またね、と別れてもうどのくらい経つだろうか。
(…ひと月は経つか?)
ベッドに座りながら、ファズは瞳を閉じる。
あれから――自分が怪我をして、入院して…退院して一ヶ月。
入院していたのは大体一週間。
…本来ならもっと入院して安静するべき、と言われたのだが。
じっとしていられない性分のファズは、毎日通院すること条件に退院させてもらったのだった。主治医がデリーだったからできた技である。
ファズが入院していた一週間、リコは毎日顔を出してくれた。
学校帰りに寄ってくれたようだ。
見舞いとは言っても他愛ない話をするくらいだったのだが、ただ横になって、雑誌に目を通すくらいしかできない自分にとっては楽しみな時間で。
…何よりも、楽しみな時間になっていて。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「退院おめでとう、ファズさん!」
「おう」
毎日見舞いにきてくれたリコに退院することを告げると、手を叩いて祝ってくれた。
ありがとう、と礼を言う。
「明日もちゃんと来るんですよ」
「…おう」
そんなファズとリコの会話を聞かれ――偶然回診に来ていたデリーに釘をさされた。
思わず小さくなって頷いていると、リコにクスクス笑われた。
「今退院するの?」
「ああ」
昨日、リコが帰った後にデリーが回診に来て、その時に願い出た。
『そろそろ退院してはダメか』と。
説得して…半ば頼み込んで、毎日の通院を条件に退院できることになったのだ。
「だから、送るよ」
「…え?」
ファズの言葉にリコが目を丸くする。
もともと大きな目が、更に大きくなった。
「送る。毎日来てくれたお礼に」
ファズがそう言うと、リコは口をパクパクさせる。何か言おうとして、自分の手で口を塞いだ。
「――今、退院したばっかりだよね?」
リコが口を開いてこぼれたのは問いかけ。
「ああ」と、ファズは頷く。
「…大丈夫?」
「大丈夫だって。だから退院したんだし」
リコの問いにファズは両手をグパグパと開閉する。
リコはなぜか笑った。
「…明日も来なくちゃいけないけど?」
「あ、それは言っちゃいけねぇ」
ファズの答えにリコは僅かに声にして笑う。
並んで歩く。
日が暮れるのは早く、見舞いに来てくれていたリコが帰る時間の暗さにファズは空を見上げ、ひとつ息を吐き出した。
こんなに暗い中、毎日帰らせていたのか、と。
大抵誰かが見舞いに来ていて、その『誰か』が送っているようだったが。
(悪いことをしちまったなぁ…)
そんなことを思い、リコを見つめると「何?」と首を傾げられた。
「なんでもない」と言って一度目を閉じる。
(でも…)
嬉しかった。毎日見舞いに来てくれて。
――毎日、会いに来てくれて。
リコの家まで着くと、ファズは「毎日来てくれてありがとな」と礼を言った。
礼を言われるようなことじゃない、とリコは首を横に振る。
なんとなく名残惜しくて…でも、このままでいるわけにもいかなくて。
ファズはふ、と一呼吸置く。
「……またな」
ようやく、それだけを言った。
大きな朱色の瞳が、何度か瞬きを繰り返す。
「――うん」
互いに見詰め合う。風が吹いて、髪が揺れた。
「またね」
少しの間の後、リコが言った。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
通院の成果か、今は腹部の傷も大分よくなった。
残るのは痕と、力を入れたときの僅かな痛みくらいだ。
「……」
ファズはベッドに寝転んだ。しばらく天上を見上げ、瞳を閉じる。
リコを思った。
溜まった仕事の処理もあり忙しかったことは確かだが、このひと月、巡回時にもクラブでも会うこともなかった。
――毎日会っていた一週間がウソのように、リコに会ってない。
ぽっかりと穴が空いたような感覚。
(――寂しいのか、オレは)
彼女に会えなくて。
そう考えて「そうだな」と自身で認める。
素直な表情。
明るくて、真っ直ぐな瞳。
『ファズさん』と自分を呼ぶ、声。
会いたい。話したい。
――リコに、会いたい。
「…あ〜、ウダウダ考えててもしょうがねぇ!」
ファズは勢いをつけてガバリと起き上がる。
今日は、休みだ。
少し前――自分が怪我をした頃にできたショップがある。
行ってみよう、と思いながら結局一度も行ったことがない。
「出掛けっか」
ファズは独り言を漏らし、一度背伸びをした。
支度をすると自室を後にした。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
ショップは開店して一ヶ月近く経ったにも係わらず、中々混んでいた。
主に服、アクセサリーの置いてある店内には男女関係なく使えそうなものが多数置いてある。
(へぇ…)
そろそろ涼しくなってきたことだし、長袖Tシャツでも、と思い木製の棚に丁寧に畳まれているシャツを覗き込んだ。
シンプルな黒。
個性的なプリントがしてある白地に赤いシャツ。
(あ、あれ…)
視界の隅に映った渋い山葵色のシャツに手を伸ばした。
その時、軽く手がぶつかった。
軟らかいもの。
…人の手だ。
相手がビクッと反応し、ファズはぶつかった左手を慌てて引っ込める。
「…あ…っ」
悪い、と謝ろうとしたファズの耳にそんな声が聞こえた。
「ほぇ?!」
思わず妙な声をあげてしまうファズ。
そして、ドキリとする。
――声を上げた、相手の顔に。
互いに、瞬きを繰り返す。
「…ファズさん!!」
声に一瞬『夢か』と思った。
いつもはポニーテールにしている赤茶色の長い髪。…今日は下ろしている。
パッチリした朱色の瞳。驚いているのか、さらに大きな瞳になっていた。
ファズは、瞬きを繰り返す。
「――リコ?!」
相手の名を半ば叫んでいた。
会いたいと思っていた少女が、そこにいた。