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−ⅲ

 スールは、一度ゆるりと瞬きをした。
 スールの瞳は、深い藍色。ループルのように、『力』を扱っても瞳の色が変化することはない。
 変わらず静かで、黒と見紛うような…闇に溶け込むような、深い色の瞳。
「…」
 スールは闇の向こうを…藪の先を、見つめる。
 今はもう、見ることは適わないが、スールの視線の先には、賊の男達がいる。

 賊の男達から記憶を…ループルとスールの記憶を抜き、眠らせ、「この場所から遠のくように」と命じたのだ。
 男達の様子は、眠りながらここから歩いている状態だ。夢遊病のようだ、と言えるだろうか。

 スールは見つめる。見つめ続ける。
 そして、視線を外した。
 もと来た道を…といえるほど立派な道はないが…戻っていく。

 ぱちぱちと、炎が燃えている。
 スールは空を見上げる。星が瞬いていた。見続けていると、星が一筋、流れた。
「…」
 夜明けまでには、もう少し時間がありそうだ。
 スールは腰を下ろす。…下ろそうとして、止めた。
 ループルの頭もとに行き、そっと手をかざした。
 呟く言葉は、小さなもの。
 …スールがループルにかけた『眠り』のダヴォイを解く言葉。
 呟きは止んだ。
 辺りに響くのは木々の揺れる音。星の瞬く静寂。
 ループルは一度、寝返りをうった。
「ん…」
 小さな吐息がこぼれる。だが、ループルは起きない。
「――…」
 スールはそっと、ループルの頬に触れた。――ループルは目覚めない。
 こぼれるのは単調な寝息だけ。だが。
「…――」
 深い藍色の…闇色の双眸は細められる。
 口元に浮かぶのは、微かな…本当に小さな、笑み。

 その瞳から感じられるのは優しさ。
 スールから溢れるものは、愛しさ。
 それらは全て、ループルに向けられた感情モノだった。

* * *

「…ありゃー…」
 そこを見て、ループルは呟きをもらした。
『そこ』とは…昨日、自分(達)が捕らえた賊達の居た場所である。
 ――そう、『居た』なのだ。過去形である。
 昨日紐で縛り上げた賊達は姿を消していた。

「全然気づきませんでした…」
 一人そう呟き、スールに視線を向ける。
「スールは気づきましたか?」
 ループルの問いかけにスールは無言で応じた。
 そんなスールの様子に「まぁ、気づけば起きますよねぇ」と一人頷く。
「…」
 沈黙が流れた。密かに礼金を狙っていたループルは少し…いや、かなり『ヤラレタ』といった心境である。
(お金はあって困るものじゃないし…)
 ふと、小さなため息がこぼれてしまった。それがスールの耳に届いたらしく「どうした?」と問われる。
「え? あ、いや…あの…」
 ループルはしばし考えた後、言った。
「…逃げられちゃって、残念だなぁ、と…」
 礼金を期待していたので、とすべてを語る。ずべてを語った後、はっとした。
(が、がめつい…とか思われちゃったかな…)
 ループルの手元にお金はまだある。
 言わない方がよかったかも、と後悔し始めた時、スールはループルに言った。…それは、予想外の言葉。
「金が足りないのか?」
 何か欲しいものでもあるのか、なんなら用立てするぞ……といつもどおりの――いつもの様子となんら変わりない調子でスールは続ける。
「そんなことはないですよ!」
 お金を借りるなんてそんな、滅相もない! ループルはそう、力強く否定する。
 そんなループルにスールは「そうか」と小さく応じた。心なしか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「あ、欲しいもの…といえば」
 そこら辺に売っているものよりも、ループルには欲しいものがあった。
「スール、エルファはどんな調子でしょう?」
 折られてしまったエルファの代わり…新しいエルファだ。現在スールがループルのために作っていてくれているという。
「まだ、時間がかかりそうだ」
 待て、とスールは答えた。
 そのスールの答えにループルはほんの少し『残念だなぁ』と思い、それから…『嬉しいな』とも思った。相反する感情だ。けれど、両方とも本心でもある。
 残念なのは、常に持ち歩いていたエルファが…その代わりが手に入らないこと。
 嬉しいのは、スールと共に居られる時間が多少なりとも延びたことだ。

