「来週選挙か」
学生会室の黒板…日付が書いてあって、縦長に予定とか書き込める形式のヤツ…を見て、思わず呟いた。
「そう、来週ね」と応じたのは、いつも予定を書き込んでる涼さんだ。
黒板ってか、チョークってか…とりあえず、結構書きにくいと思うんだけど、予定を書き込んである字は見やすくて、キリッとした印象の涼さんらしいキレイな字が並んでいる。
「大森さん」
頷いた涼さんの次の声…呼びかけに、あたしは振り返る。
声をかけてきたのは予想通り、学生会長の冬哉さん。
同じクラスの春那ちゃんの兄ちゃんで、ほんわかしたカンジってか穏やかそうってか、気が弱そうに見えるんだけど…見た目だけで判断できない人だ。――それは冬哉さんだけじゃなくて、春那ちゃんもで…兄妹二人とも、見た目だけで判断できないカンジなんだけど。
「隣、どうする?」
「へ?」
あたしはちょっとばかり妙な声を上げてしまう。
冬哉さんは少し笑った。…それは、若干苦笑めいたもの。
「――任期が終われば、新しい学生会のヤツが此処にいるわけだから…」
そこまで冬哉さんが言うと眞清が引き継ぐようにして言った。
「好意で借りている隣の空間を使えなくなる可能性が大、ということです」
「……あ」
あたしは思わず声を上げた。
この部屋は東校舎の端、学生会室。
中学時代――っつっても、時間としては半年くらい――教室以外の居場所があったあたしは高校でもそういう場所が欲しくて、探した。
部活を立ち上げれば、部室が貰えるみたいなんだけど…その部室を貰うためには最低五人か六人のメンバーが必要で、あたしは「どーにかならないか」と、春那ちゃん経由で学生会長である冬哉さんに相談をした。
眞清曰く『自己中極まりない』相談をしたんだけど、好意で学生会室の半分…資料置き場の空間を使っていい、とこの五月くらいから使わせてもらっていた。
「気付くの遅いですね」
眞清の切り返しに思わず「ケンカ売ってんのか」と唸るが、眞清はいつものように「まさか」と笑顔を浮かべるだけ。
…いつも笑っている印象の眞清。幼馴染みで、中学三年の時に再会した。
眞清は常に敬語で、なんとなく笑みを浮かべていて…それは、お父さんの影響らしい。と、前に聞いた。若作りのお父さんに似てて「年の離れた兄弟?」とか思う。近頃また…更に似てきたような気がするな。
「そっかー…冬哉さん達、いなくなっちゃうのか」
「いなくなるって…ビミョーだな、その言い方」
学生会室にいたもう一人…涼さんと同じく、副会長の野里さんが笑う。
そういえば「隣の空間使えば?」って提案してくれたのは野里さんだったな。確か。
「まぁ」と冬哉さんが口を開く。
少し気が弱そうに見える、あたしよりキモチ背の低い冬哉さんは続けた。
「次の奴らにしっかり言っておいてもいいけど」
「………」
ナ、ナニを…?
冬哉さんの背後にナニか黒いオーラが見える気がするのは気のせいだろうか…?
こーゆートコロが、冬哉さんを見かけで判断しちゃいけない部分だ。絶対ウラのナニか握ってるって…とか、思ってしまう。
「そういえば」と野里さんが口を開いた。冬哉さんのややブラック化に慣れているのか、別段動じる様子はない。
「結局、今年の会長の立候補は一人だったか?」
「…今更ね」
野里さんの問いかけに涼さんは淡々と応じた。なんとなく涼さんは野里さんに目に見えてキビしい。…気がする。
冬哉さんは野里さんの問いかけに「だね」と頷いて見せた。涼さんの肩を「まぁまぁ」と軽く叩いて。
「まぁ…三年の今の時期まで雑用やらされるって分かってたら立候補者も少ないってものだろうけど」
話を聞いて、頭の中で繰り返して…あたしは思わず問いかけた。
「…え、立候補者が一人って…クラスから一人ずつ、とかじゃないんだ…?」
「ん? …あぁ、大森さん一年だもんね。よく知らないか」
「…一応説明会はあったけどね」
クールな涼さんのツッコミに思わず「う゛」と声を上げてしまう。
…一応クラスの代表、代議員を務めているあたし(と、眞清)。
代議員会の中でそれらしい話題でも出てたんだろうか…?
