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−ⅱ

 スールは…ループルの目前に立っていた男は、突如距離を詰め、ループルを組み敷くように押し倒した。
 ループルの傷ついた腕を押さえつける。
 それは止血ではなく、傷口を押し広げるように。
「――っ…ぁ…っ」
 組み敷かれ、押さえつけられ…更に傷口をいたぶられ、ループルは声を漏らした。
「…未だ、思いださないのか?」
 ループルの様子に眉一つ動かさないで、呟く。
 ループルを『風』で傷つけ…その傷口を押し広げ、再度呟く。
 黒髪の男は…過去には長かった、黒髪の男は。
「――ループル」
 ループルの名を、呼んだ。

 ループルは混乱していた。…頭の中の整理がしたいのに、できない。
 何一つ、理解できない。…信じたくない。
 仇をかえすより先に、スールに…ただ、スールに。…ただ、会いたい。ただ、一緒にいたくて追ったのに。
 ループルは、自分を組み敷く男を見上げる。
 痛みのせいだろうか、目元にじわりと涙が滲んできた。

(…あの日…)
 自分の家族が――自分の里の人々が殺されたのは、この里?
(…ここが、私の育った里?)
 ――過去の日、…あの日、自分の家族を――自分の里の人々を殺した男が、スール?

 優しかったあの人達を殺したのが…かえすと決めた、仇が…スール?
 ――スール?

「…――ああああああ…っ」

 ループルは叫んだ。頭の中も心の中も、真っ白になった。
 組み敷かれたまま…自分の中の混乱を全て吐き出すように、叫ぶ。

 ソウダ
 …嘘だ…
 違ウ!
 …でも…

 相反する思いが、ループルの中をかけていく。
 頭が痛い。
 腕が痛い。
 痛い、痛い、痛い…痛い…
 ――心臓が、痛い。

 スールはループルを見下ろしていた。
 今も、その傷口に手を押し付け…押し広げるように、触れる。
 傷口も心臓になったように、ドクッドクッと痛みを感じた。
「ループル…」
 呼びかけるその声は、変わらないもの。ループルが好きな…ループルが好きになった、スールのもの。
 淡々としていて、静かで…穏やかな声音もの
 スールは傷口をもてあそんでいないもう一方の手でループルに触れ、問いかけた。
 スールの手は躊躇いなく、ループルの喉に触れる。さわりと、撫でた。
「反撃は、無いのか?」
 その言葉と同時に、スールはループルの首を絞める。
 ゆっくりと、ゆっくりと。…次第に、その指には力が加われていく。
「仇をかえすのだろう?」
 スールはループルの喉の骨の形を確かめるように――力はそのまま――ゆっくりと指を上下させた。
「…っ! ――っ!!」
 息が、できない。
「恨みを、晴らすんだろう…?」
 囁くようにそっと、スールは告げた。ループルの喉をつかむ力が、強まる。
「…ЭеЖјЎљЪ」
 続けて、『力』を借りる呪文を唱え始めた。
「ВІШЧјХЂфЕЖЫ」

 苦しい。…痛い。
 なぜ? ――どうして?
 感情が、吐け口を求めていた。
 言葉にできれば…喚くことができれば。
 スールに問うことができれば…。
「…っ」
 声にはならず、むなしく吐息だけがループルの唇からこぼれ落ちる。
「Ін」
 先ほどループルの腕を切りつけた風が、再度来る。…再度、来る。
「――лЯ」

 ナゼ…ドウシテ…
(…なぜ!!)
 言葉にならない叫びと共に、ループルはその風を弾いた!
「――…」
 スールは顔をしかめた。
 ループルを傷つけるはずだった風の刃が、スールを傷つけたのである。
 スールのマントや額飾りサジフェスに切れ目が入った。頬や腕にはゆっくりと、血がつたう。
 ――ループルのものではない、血が。
 血は、つかまれた喉にもつたった。
 目の前が、暗い。
 喉に液体がつたうのがわかる。…意識が、途切れそうになる。
 ――瞬間、空気が一気に入り込んできた。
 ループルは咳き込んだ。スールがループルから手を外したのだ。
「…――」
 スールは組み敷くループルを見下ろしていた。
 ループルは未だ咳き込んでいる。止まらない。口の中でわずかだが、血の味がする。
 瞬きを繰り返していると視界がゆっくりと、広がってきた。
 組み敷かれていた圧迫感から解放される――…。

「――…だな…」
 小さな声が、ループルに届いた。呟きの内容はきちんとわからなかった。
 立ち上がっていたスールを見上げた。視線がぶつかる。
 スールは頬や腕に流れる血を気にかける様子なく…地面に血の跡をじわじわと広げて、スールがゆっくりと言葉を紡いだ。
「…また、な」
 まるで自分が傷ついてなどいないように。まるで自分は傷つけていないように。――まるで、何も無かったかのように、スールは微笑さえ浮かべながら、言った。

 スールの髪が…ループルの髪が、揺れた。
 風が吹いている。
「…って…」
 行ってしまう。そう、思った。直感した。
「…待って…っ!!!」
 腕の押し広げられた傷口が痛み、絞められた喉も痛かった。
 けれど…声の限り叫んだ。

 ループルの声もむなしく、スールは姿を消した。

 なぜ? どうして?
「――スール…」
 名を呟いたところで、答えはない。答えは、ないのだが…。
「――スール!」
 喉が痛い。
 頭が痛い。
 腕が痛い。
 ――心臓が、痛い。
 …胸が、痛い…。

「…――」
 ループルは声にならず、ただ、名を呼ぶ。
 スール、と。――ただ、ひたすらに。
 …スール、と。

 そしてループルは、意識を手放した。

 
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