「さて…コレをどうする?」
『コレ』扱いをされているのはループルを襲った――正確には『襲おうとした』だろうか――数人の男達。
「どうする…って…役人に引き渡すのでは?」
それが当然だとばかり思っていた。
「あぁ、そうか。しかし…」
空を見上げる。――夕闇が空を覆っていた。昼の青は、もうないに等しい。
「えぇ。今日は無理、ですね」
ループルはスールに倣って空を見上げ、頷く。
「明日にしましょう」
パチパチと、炎が燃える。男達はループルの『力』から解放された…その代わりに、紐にグルグルと巻き取られていたが。
「…以前襲ってきた奴等らしいな」
夕食をとりながら、スールは口を開いた。その言葉にループルは一度ゆっくりと瞬きをする。
咀嚼していたものを飲み込んだあと、ループルは口を開く。疑問を唇にのせた。
「…私、そんなこと言いましたっけ?」
首を傾げ、もう一度口にした。
「――町に行った時、拘置所から賊が逃げ出したと、聞いた。その賊を捕らえたのは特に力もなさそうな娘だったと聞こえたからな」
そうですか、とループルは瞳で応じる。
「お礼参り…か。元気なことだな」
そしてスールは視線を外す。
ループルは炎の陰で揺れるスールの横顔を見つめ、この人はいくつなんだろう、と思った。
自分の記憶の中の姿と変わらない人。シダズィーエは皆…少なくとも、アモンが知るシダズィーエはある程度の年だったと聞いたが、ループルが見る限り、スールは若い。二十三歳…どう多めに見ても二十五歳ほどにしか見えない。
「スール、唐突ですが」
ループルは全てを飲み込んだあと、口を開いた。
視線をどこか遠くに泳がせていたスールは呼びかけに、ループルに視線を向けた。
「スールって、いくつですか?」
その問いかけにスールの表情が揺れる。…いや、揺れているように見える。
炎が揺れるせいだろうか。
スールは突然の疑問にいつもの静かな声で「なぜ、突然?」と訊きかえす。
「あ…いや、今日、あそこにいる人に」
視線を一瞬だけ賊の男達に向け、ループルは続ける。
「私達のような者…シダズィーエと言うそうですね。まぁ、そのシダズィーエはほとんどが高年だと聞いたので」
真っすぐに、瞳をスールへと向ける。
間が、流れた。――ひどく長く感じる、時が。
「…では、ループル。ループルも『高年』なのか」
「――。…あ? …え? ――あ」
言葉になってないループルである。スールの言葉にそうか、と今更思った。
そういえば自分もシダズィーエと呼ばれる者だったか、と。
…つまり自分も『高年』…。
「――そんなつもりはなかったのですが…」
記憶に大量に穴のある自分。…実は結構『イイ年』だったりするのだろうか。
「実は、そうなんでしょうか」と意識しないまま呟きが漏れる。
「…お前はまだ『高年』という年ではない」
ふ、とスールの唇が歪んだのが見えた。
「例外はある」と目を細める。簡単に言ってしまえば向き不向き…才能だろう、と。
「そう…」
そうですね、と答えようとして言葉がつまる。
額飾りの飾り…左のこめかみ側に流れる、金色の糸の束のようなモノ…が、揺れた。
闇の中揺れる、赤い炎。
燃える炎に照らされる黒い髪、黒とも見紛う深い藍色の瞳。長い金色の紐。
…どこかに、こんな絵がありそうだ。
「どうした?」
言葉を途中で止めたループルにスールが問いかけた。
「あ、あはははは。そうですよね」
スールに見とれていた間を笑いながら誤魔化して「高年じゃなくてよかったです」とループルは呟く。
その言葉にスールの唇が再び歪んだ。
瞳は何かを見ながら。…ループルの向こうのどこか、遠くを思いながら。
スールの瞳が一度何かに揺れる。そして…瞳は、閉じられた。
* * *
パチパチと、炎が燃える。――ガサガサと、藪が揺れた。
「…!」
馬鹿野郎、静かにしろ。そう、小さく声が響く。
「す、すんません」
――声の正体は、ループルにお礼参りを仕掛け…ようとして、ループルの返り討ちにあったゴロツキ達である。
「紐なら抜けられる…筈だ。どうにかしろ」
「どうにかしろ、って。今、やってるじゃないすか」
「静かにしろッ」
そう言った男に「自分だって喋っているではないか」と視線をチロリとむけたが言葉は発しない。
「…特に、起きだすような気配はないです」
もう一人の男が首を伸ばして、自分達を捕らえた少女…と青年、というべきだろうか…をどうにか覗き込みながら言う。きちんとは見えなかったが。
「――ったく…」
ギシ、と自分達を縛める紐を軋ませながら身をよじる。
どうして取れないんだ、と誰かが呟きを漏らした。捕らえるために縛めたのだから、簡単に外れなくて当然なのだが。
ギシ ギシ …ガサ ガサ ――ギシ
静かな木々の間。燃える炎の音とそんな、何かの軋む音と藪のゆれる音が響く。
星の美しい夜だ。
手首が痛んだので一度休んでいる男…アモンは空を見上げた。
「動け」
すぐ隣に捕らわれている男…リーダーにボソリと言われ慌てて再度動き出した。
だがアモンは、考える。何かが、引っかかっていた。
あのループルも、まぁ謎だが…アモンが引っかかりを感じるのは、ループルと共にいた…今はループルと共に横になっているであろう、青年である。
『スール』とか少女は呼んでいたか。
黒髪に、額飾り。瞳の色はよく見えなかったが…何にせよ、切れ長の瞳の、なかなか印象的な青年だといえた。
年のころは二十代前半のように思われた。何はともあれ、アモンよりは確実に若い。
アモンが聞いた…正確には聞き耳を立てたといったほうが正しいかもしれない…話からすると、ループルに力の使い方を教えたのはどうもスールのようだ。
(あんなに若いシダズィーエが二人もいるとは…)
それが、引っかかりの一つ…正確には『驚き』だった。
ついでにいえば、あんなにも若いシダズィーエが二人とも放浪している…旅をしているようだ。
(おれの記憶の中でシダズィーエは、みな誰かの下におさまっている。放浪しているシダズィーエなんて、知らない)
引っかかりの二つ目。
シダズィーエはわざわざ放浪などしなくても…そう、自分達のような賊を捕らえて賞金を稼ぐようなことをしなくても、職に困るようなことはないはずなのだ。
シダズィーエの数は少ない。
そして扱える『力』の種類…風、水、火、大地などの属性は、一人につきほぼ、一種類なのだ。それに対しループルは、様々な『力』を使える。おそらく、ループルに『力』の使い方を教えたスールも様々な『力』が使えるだろう。
シダズィーエを手元に置きたい人間がスールとループルの存在を知れば、喉から手が出るほど欲するに違いない。
(引く手数多だろうな…)
そんなことを考えながら浮かんだのは、スールの存在。
(…そんなことよりも…)
考えていたことが微妙に逸れ始めたことにアモンは自身で気づき、思考を切り返る。
(あの男をどこかで見たことがある?)
