「よ、リコ!」
かけられた声――自分を呼ぶ声に、振り返る。
「…ファズさん?!」
目に映ったのは、オレンジ色の髪と、赤茶の瞳。――女の子と見紛う顔立ちの男の人の名を呼んだ。
●○● ●○● ●○●
「……」
リコはぼんやりと空を見上げていた。
「…にやけちゃって、どうしたの?」
声にはっとする。
ついでにその内容に、ぎょっともする。
振り返れば、友人のアヴィアがそこにいた。
「――にやけてた?」
思わず口元をおさえつつリコが問いかければアヴィアがこっくりと微かに…でも確かに頷く。
「何があったの?」と、言葉ではなく視線で問うようなアヴィア。
「……あのね」
リコは口を開く。
自分だけの秘密にしたくて――でも、誰かに話したかったことを告げた。
「ファズさんに会ったの」
「…へぇ?」
冷めた口調だが、アヴィアは元々クールで、こういう喋り方をする。
アヴィアが『そういう子』ということを分かっているリコは、淡々としたアヴィアの口調を別段気にすることなく続けた。
「それだけ、なんだけどね」
なんでか嬉しいんだ、と続けたリコにアヴィアはほんの少しだけ笑う。
「そっか」
「うん」
友人の嬉しそうな笑顔に、アヴィアも嬉しい気持ちが移ったようだ。
「ナニナニ? 二人だけでナイショ話?」
のしっとリコに覆いかぶさりながら、リコのもう一人の友人…レイミが声をかけてくる。
「リコのにやけてる理由を聞いただけよ」
レイミの問いかけにあっさり答えたのはリコではなくアヴィアだ。
「あ、それならアタシも知りたい」
アヴィアの返答にレイミは目を輝かせた。
「朝からずっとにやけてたわよね」と続けられた言葉にリコは一瞬固まる。
「……あたし、そんなににやけてた?」
アヴィアばかりでなく、レイミにも分かるほどに?
「うん、バッチリ」
やや衝撃を受けているリコに対しレイミが指先で「マル」を作りつつも頷いた。そんなレイミの反応にリコは再び固まる。
「で、ナニかいいことでもあったの?」
固まったリコに笑いながらも、レイミは気にせずに続けた。
リコはひとつ息を吐き出し、答える。
「ファズさんに会えたの」と。
●○● ●○● ●○●
「よ、リコ!」
学校に向かう途中、そう呼びかけられた。
「…ファズさん?!」
オレンジ色の髪と、赤茶の瞳。――女の子と見紛う顔立ちの男の人の名を呼んだ。
驚いた。
「久しぶり…ってほど久しぶりでもないか」
言いながら笑ったファズにリコは見とれ…それから。
(そ…そういえば…)
一昨日…腰を抜かしてしまったリコを軽々と抱き上げ、ついでに(その状態のまま)家まで送ってもらったことを思い出し…。
「…――」
顔を赤くした。
「で、訊きたいことがあるんだけど…って、リコ?」
「ヘ?!」
半分ファズの話を聞いていなくてリコは顔をあげる。
そこにはリコをじっと見つめるファズの顔があって…真っ直ぐな瞳がリコを映していた。
「な、ななななんでしょウ?!」
どもりまくりつつリコは答える。ついでに声がひっくり返っていた。
「――くっ」
そんなリコの様子にファズはふきだした。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」と続けつつ。
しばらく笑っていたファズだったが「あー、笑った」と一息を吐き、『訊きたいこと』の本題に入ろうとした。
「この間…一昨日のことなんだけど」
そこまで言って、口元を手のひらで覆う。
「――時間、大丈夫か?」
今日って平日だったよな? と首を傾げつつ、ファズ。「そんなに手間をとらせるつもりもないけど」とも続けた。
「あ、はい」
ファズの問いかけにリコは頷く。
今日はいつもより早くに目が覚めた。家にいてもしょうがない、ということでいつもより早めに学校に向かっているところで、時間にはいつもより余裕がある。
…早起きは三文の徳、とかいうが。
ファズと朝から会えたのもソレだったのだろうか。
「そっか。…でさ、一昨日なんだけど…」
ファズは少し考えるような表情をした。
なんと言えばいいか、悩んでいるような。
「――オレっちと会った頃、なんか変な人とか見た?」
「…変な人?」
ファズの言葉を繰り返すリコ。
ファズは頷き、それから頭を掻く。
「…ちょっと、裏道で事件があってさ。――リコ、なんか見てたりとかしないかなーって…」
リコはその言葉に「はぁ」とため息みたいな声をあげた。
首を傾げる。
(ファズさん…ナニやってる人なんだろう?)
