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●○● Ⅷ ●○●

「ルベルト通りでまた事件があったって聞いて…」
 レイミはそう言ってリコの手をとった。
「大丈夫? 怪我は?」
 アヴィアはそう言いながらリコを見つめる。
 ゼノアに振りかけられた血はもう乾ききっていた。
「あたしは大丈夫…ファズさんが助けてくれたから」
「ファズ? …あぁ、あの人」
 レイミは面識のある女の子のような顔立ちの男を見て、「へぇ〜」と感嘆の声をあげた。
「やるじゃん、彼。人は見かけによらないものね」
「それって失礼じゃない?」とアヴィアは冷静につっこむ。
「そう?」とレイミが首を傾げ…。

「――ファズ?!」

 叫びに似た声が聞こえた。
 ――そして、ざわめきが広がる。

「ファズ?! おい、ファズ?!」

 繰り返される名前にリコは「え」と思った。
 思わず声のあがったほうに走る。
 ぽっかりとした空間――その中心に、三人がいた。
 二人が取り囲み、一人の人が倒れていた。
 ――その、倒れた人は…。

「…ファズさん?!」

 鮮やかなオレンジ色の髪。…今は閉じられた、瞳。
 女の子のような顔立ちには、苦痛が見て取れる。
「ファズさん! …しっかりして! ファズさ…」
 言いながらファズの体に触れたリコの手に何かがついて、声が途切れた。
(何…これ…)
 赤いもの。
 あの男の人の目のような…化け物になった男の人の目のような。
 赤い、液体。べったりと手につく。
 鉄のさびたようなニオイ…。
 コレ、は――
「ぃ…や…いや…ぁ…」
 リコのノドから意識しないまま掠れたような声が漏れた。

 彼の腹部から、『ソレ』が流れ出ている。
『ソレ』は…血だ。
 ――彼の、命だ。

「――いやあぁあああっ!!!」
 リコは叫んだ。

●○● ●○● ●○●

「………」
 病院独特のニオイ。
 リコはポツンと、明るいとは言い難い廊下のソファに腰を下ろしていた。
「……っ」
 涙が勝手に出てくる。
 溢れる涙を拭うハンカチはすでにその役割を果たしていなかった。

『リコ』
『また裏道で一人かよ』
『立てるか?』
『一緒に行けなくてゴメンな。でも…すぐに行くから』
『怪我はないか?』
『――リコ!』

 思うだけで、また涙が出る。
(あたし…が…)
 裏道に入らなかったら。
 ――ファズは幾度も『一人で路地裏を通るのはやめろ』と言ってくれたというのに。
(どうしよう…どうしよう、どうしよう…っ)
 リコは自分で自分を抱きしめた。
 少し動くだけで涙が零れ落ちる。

「…     …」
 声にしないで、唇だけがかたどった。
 ファズさん、と。

「いよぉ!」
 静かな病院の廊下に、突如声が響いた。
 リコは声にビクリと反応してしまう。顔をあげると、一人の男が立っていた。
 赤みの強い髪、勝気な表情。
 髪をまとめて上げている…髪型が、ファズに似ていると思った。
「……」
 ニッと笑ったその人は、知らない人だ。
 男はリコの隣にどっかりと腰を下ろし、壁に背を預けた。
 誰だろう、という思いそのままに見つめるリコの視線に気付いたのか、男は「あぁ」と呟いてリコを指差す。
「お前、ファズの友達ダチだよな?」
 数度瞬きをして、かすかに頷くリコに男は続けた。
「オレはラグ。アイツと一緒で青龍騎団の一員だ」
「青龍…騎団?」
 思わず聞き返したリコに男…ラグは「知らねぇか?」とリコを見つめた。リコは首を横に振る。
 青龍騎団と言えば――国内の兵士の中から選ばれたエリートではないか。
 ファズがそんなエリートだったとは…。
 首を横に振ったリコにラグは「そうか」と呟き腕を組んだ。
「…えれぇことになっちまったな」
 ラグの視線の先には、一つの手術室がある。リコもそれにならい、見つめた。
 まだ『手術中』の赤いランプが点灯している。
 見つめているうちに、赤いランプが滲んだ。
 …病室にいる人を思い、また涙が溢れた。
「あ…あたしが…あたしがいけないんです…」
 声が震える。
「…あたしが…路地裏に入ってしまったから…」
 リコは目元を覆った。
 自分を守るために。――ファズは。

 自分が路地裏に入ったから、あの人と会って。
 ファズは…怪我をして。
 あんなに沢山の血を、流して。

 どうしよう。――どうしよう。
「あたし…どうしたら…」

 あんなに泣いたのに、まだ溢れてくる。
 ――まだ、止まらない。

 ラグはそんなリコを言葉なく眺めた。そしてリコから視線を外す。
 沈黙が流れた。
 ――どこからかピ、ピ…と機械音が聞こえる。

「…大丈夫だよ」
 ぼそりと、ラグはこぼした。静かな廊下に声が響く。
 顔をあげたリコに、視線は未だ手術室へ向けたままラグは続けた。
「心配するこたねぇさ。ファズはこんな程度でくたばったりなんざしねぇよ。…それに」
 ラグはひとつ息を吐き出した。
 リコを見て、僅かに目を細める。

「――オレたちが信じなくてどうする」

「……」
 真っ直ぐな瞳。リコは息を呑んだ。
 髪を上げて似た髪型をしているから、だけではなく――似ている、と思った。
 ファズに。

 目を丸くしたリコに「アイツは大丈夫だよ」とラグは繰り返す。
「…だからそれ以上自分を責めるなよ? ほら、もう泣くのもよしな。そんな面、アイツに見せたら笑われっぞ!」
 ファズは笑い上戸だからな、と続ける。
 リコは少し赤くなりながら慌てて涙を拭った。
「…はい…」
 頷いたリコに「よし」と応じてラグはニッと笑う。
 リコも少しだけ、笑った。

 ――乱暴な口調。でも、優しい人なのだろうと思った。

 
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