怒りを返せ。悲しみを晴らせ。――そのための『力』だろう?』
 言葉と同時に、ループルに近づいた。
 ループルは首を横に振る。
『できません』と。何度も何度も呟く。

 頭を振るループルは俯いたままで、伸ばされたスールの手に気付かなかった。
 スールの手が…指先が、ループルに触れる。
『――ループル』
 呼びかけと共に。
 ループルはその手に、声にビクリと反応してしまう。
 ――呼びかけの声は穏やかで、優しくて。…いつもと、なんら変わりがなくて。
 けれど。
 スールはそんないつもと変わらない様子で、ループルに言っているのだ。
スール自分を殺せ』と。

『スール…』
 触れる手のひらは温かくて、優しい。
『あなたを討つ――なんて…できません…』
 …里を…家族を喪ったループルの、たった一人の人。
『ループル…』
 スールの声は静かだ。何か続けようとするスールの言葉を遮って、ループルは告げた。
『あなたが大切なんです…』
 ループルにとってスールはただ一人の…師、家族。…大切な人。
 言葉に、スールは優しくループルの髪を撫でていた手が、小さく反応して、離れた。
 ループルはその手を取る。
『代わりなど、いないんです』
 みんな、いない。
 家族も、友達も。…里の人も。
 ――ループルの唯一の人が、スール。

『あなたが、好きなんです…スール』

 髪に触れていたスールの手を、両手で包む。
 ――『力』を借りるためのエルファは、その手に握られていない。
 言葉を失ったスールに、ループルはもう一度、言った。
『好きです』と。

 
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