「ルベルト通りでまた事件があったって聞いて…」
レイミはそう言ってリコの手をとった。
「大丈夫? 怪我は?」
アヴィアはそう言いながらリコを見つめる。
ゼノアに振りかけられた血はもう乾ききっていた。
「あたしは大丈夫…ファズさんが助けてくれたから」
「ファズ? …あぁ、あの人」
レイミは面識のある女の子のような顔立ちの男を見て、「へぇ〜」と感嘆の声をあげた。
「やるじゃん、彼。人は見かけによらないものね」
「それって失礼じゃない?」とアヴィアは冷静につっこむ。
「そう?」とレイミが首を傾げ…。
「――ファズ?!」
叫びに似た声が聞こえた。
――そして、ざわめきが広がる。
「ファズ?! おい、ファズ?!」
繰り返される名前にリコは「え」と思った。
思わず声のあがったほうに走る。
ぽっかりとした空間――その中心に、三人がいた。
二人が取り囲み、一人の人が倒れていた。
――その、倒れた人は…。
「…ファズさん?!」
鮮やかなオレンジ色の髪。…今は閉じられた、瞳。
女の子のような顔立ちには、苦痛が見て取れる。
「ファズさん! …しっかりして! ファズさ…」
言いながらファズの体に触れたリコの手に何かがついて、声が途切れた。
(何…これ…)
赤いもの。
あの男の人の目のような…化け物になった男の人の目のような。
赤い、液体。べったりと手につく。
鉄のさびたようなニオイ…。
コレ、は――
「ぃ…や…いや…ぁ…」
リコのノドから意識しないまま掠れたような声が漏れた。
彼の腹部から、『ソレ』が流れ出ている。
『ソレ』は…血だ。
――彼の、命だ。
「――いやあぁあああっ!!!」
リコは叫んだ。
●○● ●○● ●○●
「………」
病院独特のニオイ。
リコはポツンと、明るいとは言い難い廊下のソファに腰を下ろしていた。
「……っ」
涙が勝手に出てくる。
溢れる涙を拭うハンカチはすでにその役割を果たしていなかった。
『リコ』
『また裏道で一人かよ』
『立てるか?』
『一緒に行けなくてゴメンな。でも…すぐに行くから』
『怪我はないか?』
『――リコ!』
思うだけで、また涙が出る。
(あたし…が…)
裏道に入らなかったら。
――ファズは幾度も『一人で路地裏を通るのはやめろ』と言ってくれたというのに。
(どうしよう…どうしよう、どうしよう…っ)
リコは自分で自分を抱きしめた。
少し動くだけで涙が零れ落ちる。
「… …」
声にしないで、唇だけがかたどった。
ファズさん、と。
「いよぉ!」
静かな病院の廊下に、突如声が響いた。
リコは声にビクリと反応してしまう。顔をあげると、一人の男が立っていた。
赤みの強い髪、勝気な表情。
髪をまとめて上げている…髪型が、ファズに似ていると思った。
「……」
ニッと笑ったその人は、知らない人だ。
男はリコの隣にどっかりと腰を下ろし、壁に背を預けた。
誰だろう、という思いそのままに見つめるリコの視線に気付いたのか、男は「あぁ」と呟いてリコを指差す。
「お前、ファズの友達だよな?」
数度瞬きをして、かすかに頷くリコに男は続けた。
「オレはラグ。アイツと一緒で青龍騎団の一員だ」
「青龍…騎団?」
思わず聞き返したリコに男…ラグは「知らねぇか?」とリコを見つめた。リコは首を横に振る。
青龍騎団と言えば――国内の兵士の中から選ばれたエリートではないか。
ファズがそんなエリートだったとは…。
首を横に振ったリコにラグは「そうか」と呟き腕を組んだ。
「…えれぇことになっちまったな」
ラグの視線の先には、一つの手術室がある。リコもそれに倣い、見つめた。
まだ『手術中』の赤いランプが点灯している。
見つめているうちに、赤いランプが滲んだ。
…病室にいる人を思い、また涙が溢れた。
「あ…あたしが…あたしがいけないんです…」
声が震える。
「…あたしが…路地裏に入ってしまったから…」
リコは目元を覆った。
自分を守るために。――ファズは。
自分が路地裏に入ったから、あの人と会って。
ファズは…怪我をして。
あんなに沢山の血を、流して。
どうしよう。――どうしよう。
「あたし…どうしたら…」
あんなに泣いたのに、まだ溢れてくる。
――まだ、止まらない。
ラグはそんなリコを言葉なく眺めた。そしてリコから視線を外す。
沈黙が流れた。
――どこからかピ、ピ…と機械音が聞こえる。
「…大丈夫だよ」
ぼそりと、ラグはこぼした。静かな廊下に声が響く。
顔をあげたリコに、視線は未だ手術室へ向けたままラグは続けた。
「心配するこたねぇさ。ファズはこんな程度でくたばったりなんざしねぇよ。…それに」
ラグはひとつ息を吐き出した。
リコを見て、僅かに目を細める。
「――オレたちが信じなくてどうする」
「……」
真っ直ぐな瞳。リコは息を呑んだ。
髪を上げて似た髪型をしているから、だけではなく――似ている、と思った。
ファズに。
目を丸くしたリコに「アイツは大丈夫だよ」とラグは繰り返す。
「…だからそれ以上自分を責めるなよ? ほら、もう泣くのもよしな。そんな面、アイツに見せたら笑われっぞ!」
ファズは笑い上戸だからな、と続ける。
リコは少し赤くなりながら慌てて涙を拭った。
「…はい…」
頷いたリコに「よし」と応じてラグはニッと笑う。
リコも少しだけ、笑った。
――乱暴な口調。でも、優しい人なのだろうと思った。