再び涼さんに「まぁまぁ」と冬哉さんは声をかけて、説明をしてくれた。
「学生会長と副会長は一応立候補制で、やりたいヤツがやるカンジなんだよね」
「…立候補者が一人じゃあ、選挙の意味ないんじゃ…」
「それを言ったらオシマイだけど」
そう言いながら冬哉さんが苦笑を見せる。
「けど、たまにはヤル気のある人が何人かいる年があるんだよ。確か…俺の前と、前の前は二、三人とか立候補者がいたんじゃなかったかな?」
「へぇ…」
ちなみに冬哉さんは? と聞いてみた。
「いなかったよ。楽々だったね」
冬哉さんは「涼と亮太は何人か他の立候補者がいたけど」と続けて、笑う。
「顔の広さと人徳の勝利だね。差が出たよ、他の候補者と」
あたしはまた「へぇ…」と声を上げてしまった。
「…冬哉の場合は事前準備がキッチリしてたからだと思うがな…」
ポソリとした野里さんの呟きに冬哉さんは「そうかな?」と瞬く。
「だろうよ」と笑う野里さんの様子を見ながら…やっぱり冬哉さんは奥深そう人だな、と思った。
「選挙か…」
帰りの電車の中でも思いだして、思わず呟く。
「…? 克己、立候補でもするんですか?」
「は?」
眞清の言葉が想定外で、思わず妙な声が出た。
日の入りが早いこの頃、部活動で少し遅くなる春那ちゃんを待っていた冬哉さん達と一緒にいたら五時を回った。辺りは結構暗い。一時期はまだまだ明るかったけど…。
まぁ、何気に十二月だもんな。しばらくすれば冬休みだ。
「なんでそういう話になる?」
「随分、選挙を気にしているようなので」
眞清の言葉に「あぁ…」と頷きながらも、「違う」と否定する。
「選挙…ってか、冬哉さん達が会長じゃなくなるんだなー、ってさ」
「――受験生にこの時期まで任期があるのがどうかと僕は思うんですが」
「それもそうか…」
学生会室で勉強してるのも見たし、ちょくちょく塾だか補習だから、って帰るのを見た。
「受験かー…高校に入る以上に大変かなー…」
「それは身に着いてるかいないかの差でしょう」
おそらくちゃんと『身に着いてる』ほうの眞清は平然と言う。あたしはなんとなく眞清の腹に裏拳をかました。
「…なんですか、克己」
腹を押さえて言った眞清に「なんとなく」とそのまま応じる。
「『なんとなく』でいきなり殴らないでください」
「ちゃんと加減はしただろ?」
「本気でやられたらいくらなんでも…」と、そこまで言って眞清はあたしの肩を叩いた。
「空きましたよ」
眞清が示した先は、さっきまでイヤホンをした女の子が立っていた。今の駅で降りたのか、いなくなっている。
「…あぁ」
眞清に促されるままあたしはその空いた場所に立って、背中を壁に預けた。
背中を晒すのが苦手なあたし。
…眞清はそんなあたしの背中になると言ってくれて…それが、今年の春休み。
もう少しすれば、その春休みから一年経つ。
親の仕事の関係でアメリカにいて…アメリカから日本に戻ってきたのが、去年の夏。
眞清を引っ張り回して若干キレられたのが、確か冬。
(今頃…いや、もうちょい後だったか、確か)
記憶違いでなければ、冬休みに入る直前だった気がした。
それにしたってそろそろ――その時から一年経つか、と思った。
なんとなく、眞清を眺める。
やや茶色っぽい黒髪は、染めていてこの色なのだと知っている。
実際にはもっと色素は薄くて…陽に透ければ琥珀色みたいなキレイな色だと知っている。
本に視線を落としていた眞清が「何か?」と視線をこっちに向けた。
「ん?」
「…今、見てませんでしたか?」
(あれ、気付かれるほどガン見してたか)
