「克己〜っ!!!」
呼ぶ声に、振り返った。
…呼ばれたのは自分ではなかったのだが。
結構大きな声だったことと、呼ばれたのが自分の隣の存在だったせいだ。
「え? んあ?」
あたしか? と妙な声をあげつつ少女――なのだが、『少女』というのに少々憚られる存在――も振り返る。
改札口を出て、駅の構内を歩いているところだった。
期末テストも終わり、夏休み目前! という話をしていたときだ。
一時を少し回った時間帯のわりに人が多く、発信源を見つけ出すのに少しだけ間が必要だった。
四人掛けの木製の椅子がいくつも並んだ待合所。
そこに座らずにいる――眞清の目標とする180cmは軽くありそうな――背の高い男だった。男は色の薄いサングラスをしている。
「克己っ!」
サングラスを外して繰り返し少女…克己を呼びかける。
サングラスを外す前と大分印象の違う、二十代前半と思われるその男を見て、克己が目を丸くした。
「…い…く?」
続いた言葉に眞清は目を細める。
(――イク?)
克己の反応に男はニッと笑った。
軽くセットしてある髪を一度かきあげる。
「…イク! おま…なんで?!」
八割がた驚き、残りが喜びと戸惑いのような表情の克己に「イク」と呼ばれた男は「してやったり」というような満足気な顔をしている。
「克己の驚く顔が見たくてさ〜っ」
そう言いながら近づくと、眞清をちろりと見下ろした。
…男の身長からすれば大方『見下ろす』ことになるのだが、『見下されている』ような気がするのは眞清の被害妄想なのだろうか。
「…ダレ?」
克己に近づくと、イクは克己の肩に自然に触れた。
半ば抱くようなその手に眞清はどこかムッとしたが、克己は別段反応しない。
当然のように受け入れている。
「あぁ…眞清」
お隣さんだよ、と克己は笑った。
眞清の視線に気付いたらしい克己は男を指差す。
「あ、眞清。コイツはイク」
「コイツってなんだよ」
コイツはコイツだ、と笑う克己にイクと呼ばれた男は克己の首を腕で軽く締め上げた。
(…じゃれあっている)
眞清は淡々と観察している。――淡々と見るよう、努力する。
(――というか)
「あ、ちなみにあたしの」
言葉を続けようとした克己の口を、イクは手のひらで封じた。
「大事なヒト。だ」
克己曰くイクの言葉に、眞清は数度瞬く。
――克己は、背中に触れられることを好まない。
克己の背後に立てる人間…立っていい人間が、少ない。
…そう、言っていた。
眞清はその立っていい人間のうちの一人だと、以前に言われた。――けれど。
「…はぁ?!」
「違うのか? ん?」
イクが口を塞いだ手のひらから逃れた後、克己のあげた声にイクは笑う。
克己はじっとイクを見つめた。
…見つめ続けた。
「違わない、けど…」
「だろ?」
克己はイクの言葉を否定しなかった。
この…イクという男も克己の背後に立っていい人間のうちの一人のようだ。
(――誰、でしょう…?)
眞清はじっと、イクを観察する。
そんな視線に気付いたらしいイクが一瞬、笑ったように思えた。
…そして。克己を抱きしめる腕の力を強めたようにも。
「ここに突っ立てってもしょうがないし、行こうぜ」
イクは指をクイ、と構外へ向けた。
「それもそうだな」と克己が頷き、眞清も続く。
雑談をする二人と、そんな二人をそことなく見る眞清。
――言葉を挟める雰囲気ではない。
眞清の性格的に、あえて会話に加わるような性格でもないのだが。
駅から歩いて大体十五分。
「じゃな」
「…はい」
軽く手をあげる克己と、その克己に続いてイクも家へと入っていった。…当然、克己の家に。
しばらくそんな二人を見送るように立っていた眞清だったが『気にしてもしょうがない』と思い家へ向かい。
――今までイクのような存在がいなかったのだからしょうがない、と思いなおした。
帰宅の言葉もそこそこに、眞清は早々に自室に向かった。
平屋建ての蘇我の家の庭には多くの植物が植わっていて、日陰が多い。
…以前眞清の友人に「軽い森」とか言われたことがある。
自室から庭を眺め、その木のむこうにある克己の家…克己を思った。
「……」
頭を振る。バックを棚に引っ掛けて、眞清はベッドに寝転んだ。
枕元には読みかけの推理小説が一冊。
手にとってしばらく読んでみたが、内容がまともに入ってこない。
…もう、三度は読んだものなので内容はそことなく把握しているが。
眞清は小説を元の位置にパタリと置いた。
天井を見上げて、一度瞳を閉じる。
ふと思い出したのは、あの日の海。
克己の笑顔。
――なぜ急に思い出しのか、知れないけれど。
でも。
『さんきゅ、眞清』
…あの笑顔が、忘れられない。
(…そう言えば…)
克己と再会して、もうすぐ一年になる。
…二人で海に行って、もう4ヶ月ほど経つ。
克己が戻ってきて一年。
案外短いように感じた。
思いのほか、長かったようにも思えた。
(…一年)
それは、ひとつの区切りともなる時間だった。