まずは役所で賊の報告をして…賊の身柄を引き渡しをした。
その後、もう一度役所に行った時、ループルは自分の持ち物――エルファがどこぞの少年に奪われたことを言ったのだが…。
『あぁ…盗まれちゃったんですか。じゃあ、これに記入してくださいねぇ』
厚い唇のおっさん(河童禿げ)はループルに何か紙…盗難届けを差し出しながら言った。
『ただ…返ってくることは期待できませんねぇ』
そしてループルの顔を見て、一言言った。
『もっとしっかりしてなきゃだめですよぉ』
…下手すれば『ぷぷっ』という笑いが付きそうな口調。
――喋り方が、ヤな感じのおっさんであった…。
* * *
「…」
ループルは歩く。
「……」
――ひたすらに、歩く。
「……」
黙々と、歩く。
…まぁ、何か喚き、怒鳴り散らしながら歩けば気分はすっきりするかもしれないが、周りの視線が冷たくなる可能性は高いだろう。
ループルは何かを蹴飛ばしたい衝動に駆られていたが、程よく蹴飛ばせそうなものが見当たらなかった。
(あぁ、腹が立つ…っ)
この苛立ちを何にぶつければいいだろう?
…確かに、あの男――役所でループルの対応をした河童禿げのおっさんが…はっきりと言葉にはせず…暗に示したとおり、ループルの不注意もあっただろう。
――だが。…しかし。
(なんであんな口調で言われなくちゃならないのっ)
そんな時、ループルは石を発見した。しかし、周りには大勢の人々がいる。
蹴飛ばしたい衝動に駆られたが、どうにか自制する。
(やるならもっと人が少なくなってから…もっと広いところで…)
そう、自分に言い聞かせる。
(とりあえず…賊を引き渡して賞金がもらえたのは助かった…)
こんなにも腹立たしいのは、空腹だからかもしれない。
ループルはそう考えて、役所に行く前に立ち寄ったパン屋を目指した。
* * *
おいしい朝食を食べて、ループルは少し落ち着いた。
苛立ちは、少しだけマシになった。
(そういえばさっきぶつかったのってここら辺だったっけ…)
ループルは財布をウエストポーチに付けていただけだったのだが、今度はきちんとウエストポーチにしまいこんだ。
これですられる可能性は低くなるだろう。少なくとも、ぶつかっただけで盗られる心配はない。
ループルは小さく息を吐き出した。…また、腹立たしさがよみがえってくる。
先程の役人(河童禿げ)と、それから…原因といえるであろう少年に。
顔はすぐ人ごみに紛れたのでよく見えなかったが…それでも、もう一度見ればわかると思う。
「おっ、わりぃっ!!」
…と、その時。聞き覚えのある声が、ループルの鼓膜を刺激した。
(この声!!)
ループルは辺りを見渡す。少しだけ人ごみ具合がマシになった通りを…その中の一人の少年を、ループルはじっと見つめる。
「あっ!!」
ループルは思わず声を上げた。
そして、走りだす!
先程も思ったとおり、少年の足はかなり速いと言えた。
だが、ここで見失うわけにはいかなかった。
財布と…それから、自分のエルファを取り返すために!
エルファがなければ風や火や水の『力』を借りることができないのだ。
頑張って、走る。とにかく走る!
