「ん…」
ループルは眠りから覚めた。
「…?」
なんで目覚めたのだろう? と、ループルは辺りを見渡した。
月光が木々の合間からわずかに差している。
ループルは目をこすった。
炎、地面、木…眠る前となんの変わりない様子。――そう、思った。
だが。
「!」
風が騒いでいる。
危険、危険、危険。
ループルは身を起こし、エルファを手にした。
ガササ…
立ち上がり、ループルは音のしたほうに視線を向ける。
藪が揺れたのだ。――風で揺れたのではなく、人か獣が潜んでいるような揺れ方だ。
「…ЭеЖјЪљыЪ」
呟く。――言いながら、ループルは呼吸を整えた。
『力』を行使するには、平常心が第一なのだ。
「ЭеСЮГГСјЭеСЮРФЩЌІнЧ …ГЧУЧ」
声と共に、風が強まる。ループルの瞳は薄墨色から琥珀色に変化しだした。
瞬きをする。
「Ін! ЉюІЂ」
目に見える変化はなかった。…いや、無いように見えた。
だが、ループルにはわかる。自分を包む風が、盾とも鎧ともなったことを。
ループルはエルファを手にしたまま、藪をじっと見つめた。藪は動きを止めている。
…ループルが起きたことに気づいたのだろうか。
――気づいたのだろう。おそらく、こちらの様子をじっと窺っている。
(狼? 熊? …人間?)
人間であるような気がした。
――炎がある状態で獣が近づいてくるとは思えない。
それから、『風』という『力』が働いているこの場所に近づいてきた獣は、今までの経験上(腹を空かせた獣に二、三回なら襲われたことがあるが)少ない。
ループルは身構え、動かない。――藪のほうも、動きはない。
…
……
………
――ループルは思ってしまった。
(まだ?)
だが、気を抜くわけにはいかない。気のせいだということはありえない。
風がループルに『危険』だ、と告げたのだ。
「…ЭеЖјЪљыЪ」
ループルは、のんびりした人間だ。
「ДЇЂЁЪФККЎеБЮЁШЭЏ」
口調や容姿からも、そんな雰囲気を感じさせるホノボノ娘といえる。
「Ін」
だが。
「иЯшЃ!」
ループルは言い放つと、風が強く吹いた。藪が大きく揺れる!
「…始めるなら早々に始めましょう」
風によって藪の陰に潜んでいたもの――今日役人に引き渡した男達の仲間にも見えた――が姿を現す。…正確には、ループルの『言葉』によって藪の陰から引きずりだされる。
ループルはその容姿や雰囲気によらず、なかなか短気で喧嘩っ早い人間だったりした。
藪の陰から引きずりだされた男のうちの一人が言った。
「こ…こいつが、やったのか?」
「アイツの言ったとおり?!」
細面の男の言葉に、ループルは小さく反応した。
(…アイツ?)
誰のことだろう?
ループルはそう思いながら、昨日男達を動けないようにした同じ呪文を唱える。
「ЏГІ!」
――だが。
「?!」
ループルは次の瞬間に動きだした男達に思わず息を呑んだ。予定外にも、男達は一瞬動きを封じられただけだったからだ。
(なんで?!)
ループルはわずかに焦る。
昨日と同じようにやったのだから…男達は風に捕らわれるはずなのに!
(…でも、まだ大丈夫…大丈夫だ)
ループルは自分に言い聞かせる。身のまわりは常に風がめぐり、ループルの身を守ってくれているのだ。――ループルがそう、風に願った。動じることはない。
パチパチと、炎が燃え続けている。
「と、とりあえず…やっちまえ!」
一瞬動きを封じられた男達だが、気を取り直して再び動き出す。
(『風』が駄目なら…)
ループルは片膝を付き、わずかに草の茂る地面に手を触れた。
「ЭеЖјЪљыЪ」
小さく呟く。
「ДЇЂЁЪФКЮЛфУ」
ループルに向かう男達は気づかないが、大地が一度、小さく揺れた。
「…пЂВ!」
続くループルの強い呟きに男達の視界が大きく揺れる。――そして。
「А!!」
エルファの先端を男達に向け、ループルは鋭く言った。
その瞬間。
男達はほぼ一斉に、その場に倒れた。…勢いよく転んだのである。
「ЭеЖјЪљыЪ АКФКБВЮЕуУЧ…пЂВ」
男達は何が起こったか理解できなかったが、とりあえず起き上がろうとした。しかし、起き上がれない。思わず、足元を見つめた。
「Ъ」
――何に引っかかっているのだろうか、と。そう思ったからである。
そして、足元をまじまじと見つめ、ギョッとした。
「な…?!」
足が…膝から下が、土に覆われていたからである。…いや、土に覆われていたのではない。
「げぇっ?!」
(よしっ!)
