よろよろと走り去るリコの後姿をしばらく見つめ、ファズは倒れこんだ男に近づいた。
そして、観察する。
(…見たことない種族だな…)
今は閉じた紅い瞳。――閉じない、額の瞳。けれど、『見られている』という感じはしない。義眼にでもなるのだろうか。
そして何より…その、羽。
一対の翼ではなく、尾羽のように背中から生えている。
ファズは水晶のついたブレスレットを手に取り、一人の友人――そして同僚を思い浮かべた。
『…なんだ?』
――水晶が僅かに光を帯びて、声が響いた。
『あ、ラグ。今日の外回りって、ラグとオーギュだったよな』
『そうだけど。いきなり、どうした?』
ファズのブレスレットは水晶に込められた魔力で通信できる携帯水晶である。
近頃(特に若者の間で)広がりつつあるアイテムで、なかなか便利な代物だ。
『オレっち今、ルベルト通りの…あぁ、センディア食堂の向かい側の裏道にいるんだけど』
『センディア食堂…? ――ああ、アッコか。んで?』
『『黒い羽』と関係の深そうなヤツ、見つけた』
早速本題を言ったファズに対し、ラグからの反応にしばらくの間があった。
『…マジか?!』
携帯水晶越しでもラグの声は響いた。それだけ驚いたのだろう。
ファズも驚いて、思わず「おっと」と声を上げつつ、続ける。
『ああ。だからさ、悪いんだけどちょっと来てくんないか?』
『おう、行く行く』
ちょっと待ってろ、と言ってラグからの通信は切れた。
水晶も光らなくなる。
(さて…と…)
どうしたものか、とひとつ息を吐き出した。
(ひとまず逃げられないようにしないと…ロープあるか?)
黒い羽。
十中八九今までの事件の犯人は、こいつだろう。――仮に今までの事件と係わり合いがなかったとしても、今日リコを襲おうとしたことは間違いない。
そして、先程見つけた死体――あれも、きっとこの男が加害者。事情聴取が必要だ。
「!!」
ヒュ、と空気を裂く音がした。
「…やっぱりお前、使えるな」
化け物がニタリと笑う。
「……」
少し、気を抜きすぎた。
深くはないが、横腹に傷を負う。ファズはギュッとその部分を手のひらで押さえた。
「――キャアッ…」
「?!」
知っている声。
――しかも、悲鳴。あの声は…。
「…リコ?!」
嫌な予感がした。
ヒュ、と再び空気を裂く音。
…化け物の腕にある刃物がファズの首を狙う音だ。
「おいおい、余所見してんじゃねぇよ」
化け物の目が細められた。
「…お前を相手にしてる暇はねぇっ!」
ファズは言うと、短刀で肩を狙った。どこを狙っている、というように化け物はよける。
短刀に気をとらわれていた化け物に、ファズは回し蹴りをこめかみへかました。
コンクリート製の電柱を破壊するだけの威力がある回し蹴りをまともにくらった化け物は吹っ飛び、壁にぶち当たる。
口から血を流しガクリとうな垂れた。
「…ッ」
化け物に傷つけられた横腹の傷が僅かに広がる。ジリ、と痛みが広がった。
しかし、そんなことを気にしている暇はない。
ファズは走った。
リコが向かったほうへ。
――悲鳴の響いたほうへ。
(…リコ!)
