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<兄さん>−ⅱ

 突然の痛み。
 目眩。
 そして…ブラックアウト。

 その日生まれて初めて、『失神』というものを体験した。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「――…?」
 自分が今、どこにいるのかわからなかった。
 ぼんやりと天井を見つめる。視線を天井から横へと移した。
 まだ、自分がどこにいるかわからない。
「…あ、ぁ…」
 声を出してみた。妙に掠れている。
 それで、今更思い出す。
(――僕…倒れたんだっけ?)
 初めての経験だ。
「真斗?」
 呼ばれて、初めて人がいたことに気付く。
「…母さん」
 それから、先生。
 ほっと息を吐き出したのが聞こえた。
「いきなり倒れたから、驚いたよ」
 しかも起きないし、と先生が言った。
 学校の、保健室にいた。
 ぼんやりと窓の外を見てみれば、暗い。
 野球部の掛け声が聞こえるし…放課後みたいだ。
 先生と母さんが何か、話をしている。
 目を閉じて、僕はぎゅっと自分を抱きしめた。

 いまだ続く、クセ。

 僕は、中学2年になっていた。
 ――12月。
 一時期に比べて、随分と日が短くなる。

 ――アレ以来、僕は、僕の片割れを見ていない。
 会っていない。…見ることもない。

「真斗、帰るわよ」
「あ…うん」
 呼びかけに答えて、僕は起き上がった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ――3月。
 今日、終業式があった。明日から春休みだ。

 初めて『失神』した、その後。
 年が明けても、僕は貧血っぽくて。
 まだ片手で足りるけど…何回か倒れた。
 だから先週、病院に行って色々と検査をしてもらった。
 結果待ちの状態で、僕はどうして貧血なのかを知らない。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 喉が渇いた。
「……」
 僕は布団から起き上がる。
 ふと、時計をのぞいてみた。――12時半。
 こんな時間に目が覚めるなんてすごく珍しい。

 僕の家は平屋だ。
 2階というものに、憧れないこともない。
 …と、それはともかく…。
 冷蔵庫に、確かペットボトルのお茶が入っていたはず。
 そんなことを思いながら僕は部屋の戸を開けた。
(アレ?)
 暗いと思っていた廊下には電気が点いていて明るかったことが少し予想外だった。
 誰か起きているのかな?
 こんな時間まで起きてるんだ。
 ニ、三歩進んだときにガタン、と音がした。
 僕が原因じゃない音にびっくりする。
 半分寝惚けていた頭が、その音でしゃっきりした。

「     !!」
「――――っ」

 誰か…話をしてるみたいだ。
(父さんと…母さん? かな?)
 おばあちゃんの寝てる部屋を通り過ぎて、明かりのついている居間に向かう。
『真斗』という言葉に、僕は思わず戸に伸ばした手を止めた。
 僕のことを話しているのかな?
 するつもりがなくても、聞き耳をたてるような状態になってしてしまう。
「どうしてなの…?」
 戸の向こうから、そんな声が聞こえた。
 …母さんの。
(――泣いてる…?)
「何も、していないじゃない…私達も、あの子も…」
「恵美子…」
 母さんが泣いているのと、自分が盗み聞きをしているような気がしてしまうせいか、僕は動けない。
「あなた…ねぇ、あなた…どうして?」
 喉が渇いているのに。
 とても、渇いているのに。

「どうして真斗が癌にならなきゃならないの?」

 ――動けない。

(……え…)
『誰』が、
『何』だって?

 足元から、背筋が。――全身が。
 すぅっと冷たくなった気がした。
 動けなくなってしまった僕の耳に、言葉は続いて聞こえる。

「たった半年なんて…っ」

 母さんは、全てを言っていたわけではなかった。
 だけど。
 ――なのに。
 言葉を一人で組み合わせてしまう。

真斗自分
『癌』
『たった半年』
 ――僕、の…時間……
 あと、半年――……?
(…僕の…)
 ――イノチ ガ…
「――――――ッ」
 震えた。
 足が。…体中が。
 足の力が抜けて、座り込んでしまいそうになる。

 喉の渇きを忘れた。
 僕はどうにか座り込むのを耐えて…部屋へ戻る。
 そして布団へ倒れこんだ。
(――夢だ…)
 そう思うのに。
 …なのに…まだ、震えは止まらない。

 僕は僕を抱きしめた。

 生きている。
 生きている。
 生きている。
 僕は、生きている。
(僕、は…)
 繰り返し、言い聞かせる。

『死』なんて、そんなもの考えたことなんかなかった。

 こわい。
 どうしようもなく。
 …こわい。
 ――『生きてる』のは、当たり前なのに…。
 当たり前、じゃなかったのかな…。

 癌?
 …たった半年…?

(――コワイ…)
 僕は、自分を抱きしめる腕の力を緩めることができなかった。
 触れ合ったところが少しずつ熱を帯びていく。
(ニイサン…)
 僕の双子の兄。
 …僕の…片割れ。

 会いたいと思った。
 見るだけじゃなくて…会いたいと思った。
 目を見て、話して。――叶うのなら、触れたい。

 …会いたいと思った。
 君に。
 ――あの日以来、見ていない君に。

 なぜか突然、そう思った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 病院にいこう、と母さんと…父さんが言った。
 僕は夜中の話を忘れたフリをして「休み早々にソレはないんじゃない?」と、笑った。
 ――ちゃんと笑えていたか、不安は残るけど。

「入院?」
 ぼんやりとそう、聞き返した。
 病院から帰ってきて、僕と母さんと父さんは居間にいる。
 おばあちゃんは趣味の大正琴教室か何かでいない。
 上着を脱ぎながら母さんは僕の聞き返した言葉に「ええ…」と頷いた。
「僕、そんなに悪い病気なの?」
 軽く言いながら、どこか重く感じた。
『癌』
『半年』
 ――それを思い出して。
「まさか」
 母さんが明るく言う。…そう、見せようとしているように見える。
「今すぐ、ってわけじゃないんだよね…?」
「そうね、でも…なるべく、早く」

 僕は瞳を閉じた。
 ――君を、思う。

「…お願いがあるんです」

 
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