 移動しながらループルはふと、スールを見つめた。
 そういえばループルは自分がどこに向かっているか、知らない。
ただ、スールの進むほうへ共に歩んでいるだけだ。ループルは口を開く。
「スール、私達はどこにむかっているのですか?」
「…どこか、行きたいところでもあるのか?」
 問いかけたループルに、スールは逆に疑問を返した。
「いえ、別に」
 ループルの旅は気の向くまま、足の向くまま。あるいは、天候によって向かう先を変えていた。
 そして――優しかった里の人達を…大切な人達の仇をかえすために旅をしている。
 この悲しみや憎しみを晴らすために。

 だけど…。
(スールといると…なんでか、その気持ちが萎えるんだよね…)
 ソレはいいことなのか悪いことなのか。
 そんなことを考えてループルは瞳を一度閉じて、開いた。瞳に、鋭い光が宿る。
(何を考えてるの、私)
 この『力』は、スールが…そうしていいと言って教えてくれたではないか。
 仇をかえすため、使っていいと。

「そうか」
 声に、ループルははっとした。
 しばらくの沈黙の後、「とりあえず北だ」とスールは「どこにむかっているのか」というループルの問いかけに応える。
 言われてみればずっと、北へ北へと足を進めている気がする。
 ――今更気づくとは、とろいというか鈍いというか…そんな、ループルだ。

 森は未だ、ぬけない。
 川沿いをずっと歩いている二人である。
 風の『力』を借りればもっと速く移動することもできた。
 だが二人は、『力』を借りることなく歩き続ける。

 …と。
「うわっ!」
 ループルは突如、つまづいた――というか、右足が突然「くきっ」と横になってしまった――。…足元には、何もなかった。
 その声に当然、スールはループルに視線を落とす。
 深い藍色の瞳。
 静かな、夜を思わせる双眸。

 ループルはスールが好きだ。
 本当に、好きだ。
「どうした?」
 照れ笑いなのか何なのか自分でもわからなかったが、ともかく口元が緩んでいたループルに、スールは問いかけた。
「…なんでもないです!」
 その言葉に、ループルは笑ったまま応じる。
 ループルは笑ったまま、スールを見つめた。――するとスールが、笑った。
 スールが笑ってくれたことが嬉しくて、ループルは笑顔のまま、思う。
 あぁ、と。
 このまま共にいられたら、と。
 ――どうか、と。
 このまま共にいられますように、と。

 ループルは今、幸せだ。
 本当に、幸せだ。
「…? …ループル?」
 スールは笑みを消し、ループルの名を呼んだ。
「はい?」
 ループルは首を傾げながら応じた。…ふと、頬に違和感何かがつたう。
 スールはループルの頬につたう違和感に、触れた。そして、問いかける。
「どうした?」
 触れられたことに少し動揺しながら、ループルが「何がですか?」と逆に問いかける。
 スールはゆっくりと瞬きをした。
 そしてループルの頬の違和感…涙を、拭った。
「なぜ、泣いている?」
「――へ?」
 スールの手が離れた、自分の頬に触れる。
「…あれ?」
 涙はもう、止まっていた。
 だが、頬にわずかに残っていた水分…涙の跡が、自分が泣いたことを表している。
 笑顔のまま、ループルは涙を流したらしかった。
「足首でも痛めたか?」と、視界の隅でループルが足を「くきっ」としたところを見ていたらしいスールは問いかける。
 ループルは「いいえ」と首をふり、言葉を続ける。
「…なんでしょうね? …目に、ゴミでも入ったんでしょうか?」
 涙が一筋だけこぼれた右目を拭った。もう乾いている、といってもいいほどだ。

 ただ一筋の涙。
 その意味を、ループルは知らない。
 ――その意味をループル自身、知れない。

* * *

 いつもと変わらぬ一日が終わった。
 …スールと再会してから七日目の、変わらぬ一日が。
 ――スールと目が合う確率が妙に高い以外、なんら変わらぬ一日が。

 ループルは目を覚まし、辺りを見渡した。
「――…?」
 あるはずの気配がなく、ループルは何度も何度も瞬きを繰り返す。
「…?」
 スール、と。唇が象る。声にはならない。

 先に起きたのだろうか。
 …今マデ一度モ自分ヨリ早ク起キタコトナドナイノニ…
 もう、顔を洗いに行っているのだろうか。
 …ナゼ、スールノ荷物ガ見当タラナイノ…

 起き上がり、川に向かった。
 そこにスールは…いない。
「…スール…?」

 風が吹いた。
 泣かないで、泣かないで、と。
 風が囁く。
 泣かないで、泣かないで…と。
 風が、涙に濡れたループルの頬を撫でた。

 
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