今更ながら、そんなことを思った。
何か事件関連のことを聞いてくる…というか、これは『事件の捜査』とかになるんだろうか?
…『捜査』をするなんて…ファズは警察のヒトだったりするんだろうか。
「特に見てないならいいんだ。けど…」
リコの様子に困っていると判断したのか、ファズはそう呟く。
ファズが何をしているヒトなのか…とコッソリ考えてしまっていたリコははっとして、ファズに訊かれたことを考えた。
『一昨日、変な人を見たか?』
一昨日のことを考える。…思いだす。
(…あ…)
「変…というか…」
しばらく考えた後、リコはゆっくりと言葉にした。
●○● ●○● ●○●
一昨日。
自分の後をつけているような足音が聞こえて…ずっと聞こえていて。
怖くて走り出したら、足音も早まり。
――そして。
路地裏の角から男の人が現れた。
黒い翼の――血よりも深い紅い瞳の。
目が合うと、その人は笑った。――あえて言うなら、ニタリというような笑み。
背筋がぞっとした。
なぜか知らないが、リコは恐怖を覚えた。
――足の力が抜けてしまいそうなほどの、恐怖を。
…だが。
その人はふとリコから視線を外すと、そのまま飛び立った。
心臓がバクバクしていたが、どうにかリコは歩いた。
薄暗い裏道。ついでに一人だったから、さっさと抜け出さなくてはと思って。
…けれど。
『……っ』
足の力が、抜けた。リコはその場に座り込んでしまう。
その人がいなくなっても――まだ、恐怖が残っていた。
なぜかはわからない。
あの人がどうしてこんなにも恐いのか、わからない。
でも、恐怖が消えなかった。
言葉を交わしたわけではなく――ただ、その姿を見て、その目を見ただけ。
なのに――あの『存在』が怖かった。
●○● ●○● ●○●
「美人さんなら見たよ」
リコはワケのわからない恐怖のことはすっ飛ばし、外見のみを告げた。
「…美人?」
リコの答えは想定外だったらしい
ファズの表情からも口調からもそういう風に取れる。
「美人…かぁ…」
繰り返し呟いたファズにリコは頷く。
リコはそのヒトの特徴を口にした。
「紅い瞳と…あぁ、それから、黒い羽の」
「紅い目と――黒い、羽?」
ファズが繰り返すように言いながら、リコに聞き返す。そんなファズにリコは頷いた。
「うん」
「…それで、美人か」
ふ、とファズはひとつ息を吐き出した。
「…サンキュ、リコ。朝から悪かったな」
「あ…ううん」
首を横に振るリコに「時間は大丈夫か?」とファズは続けて問いかける。
彼はあまり時計をつけないタイプらしい。
リコはお気に入りである『むすっこあら』のぬいぐるみ型のカバンにつけてある、キーホルダーの時計を見た。
「あ、うん」
――いつもより早く目が覚めて、早く家を出たから、学校が始まるまでの時間にはまだ余裕があった。
リコの答えに「それならいいけど」とファズは微笑む。
…可愛らしい顔立ちがより引き立つ、可愛い笑顔。
「んじゃ、また遊ぼうな」
「――うん!」
軽く手を上げ、歩き出したファズの後姿をリコはしばらく見送っていた。