TOP
 

四、三日目

(…あぁ、朝日が…)
 エリナはカーテン越しに外がぼんやりと明るくなるのを見ていた。
 イリスの部屋の問題も解決したようだし、エリナが気にするようなことは何もないはずなのに、結局まともに眠れないまま時間を過ごしてしまった。
 一泊目は寝ている最中にイリスに叩き起こされるしベッドを奪われるし…で、きちんと眠っていなかったというのに、二泊目もこれだ。
 起きだすのにはまだ早いとはいっても…
(――ちゃんと眠れなかった…)
 エリナはベッドの中で伸びた。

 体は疲れている。それこそ、とても。
 だが…神経が昂っているのか、目だけが妙に冴えている感じだ。
 目を瞑ってみても、疲労感は襲うが眠気はない。
(ディンセントは寝たんだろうな…)
 寝ているときが至福の時間、と言い切った女だ。ついでにご飯をぬいても睡眠は削らないようなヤツだ。絶対に眠っただろう。
 …それにしても、あんな怪奇現象が起こった部屋でよくそのまま眠る気になるものだ。
 イリスに『部屋代が無料になるならその部屋のほうがいい』とは言ったが、あくまでそれは冗談だ。『アレ』の片はついたようだが、自分だったらあの部屋で眠ることは遠慮したい。

**** **** ****

 朝、朝食をとるために部屋を出たエリナはまたもやイリスと鉢合わせした。
(…本当に、よく会うな…)
「あ、エリナ。おはよー」
 ひらりと手を上げつつ挨拶をしてきたイリスにエリナは小さく「あぁ」とだけ応じて、くぁと漏れるあくびをかみ殺す。
「ははっ。あんまり寝てなさそうだね」
 笑いながら言ったイリスだったが、そのとおりだった。昇る朝日を横目に、少しうとうとしたくらいだ。
「…そっちはよく眠ったみたいだな」
 にこにこ明るく、ついでに疲れている様子なんて欠片も見られないイリスにエリナは半ば感心しつつ呟く。
「当然。あたしの睡眠を邪魔するヤツはいなかったし」
 快眠快眠。と笑ったイリスにエリナは問いかけた。
「あの部屋でよく眠れたな…」
「あたしはどこでも寝られるからね」
 その口調はまるで「枕が変わるくらい、問題じゃないよ」という感じである。
「――いや、だから…」
「『アレ』はいなくなったみたいだし、問題ない」
 エリナが言葉を紡ぐより早く、イリスは遮るようにして言い切った。イリスの言い切りに、言葉を遮られたエリナではあったが、結局やめた。イリスが問題ないというなら、問題ないのだろう。
「…死んだ人間は、恐くないよ」
 その言葉に、思わずイリスを見つめた。
 ――あんな体験をして、…ついでに一泊目は自分を叩き起こしてまで訴えにきたというのに…『恐くない』?
 思ったままエリナがそう聞き返すと、イリスは間を置いてから「最初は驚いただけ」と応じる。その『間』があやしい。
「…『アレ』の正体がわかったから、恐くなくなった」
 エリナの疑惑の眼差しを感じ取ったのか、イリスはそう続けた。
「正体がわかればいいのか」
 そういうものなのか、とも思ったがイリスがあっさり「まぁね」と応じたので言葉にはしない。
 ――視線をイリスから外したエリナは、イリスの唇だけの呟きに気付かなかった。
「恐さよりも、怒りがまさった」
 …そう、かたどったことに。

 ――エリナは知らない。
 イリスが、友人を亡くしていることを。
 その原因が、無理心中であったことを。
 だからイリスは、心中をするような人間が嫌いだ。…周りのことを考えない人間だと思うからだ。自分勝手な人間だと思うからだ。

 だから、幽霊『アレ』の正体が心中した人間…巻き込まれたほうではないと知ったとき…恐さよりも、怒りが勝った。
 ――亡くなった友を思って。
 イリスはグッシャルデここに『祈拝きはい』が目的で来た。
 ――せめて、還った魂が安らかであるように…そう、祈るために。

**** **** ****

「そういえば」
 朝食は、またもや安さにひかれて一泊目の夕食と同様、神殿の学生食堂でとった。
 後はもう帰るだけだ。あっという間で、ある意味では充実した二泊三日といえるのかもしれない。
 預けたままの荷物を取りに、宿に戻りながら、エリナは口を開いた。
「『音見者おんけんじゃ』っつーのはあんなことができるものなのか?」
「…あんなって?」
 エリナが眠れなかったのは目が冴えていた…ことも確かにあったが、悶々と考えていたのだ。
 イリスのことを。…『音見者』のことを。
 ――そして、『享名』のことを。

『享名』は神から受ける名前。その人を示す魂の名前。
 それは、神殿に籍を置いた全ての人間が知っていること。
 …だが、『享名』にあんな力があったとは。
 魂に、思うとおりに命じることができる。自分が思うままに動かすことができる。
 ――だから、過去に『享名』が秘められた名前だったのか、とも思った。
『享名』を知ることは相手を支配することと同じだったと、『命の書』教科書で知っていた。
 …しかし。
 現在では『享名』を享けるのは古くからの因習であり、あまり意味のないものだとされる。
 少なくとも、世間的には。――少なくとも、エリナの認識では。

