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<ドッペルゲンガー>−ⅰ

「真斗昨日、湯川行った?」
 休み明けの月曜日。
 友達…幸平の顔を見た途端の突然の言葉に僕は答える。
「おはよう」
「おはよ…って答えじゃねぇしっ!!」
「行ってないけど…」
 湯川というのは、僕の住む藤城町から大体一時間くらいでいける湯川市のこと。
「それが、どうかした?」
 僕は時計を見た。もうそろそろチャイムが鳴る。
 今日は一時間目から社会だ。
 …月曜日の一時間目から社会っていうのはどうかと思う。
 僕が好きじゃないから、かもしれないけど。
 なんとなく、気分が暗くなる。
「昨日湯川のリオスに行ったんだけどさ」
 総合スーパー大きな店の名前に頷きながら、続きを待った。――と、チャイムが鳴る。
「真斗みたいなヤツ見かけたから、真斗だったのかなって」
 それだけ、と言うと幸平はバタバタと席に戻った。
 僕のクラスの代々木先生は時間にうるさい。
「起立!!」
 チャイムが鳴り終わるのと同じくらいに、代々木先生は大きな声で言った。
「おはようございます」
 今日の当番の幸平が言う。
「おはようございます」
 それに続けて、クラスのみんなが挨拶した。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「ドッペルゲンガーって知ってるか?」
 給食の時間は机の向きを変えて、前後の席を横に、隣の席を前にくっつけて食べる。
「どっぺるげんがー?」
 席をくっつけると隣になる…授業中は前の席の…大桃が言った。
 僕が首を傾げると「見ると死んじゃうってヤツ?」と、斜め前の関戸さんが言う。
「……げ」
 思わず声をもらすと関戸さんが笑った。
「もう一人の自分、ってヤツでしょ?」
「乃村の話聞いてさ。乃村の見たヤツ、小月のドッペルゲンガーなんじゃないかって」
 乃村というのは、幸平のこと。
「うわ、僕死んじゃう?」
 言いながら僕はパンをかじる。
 今日はキャロットコッペパンとかいうパンだ。
 パンにオレンジ色のカケラが散らばっている。
「…乃村くんはドコで見たとか言ってたっけ?」
「ん? 確か湯川のリオスで見た、とか言ってたよ」
 僕の前…授業中は隣…の米倉さんがメガネをかけなおしてから言った。
「リオスじゃないけど…あたしも小月くんに似た人見たよ」
「へ?」
 僕は瞬きを繰り返す。
「いつ?」
 わくわく、という感じで関戸さんが米倉さんを見た。
 ――他人事だから楽しんでるな…。まぁ、いいけど。
「ちょっと前。…先月だったかな?」
 少し考えながら米倉さんが言う。
「車で買い物行って…信号待ちしてた人がいてね」
「その人が、僕に似てた?」
 パンをのみこんでから僕が訊ねると米倉さんは頷いた。「確か湯川だったような気がした」と付け加えて。
「案外、幸平が見た人と同じ人だったりして」
「何? ドッペルゲンガー説なし?」
「いや、僕を死なせようとしないでくれる?」
 僕が笑いながら言うと「でもさ」と大桃が言う。
「見てみたくない? …死にたくはないけどさ」
「あー、それは確かに」
「自分にそっくりな他人?」
「世界には似た人が3人だか5人いるって聞いたことない?」と米倉さんが言って「あるかも」と関戸さんが頷いた。
「じゃあ、僕のそっくりさんが湯川にいるかもしれないんだね」
 言いながら、僕は牛乳を飲んだ。
 僕はいつも最後に牛乳を飲む。
「小月、今度湯川に行ってみれば?」
「あはは。用事があったらね」
 ごちそうさま、と手を合わせた。
 今日の給食はとくに嫌いなものがなくてよかった。
 食器を片付けて席に戻ると、話題が変わっていた。
 僕も加わる。
 昨日やっていた、テレビの話だった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 土曜日になった。
「真斗、買い物行くけど一緒に行く?」
 昼ご飯が食べ終わって部屋で漫画を読んでいると母さんが言った。
「どこ行くの?」
 今日は誰とも遊ぶ約束をしてなくて、暇だった。
「んー、湯川のリオス辺りかしら」
「…湯川の、リオス?」
 僕は思わず繰り返す。
「うん。お休みだから、ちょっと遠出しようと思って」
 お父さんもいるしね、と母さんは頷く。

 幸平の言葉と…月曜日の、給食の時間を思い出す。
(早速用事?)

「どうする?」
 母さんの問いかけに「行く」と答えた。
「じゃあ、行くなら行きましょう」
 僕は椅子にかけてある上着を着た。
 ドア越しに、父さんを呼ぶ母さんの声が聞こえる。

 玄関で靴を履いている母さんに「おばあちゃんは?」と訊いた。
「あ、いいって」
「ふーん」
 僕は玄関に背を向ける。
「何? やっぱり行かない?」
「行くよ」
 僕は「トイレ」とつけたして、玄関がガラガラと閉まる音を聞く。
 トイレには行かないで、居間に行った。
 おばあちゃんは居間で新聞を読んでいる。
「おばあちゃんは買い物行かないの?」
「とくに欲しいものもないし…腰が痛くてねぇ」
 おばあちゃんが言いながら、腰をトントンとたたく。
 父さんはいない。もう、車に乗ってるのかも。
「おばあちゃん」
 僕は、おばあちゃんの耳元でコッソリ言った。
「僕の兄さんって、湯川にいるの?」

『真斗にはお兄さんがいるんだよ…』

 …ソレを聞いたのは、大分前の話。
 内緒で、秘密の話。
 ――おばあちゃんが教えてくれた。
 おばあちゃんは小さい目を丸くした。
 誰もいないのに、辺りを見回す。
「…そうなのかい?」
 おばあちゃんも小さい声で言った。
「あ、知らないの?」
「ドコに住んでいるかはねぇ…」
 知らないんだよ、と。おばあちゃんが小さく続ける。
「そっか…」
 僕は言いながら、立ち上がる。
 僕が「じゃ、行ってくるね」と言っておばあちゃんは「いってらっしゃい」と言った。
 全然、秘密の話なんかしてなかったみたいに。

 世界には3人…5人?…似た人がいるらしい。
 僕は、その中の1人を知っている。

 会ったことはない、僕の兄さん。

 多分…きっと。
 似ていると思う。

 
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