そう思いつつ「髪の色戻さないのかなーって」と言って…そういえば日本に戻ってきてから眞清の本当の髪の色は見てない気がするな、とも思った。コッチに来た去年の夏からずっと…眞清の髪は茶色っぽい黒だ。
面倒事を避けるために、中学に入学する頃から髪を染めるようになった、とは聞いたけど。
「…染めるのが面倒なのは確かなんですが…」
言って、眞清は一つ息を吐き出した。次の停車駅は最寄り駅だとアナウンスが伝える。
「学校で目立つ方が面倒そうなので」
眞清の答えに「ふぅん」と呟いた。眞清の髪、キレイな色してるのにな。
「それが眞清の色なのに」
ちょっと眞清の髪を引っ張った。眞清が瞬いて、あたしを見る。
…眞清の目、よく見ると明るいってか色素が薄いな。今頃気付いた。
真っ直ぐに見て、見つめ返される。眞清の髪から手を外すと、電車がブレーキをかけて停車するところだった。
※ ※ ※
選挙は…それぞれの立候補者演説会の後、行われる。
っつっても、聞いていた通り会長の立候補者は一人だった。
副会長立候補者は全部で六人いて、二人を選ぶ。
(誰にしようかなーっと)
知ってる人だったらその人に一票…とか思うが、見知った顔は壇上にいない。
立候補者演説会が終わると体育館から教室に移動して、教室で記入する。
紙には副会長候補六人の名前が並んでいて、名前の上の欄に丸をする形式だ。
選挙委員会が集めて、ひとまず選挙は終わりだ。今日開票して、明日には結果が分かるらしい。
選挙委員の明子ちゃんに投票用紙を預けて、あたしは伸びをした。
今日はこれでもう帰れる。
「誰に入れた?」
「ん?」
前からの声に顔を上げた。…更科だ。
「そーゆーのって言っていいのか?」
「いいんじゃねぇの? だってもう、変えようも変わりようもないし」
それもそうか、とあたしは「両端の二人」と答える。
「アバウトな覚え方だな。名前じゃないのか」
「ぶっちゃければ、そう」
更科は「うーわー」と言いながら、笑った。
バスケ部で、黒髪は短くてストレート。
「そういう更科は?」と聞き返すと「梶原先輩と麻生先輩」とキッチリ名前が返ってくる。
「…ちゃんと演説会聞いてたのか」
いや、あたしも一応聞いてはいたんだが。…名前を覚えるほど身を入れて聞いてなかったから、驚いてそう言うと更科は「いんや」と首を横に振る。
「バスケ部の先輩と、同中の先輩の名前」
「…知ってる名前書いたってことか…?」
「まぁな」と頷く更科は、適当に名前を書いた――正確には丸をした――あたしよりはマシなんだろうか…。それともあまり大差ないだろうか。
「ってか、単なる偶然だろうけど梶原先輩と麻生先輩、両端なんだよ。ある意味同じ人選んだってことだな」
そう言いながら更科はなんとなくニコニコしている。
「あぁ、そうなんだ」と、あたしは偶然に驚いた。
「? 楽しそうだな」
ニコニコっぷりに思わずそう言ってしまうと、更科は少しだけ声を潜めて、言った。
「偶然でも、同じの選んで嬉しい」
「………」
言葉に、更科を見返す。何度か瞬いて――笑ってしまった。苦笑いっぽい、っていう自覚がある。
「なんだそれ」
切り返しに「『わかんねぇ』とか言うなよ?」と、更に低く言われて、瞬いた。
――更科は前に、あたしに『好きだ』と言った。
あたしは別に、更科以外にそーゆー対象で『好き』なヤツがいるわけではない。
ただ、今は応じることができなくて――更科に『ごめん』と言った。そんなあたしに…『好きでいる』と『好きでいることはやめない』と。更科は、そう言った。
「『わかんねぇ』とか言うなよ」とか言われると…返答に困る。続けるべき言葉に、迷う。