最初からもう、決めていた。
スールがどんなに望もうと…どんなに、自分が危険な目に遭おうと。
絶対に、スールを死なせたりしない、と。
スールがスールの死を望んでも、ループルがスールの死を望んだりしないから。
視界の隅に映ったスールの飾り紐を見て、ループルはリスティを思った。
(そういえば…)
瞳を閉じて、脳裏にリスティを描く。
『ループル』
女性と見紛う線の細い顔立ちと、それに不釣合いな低い声。
――別れ際のあの時、ループルは訊かれるかと思った。
スールの友人であるというリスティは、スールの願いを知っていた。――願いをかなえてやってくれ、とは言われなかったが、それでも訊かれるかと思った。
スールをどうするのか、と。――スールを殺すのか、と。
そう、訊かれるかと思った。
――リスティは、ループルがスールの死を望んでいないことをわかっていたのだろうか。
何かを見通していたようなあの男は、ループルの思いをわかっていたのだろうか。
…だから、別れるあの時に問いかけてこなかったのだろうか。
「スール」
『伝言、頼んでいいか?』
…だからリスティは、自分に伝言を託したのだろうか。
「リスティから、伝言があるんです」
ループルの言葉に、スールは目を見開いた。
「…リスティ…?」
そんなに意外な名前だったのだろうか、と思いながらも、ループルは続ける。
「『ちゃんと幸せだから』と」
スールは呆然と、ループルを見つめていた。
「『スールも幸せになっていいから』と」
スールの唇から吐息がこぼれるのが見えた気がした。
「…そう、伝えろと?」
頷けば、スールは目を伏せた。
「他には、何か言っていたか?」
ループルは少し考える。
「確か…いかなきゃならないところがある、と」
その答えにスールはそうか、と。一度、額飾りの金色の紐に触れる。
「ちゃんと、幸せ…か…」
言葉を繰り返し、そして詰まらせる。
――スールの、ループルを抱く腕に力がこもった。スールの胸に顔を埋める状態のループルの肩に何か…雫がこぼれる。
声もなく…ただ、スールは涙を流しているようだった。
涙の意味がわからないまま、ループルはスールを見つめる。
(また…)
いつか、会うだろうか。
リスティに。…スールの友人だという、あの男に。
もっとスールのことを聞きたいと思った。…いつかまた、聞きたいと思った。
リスティにまた、会いたいと思った。
「今度、会えるといいですね」
思いを、言葉にする。
しばらくの間があった。
「…多分、会えない」
耳元の呟きに、ループルは「へ?」と妙な声を出してしまった。思わず、顔を上げる。
ループルの声に、かスールは少し笑ってから、続ける。自分で涙を拭った。
「リスティは…俺の昔の友人だ」
リスティもスールの友人だと言っていた。しかし『昔の』という言葉に、どこか引っかかりを感じる。
スールはどこか遠くを見つめた。一度瞳を閉じる。そして、独り言のようにもらした。
「死んでしまった人だよ」
予想外の言葉に、ループルは瞬きを繰り返す。
「…だって…」
たっぷりの間を置いて、ようやくそれを口にした。
確かに、会ったのに。話したのに。…触れたのに。
青い瞳。金の髪。――ループルの目に、焼き付いている。
低い声も、時折態度の悪かった口調も…覚えている。残っている。
幻だったとは思わない。――思えない。だけど。
(え…じゃあ…)
スールは『死んでしまった人』と言った。
――つまり…。
(『いかなきゃならないところ』って…)
…常世――黄泉。彼岸――。
――言葉としては、いくつか思いつくけれど。
「アイツに会いたかった」
思いをめぐらせるループルの耳に、静かな声がとどいた。
「…アイツのいない場所に、いる意味がなかった」
言いながら、スールの目から涙が流れる。
「スール…」
溢れた涙を今度はループルが拭った。
――そこまで、好きだったんですか。
(だから…)
死にたいなどと、思ったんですか…?
呼びかけに、スールは視線をループルへ向ける。
「…火傷、冷やすぞ」
言いながらそっと、ループルの火傷に触れた。
火傷の熱だけ取ったループルは立ち上がる。
まだ心配そうなスールに「大丈夫です」と笑顔を見せた。
「スール」
「…なんだ?」
本当に大丈夫なのか、というスールの態度に「心配性だな」なんていう感想を持ちながら、ループルは言葉を続ける。
「どうか、『死』を願ったりしないでください。あなたの大切な人が…リスティがいない世界だったとしても」
ここが、スールにとって悲しい世界でも。
「私が、傍にいます」
悲しみはなくならないかもしれない。代わりになんかならないかもしれない。…それでも。
「…どうか、私と一緒に生きてください」
ループルの言葉はまるでプロポーズのようである。スールは一度目を丸くした。
伏せるその目に寂しさが、陰りが宿る。目を閉じた。ゆるゆると瞬くうちに、その陰りが薄まる。…そして、口元に、笑みを浮かべた。その頬に涙の名残はない。
笑みを浮かべたスールに「おかしいことを言っただろうか」とループルは少し焦った。
ループルが焦った様子にスールはもう一度笑う。そして、小さく言った。
「…その言葉だけで十分だ」
呟きにループルは瞬きを繰り返す。
スールはそんなループルの手を取り、言った。
「お前と共に、生きよう」
その答えにループルは一瞬、呼吸を止めてしまう。
――けれど、次の瞬間に…笑った。
* * *
心地よい風が二人を包んでいる。
それぞれの『力』を借りて火傷が癒えるのを早めたループルは目を細めた。
「どこに行きましょうか」
スールに火傷を負わされて三日…火傷の痕が全くなくなった――とは言えないが、ほとんど目立たない。
「俺達が行くべきところなどないからな…」
ループルの問いかけにスールは答えた。
スールの『俺達』という些細な一言にループルの中で喜びがあふれる。
唇が笑みの形となった。
「…風が気持ちいいですね…」
ループルとスールの髪が揺れていた。スールはその言葉に「そうだな」と頷き、次に小さく呟いた。
「――風のままに…行くか」
反論する理由などない。ループルはスールと一緒にいられるだけでいいのだから。
「…そうですね」
そして、その言葉と同時に二人の姿が風に――消える。
ループルが一人で旅をしていた時は行くべき場所もあてもなかったが…今は、スールがいる。
目的も、行くべき場所もないが…それでも。
二人で、共にいく。
歩いていく。
…生きていく。
――風を道標に…。
力の継承者−風の道標−<完>
2004年 2月 3日(火)【初版完成】
2012年 4月18日(水)【訂正/改定完成】