その様子にループルは心中でガッツポーズを決めた。
風で捕らえることができなかった男達の足が…膝から下が、土に埋まったのだ。
男達はもがくが、一向に足は抜けない。むしろ、土に埋まる割合が深まっているといえる。ひどいものはもう、脇まで埋まっていた。
「ち、畜生っ!!」
喚き散らす様子を見ながら、ループルは一度大きく息を吐き出した。
瞳はキラキラと琥珀色に輝いている。
ループルが頭を振ると――襟首は短く切りそろえてあるのだが――真ん中で分けた長い前髪が揺れた。
そしてループルはその場を動かず、男達に言う。
「暴れても、意味はないですよ」
バタバタと上半身…ほぼ腕だけ振り回す、胸から下が埋まっている男達約十名。
なかなか不気味な光景である。
ループルは先頭――自分に一番近い男の顔を見つめた。細面の男である。
『アイツの言ったとおり?!』
その男が言ったことを思いだし、ループルは瞬きをした。
「あの〜…」
見つめられ、声をかけられた男は「あんだてめぇっ!!」と勢いよく返事をする。
ふむ、と小さくループルは頷き、男に尋ねた。
「アイツって、誰ですか?」
ループルの問いかけに男は口元を引きつらせた。
「誰のことですか? どんな話をしたんですか?」
更に問いかけを続ける。男は視線を泳がせた。
「…ンなこと、おれは言ったか?」
ループルは頷きながら「はい、聞きました」と応じる。
「それから…」
話題は突然変わるけど、と前置きをしてからループルは言う。
「今日役人に連れていかれた人達の仲間ですか?」
もしかして敵討ちに来たのだろうか、とループルは考えたのだが。
「…俺達以外に捕らえたのか?」
自分達が捕らわれの身と悟っているらしい。口元を引きつらせた男の隣…顔の半分以上がヒゲに覆われた男が、逆にループルに問いかけた。
「はぁ。捕まえたのは昨日ですが…」
男の答えから判断する限り…どうも、昨日の賊とはまた、グループが違うようだ。
「ところで…」
ホッと息を吐き出した細面の男にループルはもう一度視線を向けた。
途端、男の表情が「げ」というものに変化する。
「本当に、アイツって誰ですか?」
『アイツが言ったとおり』という言葉から想像してみれば、自分が風を呼ぶと…『力』が使えると、そう、この男達に漏らした者がいるというのか。
「ついでになんと言っていたか、しっかり教えていただければ嬉しいのですが」
ループルの瞳は未だ琥珀色に輝いている。
見つめられた男は忙しげに瞬きをした。
* * *
(二日連続で賊に襲われるって…そんなに日頃の行いが悪いかな…)
ループルはそんなことを思いながら横たわる。
――ちなみに賊の男達は地面に埋まったままである。ループルは少しだけ場所を変えたが、男達が襲撃してくるまで寝ていた場所とほとんど変わりない。木の反対側に移動しただけである。
ループルは小枝を集め、火をつけた。
パチパチと燃える火を見つめながらループルは顎ヒゲ男の言葉を思いだす。
『一人の女が休んでいるから、その女を襲えと言った奴がいたんだ』
金を持っているから、と。
ループルは黙って言葉の続きを待った。
『だが、その女は風を操る力がある、とも言っていた…』
男は…埋まっているのだから当然といえば当然なのだが…上目遣いでループルを見つめた。
(私が風を操れることをわかっている…)
男の言葉を思いだしつつ、ループルは思案する。
『他には、何か言ってなかったですか?』
ループルはさらに問いかけた。
『言ってた…というかなんというか…』
細面の男の後ろに埋まっている男がおずおずと言った。
『だから風除けの呪をしてやろうと』
『ダボイ?』
風除けのダボイなんて聞いたことがない。…と思う。
ループルは首を傾げた。…考えてみたが、やはり思いつかない。
『う〜ん…』
とりあえず賊達の言う『アイツ』が、賊に自分を襲わせたのだな、と一人納得し、ループルは埋まっている男達に言った。
『どうもありがとうございます。最後に…その人の特徴は、何かありませんでしたか?』
体が半分地面に埋まっていた男達は、どうにか顔を見合わせた。
『…そういえば…』
『どんな奴だった?』
口々に、そう言った。――何も思いだせないというのだ。
顔は見た、と一人が言い、他の男達も同意した。だが、何も思いだすことができないと…男か女かもわからない、と。それぞれ男達は言った。
パチパチと小枝が燃える。
ループルはゆっくりと目を閉じた。――睡魔が襲い始めたのだ。
ウツラ、ウツラと視界が揺れる。
ループルは眠りに落ちた。
眠ったループルは気づかなかった。
自分を守る――ループルを守るための風が…いつもは静かにめぐるだけだというのに…騒いでいたことに。
ループルは気づかなかった。
一人の男が、遠くからジッとループルの様子を見つめていたことに。
――ループルは気づかなかった。
風が、ループルを見つめる男の周りをめぐっていたことに。
――ループルと同じように、風がめぐっていたことに。