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
角を曲がる。
ファズの視界に、一度見たような光景が映った。
刃物、黒い羽。
「…!」
狙われている少女。
「…どけっ!!」
「?!」
ファズはその後姿に飛び蹴りをくらわせた。
リコを狙っていた存在はファズに気付くのが遅れ、飛び蹴りをまともにくらう。
「ゴフゥッ!!」
吹っ飛び、壁に激突した。
ファズは深呼吸する。
横腹から血が流れているせいか、いつもより体が重い。
「――リコ!」
横腹を手で押さえ、少女の名を呼んだ。
恐怖に強張った表情。…視線が定まっていない。
「…リコ、――大丈夫か?!」
顔を覗きこんで続けた言葉にリコがぴくりと動いた。
「……」
「リコ?」
空を彷徨っていた視線がファズの目をとらえ、人形のように呆然とした表情がクシャと歪む。
唇が震えた。
大きな朱色の瞳からぼろぼろと涙が溢れ、流れだす。
「…ファズ…さん…」
言って、リコはよろめいた。歩こうとしてちゃんと力が入らなかったようだ。
ファズはそんなリコを支える。
「……ズさん…っ」
リコはしゃっくりがでてきてもファズの名を何度も繰り返した。
「――こ…こわかった…っ」
腕の中にすっぽりと収まってしまう華奢な肩。
ファズはそっと、抱きしめる。
胸が痛んだ。――胸が、温かくなった。
なんとも言い難いものがファズの中でめぐる。
「――恐い思いさせちまってごめんな!」
一瞬だけ抱きしめる腕の力を強めた。
それからファズはそっとリコを自分の背中側へと移動させる。
ゆっくりと起き上がる気配。
ファズは、睨みつける。
「…まさか、まだいるとはな…」
紅い瞳、黒い羽。
先程ファズが倒した――化け物によく似た…心持ち年嵩に見える、存在。
「き…貴様…」
口元の血をぬぐいながら身を起こす存在にファズは身構える。
「リコ、下がってな」
その言葉にリコは少し距離を置いた。ファズは一度、二度と呼吸を繰り返す。
「…ゼノアめ…っ」
苦々しい口調ぼやいた。
『ゼノア』とは、名前だろうか。――あの、化け物の。
「随分騒ぎを起こしてくれたな…。どんな理由があるか知らねぇが」
沢山の人が死んだ。
――幾人も、悲しんだ。嘆いた。
「…容赦しねぇっ!!」
「――!!」
ファズは言い放つと同時に化け物に近づいた。
急所に間髪入れず攻撃を繰り返す。
化け物は避けるものの、全てを避けきることは叶わず、幾筋も血を流した。
風はない。
けれどファズのその動きで髪がなびく。
ファズ自身が風のようだ。
仕掛けてくる攻撃をかわし、ファズは回し蹴りを仕掛ける。
化け物は紙一重でその回し蹴りをかわした。
互いが肩で息をしている。
それでも、有利なのはファズだった。
「…とっとと捕まりやがれっ!」
ファズの言葉に化け物はギリギリと歯軋りをした。
言葉なくファズを睨む紅い瞳に滲むのは焦燥だ。
間合いをとる。
「――簡単に捕まるわけにはいきませんね」
そして、化け物は飛んだ。
何を、とファズは思い次の瞬間化け物の狙いがわかる。
――狙いは、少女。
リコに凶刃がのびる。
「…させるか!!」
ファズはリコの前に立ち、短刀を構えた。
化け物はファズではなく、あくまでリコを狙う。
他者を庇いながらの戦闘は、どうしても動きが制限された。
(――くそっ)
呼吸があがっていると自分でわかった。
だからといってここで諦めたりはできなかった。
青龍騎団の一員として。――他者を守る自分として。
化け物からの攻撃がニ、三ファズに決まった。
腹部にくらった拳と刃物で焼けつくような痛みが脳天までとどく。
目の前が一瞬真っ白になった。
頭を振ってファズは相手を見据える。
奥歯を噛み締めた。
再びくる――その、瞬間。
短刀で攻撃を抑え、ファズは回し蹴りを化け物の首へ思いっきり捻りこんだ。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
周りの音が全くと言っていいほど、聞こえなかった。
ドクン、ドクンと脈拍がやけに大きく感じる。
「… ん…」
ファズの回し蹴りをくらってピクリとも動かなくなった化け物。
肩で息をしながら、見つめる。
(動かねぇ…か…?)
「… ズさん…」
腹部に激痛が走った。痛みのあまり目の前が真っ白になる。
額に妙な汗が浮かんでいるのがわかった。
「――ファズさん?!」
「…」
――自分を呼ぶ、声が聞こえた。
瞬きを繰り返し、それから頭を振る。
振り返るといくらか揺れる視界に、化け物とは違う…明るい、朱色の瞳が映った。
「ファズさん?!」
「――…リコ…」
そう呟くとほ、とリコは息を吐き出した。――心配をかけてしまったようだ。
「怪我はないか?」
ファズの問いかけにリコは首を縦に振る。
「とりあえず…表通りに出るか」
心配そうに顔を覗きこむリコに笑って、ファズは言った。そっと少女の腕をひく。
歩き出してもう一度、倒れこんだ化け物を見つめた。
――起き上がる気配はない。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「ファズ!」
「リコ!!」
騒ぎを聞きつけた野次馬か、やたらと人間が多い。
その中に見覚えのある顔――声が、あった。
「…ソリュート…」
「レイミ! アヴィア!」
リコが友人の姿を見つけたのか、歩み去る。その後姿を見てひとつ息を吐き出した。
きちんと歩けるその様子に、ひどく安堵した。どっと力が抜ける。
「お手柄だったね! ファズ」
犯人も捕らえることができたし、事件の真相もわかるだろう、と。
ソリュートとファルアのそれぞれの声が聞こえる。
「……あぁ…」
そうだな、と頷いた。…頷いたと、思った。
「――ファズ?!」
自分の名が――呼ばれる声が、遠くで聞こえた。