そしてループルは我知らず、願っていた。
風に、願っていた。…エルファを手にしてはいなかったが。
あの少年に追いつけるだけの速さを、と。意識することなく。ただ、ひたすらに、願う。
風がふき、ループルを包み込んだ。
――そして…。
「うわっ!」
ループルは少年の肩…服をしっかりとつかんだ。
「捕まえた!!」
思わず叫ぶように言う。その時、ループルの瞳は琥珀色に輝いていた。
「な…なんだよ、あんたっ」
思いきり服をつかんできたループルに、少年は非難がましい目を向ける。
「なんだよ…って…」
その言葉と視線に、通常であれば動揺してしまったかもしれない。けれどループルは、少年に咎められるような理由はない、と強く見つめ返した。
その時――ループルは気づいてなかった。
あれだけ走ったのに、自分の息が切れていないことに。
…持久力も足の速さもあるとは言い難いループルが、土地勘があり足の速い少年に追いつけた事実に。
今、『力』を使えないループルが…『力』を使わなければ叶わなかっただろう現実に。
「私の荷物…というよりも財布、取ったじゃないですか!」
ループルの言葉に少年が「う」と息をつまらせた。
「返してください! …それから、エルファを!」
少年に逃げ出されないようにしっかりと服を両手でつかむ。
少年は通りから外れた路地裏に逃げ込んでいた。
ループルは「泥棒です!」と、誰かに助けを頼めればいいのだが…路地裏である現状で、『誰か』を期待できそうにない。
「返せったって…今持ってねーよっ」
そして少年は「放してくれよ。持ってくるから!」と続ける。
少年の言葉にループルは即行、「嫌です」と答えた。
「放したら逃げちゃうじゃないですか!」
ループルの言葉は少年の心情の図星をさしたらしく、またもや「う」と息をつまらせる。
「返してください! …確かに、私も注意を怠っていたかもしれませんけど…」
旅を続ける上でお金は絶対に必要なものだし、エルファは…エルファがないと、『力』を使えないし、落ち着かないというか…今まで奪われた経験がないから、不安だ。
地に足が着かないような感覚がする。
「取りに行くというなら、私も行きます。…ついてきます!」
ループルの宣言に少年は小さく舌打ちした。
「ったく…オレが他人に追いつかれたのなんて初めてだぜ」
ぶちぶち文句を言う少年をループルはじっと見つめる。…見つめ続ける。
「返してやるよ。…しょうがねーな」
苦々しくでも言った少年のその言葉にほっと息を吐き出した。少年はそんなループルを一度睨みつける。
睨みつけ、次の瞬間にふと表情を変えた。
「…目…」
「は?」
ループルは首を傾げる。
少年の呟きの「め」の意味を理解できなかったからだ。
「色が…変わった…?」
ループルは「この人は何を言っているのだろう?」なんて思ってしまう。
ループルの瞳の色は、琥珀色から薄墨色へと変化していた…戻っていたのだが、ループルはそのことに気づいていない。
「……」
少年は視線を外し小さく何かを呟いた。
気味が悪い、という少年の呟きをループルは聞き取れず、また首を傾げる。
「エルファって…この棒のことか?」
少年は腰のベルトに付けてあった棒…エルファを手にして言った。
ループルは少年の手に握られているエルファを呆然と見つめる。
大体肘から手までの、腕程度の長さがあり、握るのに程よい太さ。
先端に向かって細くなり、その先端には輪が二つと、小指の先ほどの水晶のような石の装飾がある。
(…全然、気づかなかった…)
エルファと財布を取り返したくて少年の後を追ったというのに、少年のベルトにつけてあったことに気づかなかったボケボケ娘、ループルである。
「ほら!」
少年は声を荒げ、ループルにエルファを差し出した。
その時…ループルは気を抜いてしまった。
そのため少年の服をつかんでいた両手の力が抜け、少年の服から手を半ば放してしまった。
次の瞬間、少年は歯を出してニッと笑う。
「ばーっか!!」
罵る言葉と共に、服をつかんでいたループルの手を振り解くと、少年は両端を持ったエルファを太股に思い切り当てた。
――パキンッ!!
エルファの握る部分を、少年は二つ折りにする。
「…!!!」
それを見て、ループルは息を呑んだ。
呼吸を忘れた、と言えた。
――ガキッ!!
少年は続けて地面に投げつけたエルファの先端部分を全体重で踏みつけ、破壊する。
その様に、ループルは瞳を見開いた。――驚きと衝撃のあまり、声も出ない。
呆然とするループルに少年は「ばーかっ」ともう一度言い捨て、走り去った。
ループルは、少年の足元…少年がいた辺りをじっと見つめる。
――二つの木片と…砕けた装飾…輪と石とをを、見つめる。
「…う…そ…」
少年の姿はすでに見えなくなっていた。ループルはそんなことにも気づいてない。
「…」
声が出ない。ループルはそっと、木片を手に取る。
…間違いない。これは…まさしく、自分のもの。奪われた、自らのエルファ。
「…えぇ…?」
言葉が出てこない。
エルファが折れた。…少年によって、ループルのエルファは折られた。