喉が痛い。
頭が痛い。
腕が痛い。
――心臓が痛い。
…胸が、痛い…。
「―― …」
(――スール…)
名を呼んだ。…声にはならなかったけれど。
* * *
「……」
目が、開いた。しかし情報は脳に伝わってこない。
しばらくして、自分が室内にいるらしい、ということがどうにかわかった。
「………」
(ここは――)
どこなのか、と。自分は一体どうしたのか、とループルははっきりしない意識の中、そう考える。
ともかく、と起き上がった。ループルは自分がベッドに横になっていたと知る。
(…ここは…?)
どこなのだろう、と。再び考える。――考えようとする。すると…。
「目が覚めたか?」
声がした。聞き覚えのない低い声…男のものだ。
ループルは予想外のことにビクッと反応してしまう。振り返ると、横になっていた部屋のドアが開いていた。
「いいタイミングだったな」
…声のわりに、優しい顔立ちの人間が立っていた。パッと見ただけでは、女の人だと思う顔立ちである。しかし身長がループルより頭一つ分ほど大きい…その上、低い声から察するに男であろう。
「気分はどうだ? お前、里の真ん中で倒れてたの覚えてるか? 何か食うか?」
言葉は続けられる。本当はもう一人いるのではないか、と思えるほど外見と声が合わない。
ループルは返事ができなかった。すると、男は言った。
「…お前、喋れるか?」
ループルはしばらく呆然としてしまっていたが、言葉をきちんと理解すると、「…え? あ、――はい」と、どうにか返答する。
「黙ってたから、喋れねぇかと思ったぜ」
はぁ、とループルは言葉を濁した。それにしてもよく回る口だ。
「気分は?」
「悪くないです…」と言ってやっと、眠る前…正確には、意識を失う前のことを思いだした。
――自分がどうして倒れたか。
「で…」
「あの!」
他に何か言おうとした男の言葉を遮り、ループルは言った。
男は一度目を丸くしたが、「なんだ?」と応じる。
「私の…私の他に、誰かいませんでしたか?!」
ループルの剣幕に驚いた様子を見せた男だったが、その問いかけに「いや」と短く答えた。
「――そう…ですか…」
見るからに肩を落としたループルに、男は「ともかく」と言った。
「腹、減ってねーか? 今だったら食わせてやるぜ」
* * *
「イタダキマス…」
「どーぞ」
ループルの言葉に、男は応じた。
どうやら、ループルが倒れていた里の、家のうちの一軒らしい。
数年前…何年前か定かでない過去。ループルはかつて、この里にいた。
…しかしこの里の人間は、一人の男によって全て殺されてしまった。
ループル以外、一人残らず。――その『男』というのが…。
(――スール…)
ループルはそれを思いだして、心臓と胃が、ギュッと萎縮したように感じた。
せっかく出された料理なのに、手が進まない。
「どうした? 不味いか?」
「…あ! そんなことは…」ありません、と続けるよりも早く「当然だな」と男は言った。
「いや、不味いなんて言ったら即効ぶっ飛ばすところだったぜ」
男の言葉にループルは思わず固まった。
「冗談だ」と男は続けて笑ったが、目が本気に見えるのはループルの気のせいだろうか。
「そういえば、お前、なんていうんだ?」
ループルは食べ物を口に含んでいた。
噛んで、噛んで、飲み込んでから「ループルです」と告げる。
男は「そうか」と頷いた。彼自身が作っただろう料理を美味しそうに頬張り、飲み込んでから告げる。
「オレは、リスティだ」
――と。
リスティに出された食事をどうにか食べ終わり「ご馳走様でした」と言った。
そんなループルに「あいよ」と返しながら、リスティはボーッと座っている。正確には食後のお茶を飲んでいるところだったのだが。
ループルは立つに立てず、とりあえず正面の男を見つめた。
…やはり顔を見ただけでは、女の人のようだ。長いまつげに、優しげな顔立ち。
(まぁ…声の低さと身長からして、男の人だとは思うけど…)
胸もなさそうだ。
スレンダーな長身美女だろうか…でも、ループル判定では男性なのだが。
瞳は空の色。真昼の、青い色である。
髪は絹糸のように細く、その色は見事な黄金色で、短く切り揃えてあった。
瞳の色の明るさと髪のせいか、太陽を連想させる。
(すごいキレイな髪)
ループルはこんなにも見事な色の髪を見たことがない。…その筈だ。なのに、何か引っかかる。
(どこかで会ったことがあるとか…?)