「あんなって?」と首を傾げたイリスに「だから」とエリナは続ける。
「『音見者』はああやって、言葉だけで他のヤツを自分の思うとおりに動かすことができるものなのか?」
 他のヤツというか…今回、イリスが意のままに操ったのは敢えていうなら幽霊だったが。
 エリナの言葉に首を傾げていたイリスは「あぁ」と頷いた。その後「まさか」と笑う。
「あれは、たまたまだよ。実はうまくいかない可能性もあったんだよね」
「…はぁ?」
 間を置いて、エリナは微妙に声を裏返した。イリスの言う意味がわからない。
「だから…。『アレ』の『享名』を言う前に、あたしブツブツ言ってたでしょ? あれ、実は禁契きんけいだったんだよね」
「…きんけい?」
 聞き覚えのない言葉に首を傾げたエリナに「あ、知らない?」と軽く応じるイリス。
「それは…」
 なんなのか…という疑問を滲ませながらイリスを見た。
 その視線を受け「言っちゃってもいいのかな〜」とイリスは呟く。エリナは思わず眉間に皺を寄せた。
「…そこまで言っといて、そう言うのか?」
 思わず不平を漏らす。
 その反応にイリスは小さく笑い、「『名見者めいけんじゃ』の片割れだし、いいか」と続けた。

 あまり広めないでよ、と前置きし
「禁契っていうのは…まぁ、禁じられた言葉だよね。今は使っちゃいけない言葉」
「…そんなものがあるのか」
「うん、そう」と頷いたイリスの横顔を、珍しいものでも見るようにエリナは見つめた。
「何? その意外そうな顔は」
 エリナの視線に気付いたらしいイリスの言葉に「…いや…」と言葉を濁らせる。
 まさか「眠ることが大好きな少女イリスに、よくそんな知識があったな…」と思った、――とは言えまい。
 言葉を濁したエリナに何を思ったのか、イリスはしばらく沈黙していたが、続ける。
「あたしは禁契を知識でしか知らなかったし、その知識が間違えてたら意味ないでしょ」
 イリスの言葉にエリナは「…賭けにでたな」と漏らす。
 あははは、と再び笑ってから、イリスは「でも」とエリナに振り返った。
「終わりよければ全てよし! じゃない?」
「……」
 風に、イリスの髪が揺れた。
 イリスの髪は黒髪だが、それぞれが細いため、重たい印象はない。
「…お気楽…」
 ボソリ、エリナは一言。
「――エリナ…今、なんて言った?」
 その一言を、イリスは聞き逃さず。
 エリナは立ち止まったままジッとコチラを見つめるイリスを追い抜き「お前らしいと言ったんだ」と、告げる。
 それが予想外の言葉だったのかイリスは目を丸くした。

 来ないな、と振り返ろうとした瞬間、エリナの視界の隅にイリスの姿が映った。
「あたし、昨日みたいなことを職にしようかなぁ。――ね、エリナ」
 当然のように、肩を叩かれた。
「…話に突拍子がないな」
 しかも『昨日みたいなことを職』にするとなると…幽霊退治、みたいなものになるのだろうか。
 幽霊、怪奇現象…そういったものに興味はなかったし信じてもいなかったが、今回の事件でもうこりごりだ。職だなんてとんでもない。
「…ついでに「ね」ってどういうことだ」
 肩を叩かれたことといい、なんとも嫌な予感がする。
 エリナの問いかけにイリスは「だって」といたずらっぽく笑う。
「エリナがいなくちゃ、『享名』はわからないし?」
「……オレまで巻き込む気か」
「だって、昨日と同じことをやりたければ『享名』がわかるのが前提じゃん」
「あぁ、そうだね」と適当に相槌を打つエリナに「なんつー適当な返事を…」とイリスは膝カックンをかました。
「…何するんだ」
「膝カックン」
「んなこたわかる!」
「いいじゃん、友達だし」
「…わけわかんねーよ」
 ――二人の会話は続く。

**** **** ****

 ――二人は知らない。
禁契きんけい』を知る者は…知識としてある者は、案外存在していることを。
 …けれど…。
 禁契を『結ぶ』ことができる存在が今はないとされていることを。

 世間は、知らない。
 ――二人は、知らない。

 神殿の上層部で、その『禁契』を結ぶ力を再び欲していることを。
 …皆、知らない。

**** **** ****

「あれ? エリナはどうやって帰るの?」
「……馬車」
 エリナの沈黙が思わず長引いたのは、イリスに「途中まで一緒に帰ろうか」と言われながら、なかなかその『途中』に行き着かないためだ。
 そんな時の、イリスの一言だった。
「――ちなみに、どういう経由で?」
「……言う必要があるのか?」
 馬車乗り場まで一緒だった。
 三箇所あるうちの、立ち止まった『サルス行き』というところまで一緒だった。
「…エリナって、どこの人?」
「……アディモンド」
 訊いてきたイリスが、固まった。しばらくして「あたしは、サエフリ」と小さく呟く。
 サルスはリワスイ山の麓の町の名前だ。
 ――アディモンドとサエフリもまたリワスイ山の麓の町だ。サルスから南北に分かれるが、直線距離にすれば近い。
形見者けいけんじゃ』と『音見者おんけんじゃ』。二人は見習いとはいえ一組の『名見者めいけんじゃ』だ。
 ついでに、間接的とはいえ二年間の付き合いがあったのだ。
 なのに…。
「…なんで、知らなかったかねぇ…」
「――さぁなぁ…」
 イリスもエリナも、馬車に乗り込みながらぼやいた。

 二人の同行は、もう少し続く。

名見者<完>

2004年 3月25日(木)【初版完成】
2011年 7月25日(月)【訂正/改定完成】

 
TOP