それが最後の…そして、アモンの感じる本当の『引っかかり』だ。
(仮に見たとすれば、どこで?)
静かな…それでも、印象的な男だった。
以前にすれ違っただけ――という出会い方でもしたのだろうか。
…いくらなんでも、それはないように思われた。
ただ一度すれ違った程度で引っかかりを感じるほどの疑問が浮かぶとは思わないし、思えない。
(どこで、だ?)
霞のかかったような記憶の中で…時折、スールの姿が垣間見えるような気がする。
しかも、それはそう遠くではない過去。
(どこで、だ?)
スールを見たことがあるのだけは、確実なように思えた。
「動け」
思わず動きを止めてしまっていたアモンにリーダーは再度ボソリと呟く。
アモンは先程と同じように、慌てて動き出した。
ギシ ギシ …ガサ ガサ ――ギシ
辺りには賊達が紐から逃れようとする音だけが響く。
「抜けねぇ…」
誰かが呟く。…そして、風が吹いた。
ガサ、と。賊達の正面側から音がした。…つまりは、自分達を捕らえたループルとスールが横になっている方向である。
逃げ出そうとしていたのがばれたか、とリーダーは小さく舌打ちをした。
そして、ガサッと木を揺らして賊達の前に姿を現したのはループル…ではなく。スールだった。
アモンが気にかけていた男だ。アモンはマジマジと、スールを見つめる。
黒髪。金色に見える紐…のような装飾のついた…額飾り。
瞳の色は、未だよく見えない。…いや、今は表情自体、よく見えない。
しかし、と。アモンは思う。
(やはり、どこかで…)
会ったことがある、と。声にはせず、唇のみかたどった。
「…――」
ふいに、スールが口を開く。その言葉に、アモンは…いや、賊の男達は、目を丸くした。
「…今、なんつった?」
思わず、というようにリーダーは呟いた。
その問いかけに応じるのは、しばしの沈黙。
そして、スールは口を開いた。真っすぐに、賊達を見据える。
「――解放してやろうか」
そう言った、と続けるスール。その言葉も表情も『淡々としている』と表現するのが相応しい。
男達は顔を見合わせた。本気か、という小さな声がアモンの耳に届く。
リーダーはジッと正面の男…スールを見つめ返していた。
揺れることのない声色と表情。
何を思っているのか――何を考えているのか、読み取ることが出来ない。
「…見返りは?」
「期待しない」
リーダーの言葉にスールはすぐに切り返す。
スールの額飾りの淡い金色の飾り紐が、風に揺れた。
夜であるというのにその飾り紐だけがやけに目につく。
「見返りナシで解放してくれるとは、ありがたいな。――だが」
リーダーは一呼吸入れる。
「信用できねぇ」
ウマイ話には裏があるって言うしな、とボソリと続けた。
その言葉に応じるのは、風。そして、沈黙。
スールの飾り紐が今一度揺れた。それと同時に、スールは言葉を紡ぐ。
「別に、信用などしなくていい」
続いた言葉に、男達は眉をひそめた。
「どうせ忘れるのだから」
――ただ一人、アモンだけは目を見開く。
これか、と声はなく、唇がかたどる。
「ЭеЖјЎљЪ」
――アモンは、スールと会ったことがあるような気がしていた。それが『いつ』かを忘れていたが。
「ЊЫЮІЈЕЖЌ шЃЇяЈКВІШЕЖЫ …」
…忘れさせられていたのだ。
初めてループルを襲った時、『多額の金を持った少女が野宿している』と情報が提供された。情報を授けた者は言った。
『だが、その少女は風を操ることができる』と。
『だから、風除けの呪をしてやろう』と。
だから少女を…ループルを襲うことにした。
早々に段取りを決め始めた賊の男達に、情報を授けた者は言った。
『そして、俺のことは忘れてしまえ』と…。
その者は、言った。――スールは、言った。
今と同じように…。