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−ⅰ

「…」
 ループルは、歩いた。
 ただ、北へ。
『スール、私達はどこにむかっているのですか?』
 ――先日の会話。
 たった三日しか経っていないのに、もうずっと前のことのようにも思える。
『とりあえず北だ』
 スールは、そう言った。

 もしかしたら、エルファを作るために一人になったのかもしれない。
 ――エルファを作る作業ところのは見せてもらえなかった。
 スールは「見られると集中できないから」と言っていた。
 だから…もしかしたらエルファを仕上げるために、一人になるために、スールは姿を消したのではないだろうか、と。
 ループルはそう思う。――そう、思わなければ…。

 ―― 置イテイカレタノ?
 ―― 嫌ワレタ?
 ―― 私ハ スールニ 何ヲ シテシマッタノ? ――

 自分の中の思考を打ち払うように、プルプルとループルは頭を振った。
 今はただ、歩を進めるのだ。余計なことは考えるな。
 今、自分にできるのは…今、自分ができるのは、「北に向かっている」というスールの言葉に従って、北へ向かうことだけだ。
 ループルは仇をかえすより先に、スールに…ただ、スールに。
 …ただ、会いたい。ただ、一緒にいたいだけなのだ。

* * *

 ループルは瞳を琥珀色に輝かせ、風の『力』を借りながらひたすらに向かう。
 北へ、北へ、北へと。
 それは、無意識だった。
 ――ループルは、気づいてなかった。
 ループルは『言葉』で願うことなく、風の『力』を借りていた。

(スールは…どこ?)
 北へ向かえばいるのだろうか?
 声にすることなく、風に問う。
 待って、待っていて、と。そう風が答える。
 風の言葉に「わかった」と応じながらもループルは北へ進んでいた。
 薄墨色だった瞳は琥珀色に輝いている。…まるで琥珀色が、元からの瞳の色であるように。

* * *

 風はループルの求める答えを告げた。
 スールはこっちよ、スールはこっちよ、と北へ。
 だからループルはひたすら北に向かって進んでいた。
「――あ…」
 そして、森を抜けた。…いや、抜けたわけではなく、森の中に門があった。
 里の入り口なのだろうか。
 その門は…そして門の周りにある塀も…風雨に晒されながら何も手入れがされていないらしく、ひどくボロボロだった。
 瞳に映ったボロボロの門に、ループルは何かを感じた。
 その『何か』を言葉にすることは難しい。
 ザワザワと落ち着かないというか…なんにせよ、妙な感覚がする。
 あえて言うのならば、その感覚は…
(不安?)
 自身に問いかける。――答えはない。
 しかし風はこっちよ、こっちよ、とループルを誘う。
 一歩進むごとに、足が重くなっているような感覚がする。
 ――まるで、一歩足を進める毎に足に重石を付けていくように…。
(進みたくないのかな…?)
 どこで、何がループルの足を重くしているのかわからない。
 泥でぬかるんでいる…とかいうことではなかった。おそらく…精神的なモノ。
 けれど、風は誘う。
 こっちよ、こっちよ
 …スールはこの先にいるのだと、告げている。

 こっちよ、こっちよ
 ――そんな、風の声と。
 ドクン、ドクン
 ――そんな、自分の鼓動。…自分の中の、妙な感覚モノ
 しかしループルは自分の中の感覚モノよりも、スールに会いたいという感情のほうが上回っていた。
 だから、進んだ。ボロボロの門をくぐる。
 予想どおり、そこは里だった。
 …里、だった。
 門同様、風雨に晒されながらも何も手入れがされていないらしい、ボロボロな家々。
 ループルの周りをめぐるものではない、乾いた風が吹く。
 人の気配は、皆無だった。

* * *

(ここは、どこだろう…)
 自分の足でここまで進んできたというのに、妙な思いがループルの中で起こった。
 こめかみが痛む。
 思わず、目を閉じた。ループルの瞳は相変わらず、琥珀色に輝いたままである。
 ズキ ズキ ズキン…
 こめかみの痛みと同時に。
 ドクン ドクン ドクン…
 そう、鼓動が重なる。
(あぁ、本当に…)
 なんなのだ、と。誰にでもなくループルは心の中でぼやいた。
 目を開き、眺める。
 ――当然、変化はない。
 視界にあるのは風雨に晒されたボロボロの家々だけだ。
 ループルはこめかみの痛みに耐え切れず、再度瞳を閉じた。
 その瞬間、風がループルを呼んだ。
 瞳を、開く。

「…っ!」
 そして…目前に姿を現したのは、一人の男。
 その姿は、ループルの求めた男の姿。
「スー…」
 スール、と。その男の名を、呼ぼうとした。呼ぼうとしたが、声が紡がれない。

 ――風が吹いた。
 ループルの周りをめぐる風でも、里をめぐっていた乾いた風でもない。
 ビュウ、と風が吹いた。
 ループルは目前に立つ男の名を呼ぼうとした。…呼ぼうとしたが、声が紡げない。

 痛みが、声を紡ぐことを止めさせた。
「――…?…」
 痛みの元にループルは手を伸ばした。
 触れると、ペタリとした水気がその手に広がった。
 …血だ。
 先ほど起こった風がループルを傷つけた。
 ループルの腕から、ジワリと血が滲み、マントにも広がっていく。
「――…」
 名を呼ぶ。…それは、声にならなかったが。
 ループルには何が起こったのか、理解できなかった。――いや、信じられなかった。

 スールの表情は、ループルの知るものとなんら変わらぬもの。静かな、もの。
「ループル」
 ――その声も、表情も…変わらないと、いうのに。
「…未だ、思いださないのか?」
 ――スールの問いかけになぜか、胸が騒いだ。

 頭が痛い。
 …割れてしまう。
 鼓動が早い。
 …壊れてしまう。

 手のひらに広がる…自らの血の赤。
 目前に在る、風雨に晒された家々。
 記憶の中の――長い黒髪の、男。

『…な…ん…で…』
 優シイ香リノシタ母。
 厳シクテ、強イ父。
 少シ意地悪ナ兄。
『――なんで…』
 瞳ニ映ルノハ、倒レタ人々。
 …自分以外ノ人ハ全テ…物言ワヌ『モノ』トナリ、染マッテイタ…。
『――あ…』
 自分以外ノ人ハ、全テ骸トナッテ…。
『…あ…』
 骸ハ血ノ色ニ染マッテイタ…。
『――あああああああっっ』

 それは『過去』。――戻らないもの。
 …それは『記憶』。――夢にも似た、現実。
 …現実…。

「う…そ…」
 呆然とループルは呟いた。
 願うように口にした『うそ』を否定するように…現実だと訴えるように、腕が痛んだ。

 
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