こんな髪の色の人に。
そう考えて自身で「いや」と否定する。
こんなにも印象的な人、普通だったら忘れないだろう。
(――普通だったら…)
…そう思ってから「あ」と、思い直した。そういえば…自分は。
(記憶に『穴』がいっぱいあるんだった…)
我知らず、苦笑が漏れる。しかし次の瞬間に、苦笑は消えた。
(父さんや母さんが殺されて…里の人達が殺されて…)
その犯人を――忘れていたではないか。
自分に『力』の使い方を…『力』の借り方を教えてくれた師を、忘れていたではないか。
皆を殺した犯人と、自分の『師』が同一人物だったことを、忘れていたではないか。
瞳を閉じる。
(…スール)
心の中で名を呼んだ。
(――スール…)
瞳は閉じたまま肘を立てて、組んだ指に自らの額を乗せる。
ループルの視界は暗くなった。…瞳を閉じているから当然なのだが。
(――スール……)
喉を掴まれた感覚を思いだす。…首を絞められた感覚を思いだす。
ループルの喉の骨の形を確かめるように。いたぶるように、ゆっくりと動く手。
――傷口を押し広げるように触れた、手。
感情が、ぐるぐるとめぐる。
悲しい。…切ない。苦しい。なぜ、――どうして。
(…どうして…)
湧き上がるのは、疑問。
なぜ、と。どうして、と。
(スール)
黒髪。金色の紐の揺れる額飾り。
深い、黒と見紛うような藍色の瞳。夜空の色の、瞳。
(…スール)
静かな声。優しい、声。
『ループル』
姿も、声も、こんなにも簡単に思いだすことができる。
別れたのは最近だから当然だろうか。
…別れたのは最近なのに、こんなにも悲しい思いになるのはどうしてだ?
――涙が出そうになる。
「ループル?」
リスティに呼ばれたのに気づき、顔をあげた。
「どうした? 気分でもわりぃか?」
――気分が悪いわけではない。
だからループルは答えた。「いえ。大丈夫です」と。
「そうか?」と首を傾げたリスティから視線を外し、再び瞳を閉じる。
(ただ…)
ただ、悲しいほどに…切ないほどに、胸が苦しいだけだ。
(…スール…)
幾度目とも知れぬ名を呟いた。心の中で。
――それがとどいているとは、とても思えなかったけれど。
「お前これからどーするんだ?」
食事を終え、後片付けを手伝っていると、リスティは言った。
「――どうする、とは?」
ループルは逆に聞き返した。するとリスティは「まだここにいる気か、ってこと」と返す。
つまり、はっきり言い直せば『ちゃっちゃと出て行け』…ということであろうか?
「…いや、早々においとまする気ですが」
お望みならば今すぐにでも…などと思いつつ、ちょっぴりムッとしながら、ループルは言う。
そんなループルの心情を知ってか知らずか、リスティは目を丸くして「もう行くのか?」と驚いたような表情をしてみせた。
その言葉にループルが逆に、驚いてしまう。思わず「もう…?」と聞き返すと、
「お前怪我してるんだし、ゆっくりしていけよ」
そう言いながら、リスティは笑った。女性のような顔立ちが、より柔らかな印象になる。
「……」
ループルはジッとリスティを見つめてしまった。
リスティはループルの視線に気づくと、「あ」と付け足すように言った。
「安心しろ。女に興味ないから」
…つまり、『手を出したりしないから安心しろ』という意味だろうか。
「だから、ゆっくりしてけって」
リスティは重ねて、そう言った。
「本当に…あの、いいんでしょうか?」
ループルの問いかけにリスティは「ガキが遠慮するな」と笑う。
「…じゃあ…遠慮なく…」
ループルは言いながら、思った。
(『女に興味がない』なら、男には興味があるのかな…?)
と。