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−ⅱ

 最初からもう、決めていた。
 スールがどんなに望もうと…どんなに、自分が危険な目に遭おうと。
 絶対に、スールを死なせたりしない、と。
 スールがスールの死を望んでも、ループルがスールの死を望んだりしないから。

 視界の隅に映ったスールの飾り紐を見て、ループルはリスティを思った。
(そういえば…)
 瞳を閉じて、脳裏にリスティを描く。
『ループル』
 女性と見紛う線の細い顔立ちと、それに不釣合いな低い声。
 ――別れ際のあの時、ループルは訊かれるかと思った。
 スールの友人であるというリスティは、スールの願いを知っていた。――願いをかなえてやってくれ、とは言われなかったが、それでも訊かれるかと思った。
 スールをどうするのか、と。――スールを殺すのか、と。
 そう、訊かれるかと思った。
 ――リスティは、ループルがスールの死を望んでいないことをわかっていたのだろうか。
 何かを見通していたようなあの男は、ループルの思いをわかっていたのだろうか。
 …だから、別れるあの時に問いかけてこなかったのだろうか。

「スール」
『伝言、頼んでいいか?』
 …だからリスティは、自分に伝言を託したのだろうか。
「リスティから、伝言があるんです」

 ループルの言葉に、スールは目を見開いた。
「…リスティ…?」
 そんなに意外な名前だったのだろうか、と思いながらも、ループルは続ける。
「『ちゃんと幸せだから』と」
 スールは呆然と、ループルを見つめていた。
「『スールも幸せになっていいから』と」

 スールの唇から吐息がこぼれるのが見えた気がした。
「…そう、伝えろと?」
 頷けば、スールは目を伏せた。
「他には、何か言っていたか?」
 ループルは少し考える。
「確か…いかなきゃならないところがある、と」
 その答えにスールはそうか、と。一度、額飾りサジフェスの金色の紐に触れる。
「ちゃんと、幸せ…か…」
 言葉を繰り返し、そして詰まらせる。
 ――スールの、ループルを抱く腕に力がこもった。スールの胸に顔を埋める状態のループルの肩に何か…雫がこぼれる。
 声もなく…ただ、スールは涙を流しているようだった。

 涙の意味がわからないまま、ループルはスールを見つめる。
(また…)
 いつか、会うだろうか。
 リスティに。…スールの友人だという、あの男に。
 もっとスールのことを聞きたいと思った。…いつかまた、聞きたいと思った。
 リスティにまた、会いたいと思った。
「今度、会えるといいですね」
 思いを、言葉にする。
 しばらくの間があった。
「…多分、会えない」
 耳元の呟きに、ループルは「へ?」と妙な声を出してしまった。思わず、顔を上げる。
 ループルの声に、かスールは少し笑ってから、続ける。自分で涙を拭った。
「リスティは…俺の昔の友人だ」
 リスティもスールの友人だと言っていた。しかし『昔の』という言葉に、どこか引っかかりを感じる。
 スールはどこか遠くを見つめた。一度瞳を閉じる。そして、独り言のようにもらした。
「死んでしまった人だよ」
 予想外の言葉に、ループルは瞬きを繰り返す。

「…だって…」
 たっぷりの間を置いて、ようやくそれを口にした。
 確かに、会ったのに。話したのに。…触れたのに。
 青い瞳。金の髪。――ループルの目に、焼き付いている。
 低い声も、時折態度の悪かった口調も…覚えている。残っている。
 うそだったとは思わない。――思えない。だけど。
(え…じゃあ…)
 スールは『死んでしまった人』と言った。
 ――つまり…。
(『いかなきゃならないところ』って…)
 …常世――黄泉。彼岸――。
 ――言葉としては、いくつか思いつくけれど。

「アイツに会いたかった」
 思いをめぐらせるループルの耳に、静かな声がとどいた。
「…アイツのいない場所に、いる意味がなかった」
 言いながら、スールの目から涙が流れる。
「スール…」
 溢れた涙を今度はループルが拭った。
 ――そこまで、好きだったんですか。
(だから…)
 死にたいなどと、思ったんですか…?
 呼びかけに、スールは視線をループルへ向ける。
「…火傷、冷やすぞ」
 言いながらそっと、ループルの火傷に触れた。

 火傷の熱だけ取ったループルは立ち上がる。
 まだ心配そうなスールに「大丈夫です」と笑顔を見せた。
「スール」
「…なんだ?」
 本当に大丈夫なのか、というスールの態度に「心配性だな」なんていう感想を持ちながら、ループルは言葉を続ける。
「どうか、『死』を願ったりしないでください。あなたの大切な人が…リスティがいない世界だったとしても」
 ここが、スールにとって悲しい世界でも。
「私が、傍にいます」
 悲しみはなくならないかもしれない。代わりになんかならないかもしれない。…それでも。
「…どうか、私と一緒に生きてください」
 ループルの言葉はまるでプロポーズのようである。スールは一度目を丸くした。
 伏せるその目に寂しさが、陰りが宿る。目を閉じた。ゆるゆると瞬くうちに、その陰りが薄まる。…そして、口元に、笑みを浮かべた。その頬に涙の名残はない。
 笑みを浮かべたスールに「おかしいことを言っただろうか」とループルは少し焦った。
 ループルが焦った様子にスールはもう一度笑う。そして、小さく言った。
「…その言葉だけで十分だ」
 呟きにループルは瞬きを繰り返す。
 スールはそんなループルの手を取り、言った。
「お前と共に、生きよう」
 その答えにループルは一瞬、呼吸を止めてしまう。
 ――けれど、次の瞬間に…笑った。

* * *

 心地よい風が二人を包んでいる。
 それぞれの『力』を借りて火傷が癒えるのを早めたループルは目を細めた。
「どこに行きましょうか」
 スールに火傷を負わされて三日…火傷の痕が全くなくなった――とは言えないが、ほとんど目立たない。
「俺達が行くべきところなどないからな…」
 ループルの問いかけにスールは答えた。
 スールの『俺達』という些細な一言にループルの中で喜びがあふれる。
 唇が笑みの形となった。
「…風が気持ちいいですね…」
 ループルとスールの髪が揺れていた。スールはその言葉に「そうだな」と頷き、次に小さく呟いた。
「――風のままに…行くか」
 反論する理由などない。ループルはスールと一緒にいられるだけでいいのだから。
「…そうですね」
 そして、その言葉と同時に二人の姿が風に――消える。
 ループルが一人で旅をしていた時は行くべき場所もあてもなかったが…今は、スールがいる。

 目的も、行くべき場所もないが…それでも。
 二人で、共にいく。
 歩いていく。
 …生きていく。

 ――風を道標に…。

力の継承者−風の道標−<完>

2004年 2月 3日(火)【初版完成】
2012年 4月18日(水)【訂正/改定完成】

 
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